4-18 襲撃 その3

 研ぎ澄まされた感覚が戦場を俯瞰ふかんする。

 切通きりとおしの入口にはあいかわらず魔人キリヒトが火トカゲの塔のかたわらに立ち、指揮棒タクトをあやつるような手振りで魔物たちに指示を与えている。そそり立つ崖の上には無傷の火トカゲの尻尾が左右に10体ずつ。さらに上空にはトンビのように円を描く人面蛾と雑兵アリの爆撃機コンビが5組。石壁をはさんでブラウンブラウニーが24体、崖に貼りつくジャイアントスパイダーは右に1体、左に2体。そして姿をあらわしていない石頭モグラが残数4体、スケルトンドックライダーが5組。

 依然として圧倒的な物量差だが、レベル30に達した俺の前では雑魚の群れでしかない。無造作に龍王の剣を天にかかげると、


「我、七芒星の勇者カガト・シアキは、変化と断絶をつかさどる風の精霊に問う。

 我が右手の先に、汝らの踊る舞台はあるか。

 手と手をとりあい、く疾くまわり、空高く跳ねよ。

 心の果てまで踊り狂い、颶風ぐふうと稲妻の華を咲かせ! サンダーストーム!!」


 詠唱とともに狭い地面から風が噴きあがり、砂礫されきを巻きあげ、またたく間に巨大な竜巻へと成長する。上下に並んだ火トカゲの尻尾は10体まるごと渦に吞みこまれ、洗濯機に投げこまれたように前後左右いりみだれながら回転し、乱気流に生じた紫電の閃きによって幾度となく白と黒に染めぬかれた。

 レベル20で会得する雷撃の範囲魔法「サンダーストーム」。勇者固有の風属性魔法であり、実体をもたないゴースト系にも効く汎用性の高い攻撃魔法である。

 風が青天に溶けさると、黒焦げとなった尻尾がボトボトと地面に落ちてきた。

 一撃で全滅。F級の魔物にレベル30の魔法を撃ちこんだのだから当然の帰結ではあるが、ここまで圧倒的に蹂躙できてしまうと、王道RPGの世界観をはずれて無双感が漂ってしまう。


「本命には逃げられたか」


 竜巻が湧きたつ前に、ひときわ大きなスケルトンドッグが魔人キリヒトをさらって退いていくのが見えた。馬車の前を走っていた個体と同じものだとすると、いつのまに反対側にまわりこんでいたのか。

 俺は、足もとに槍を突きつけてくるブラウンブラウニーを盾で押しつぶし、逆サイドから鎌を振りあげて襲いくるもう一体を両断した。半歩遅れた盾役は蹴りとばして、粘着糸を撃ちだそうとしていたジャイアントスパイダーにぶつける。そして、糸でくっついた2体をそのまま串刺しにした。

 レベルの上昇と共に動体視力もすばやさも攻撃力も防御力もすべての能力が上昇し、敵の動きがスローモーションに見えるほど感覚が研ぎ澄まされている。降りそそぐファイアボールを剣と盾で易々と打ち落とし、一歩進むごとにブラウンブラウニーを斬りとばし、逃げるいとまも与えずに残り21体を殲滅する。崖を這って後方にまわりこもうとしたジャイアントスパイダーは俺の放った風刃エアカッターの餌食となり、地に伏せて粘着糸の罠を這っていた最後の1体は背後からのユズハの刺突により絶命する。


「ネネ、『ストーンウォール』を崖から水平に生成することはできるか?」


 地上を掃討し終えた俺が指で空までの軌跡をなぞると、ネネは即座に意図を理解したらしく、杖をかかげて、


「我、魔の探究者たるネネ・ガンダウルフは、安息と停滞を司る土の精霊に問う。

 我が右手の先に、汝の力の結集たる石壁はあるか。

 あま駆ける勇者のきざはしとなれ! ストーンウォール!」


 呪文と共に石の板が崖から水平に延び、俺が跳ねあがると、ちょうどよい位置に次の板があらわれる。装備した「天馬の靴」の効果でジャンプ力が倍加している俺は月面散歩のような高高度の跳躍を繰りかえし、あっという間に最後の石板を踏みきると、宙を舞う人面蛾を雑兵アリごと下から斬りあげた。滞空したまま、近づいてきたもう1組も斬り落とす。

 そして風をはらんで落下をはじめる身体をひねり、


「我、七芒星の勇者カガト・シアキは、変化と断絶をつかさどる風の精霊に問う。

 我が右手の先に汝の力の結集たる風壁はあるか。

 我に刃向かう者の牙を折れ! ウインドウォール!」


 残り3組の人面蛾の進路を阻むように展開する風の壁。本来は飛び道具や魔法をはじきかえすために使う防御魔法だが、内部を渦巻く強風につかまると飛行タイプの魔物はたやすく地に墜ちるということを俺は知っている。

 目論見どおりウインドウォールに突きあたった人面蛾が不自然に翅をねじらせて、鱗粉を風に撒き散らしながら落下していく。後続の2匹も急な方向転換ができずに乱気流にぶつかり、次々と落ちる。飛行手段をもたない雑兵アリも手足をバタつかせながら一蓮托生だ。

 崖に翅と胴体を打ちつけながらころがりおちる人面蛾たちの先には、抜き身のつらぬき丸をかまえた猫耳ユズハの姿。ネネもすでに火球の呪文詠唱にはいっている。あとは任せても大丈夫だろう。

 姿勢制御で落下方向を微調整すると、どうにか一番上のストーンウォールにつまさきだけ引っかけることができた。おおきく腕をまわして復帰し、そのまま崖の上に駆けのぼると、一列に並んだ10体の火トカゲの尻尾を左右に剣を振りぬきながら仕留めていく。三日月形の奇妙な魔物はホバークラフトのように浮遊したまま散開しようとするものの、レベル30の剣速からは逃れることができず、真っ二つに両断された赤い尻尾が散乱する。

 最後の1体を叩き斬り、もう一方の崖に視線をはしらせると、残る火トカゲの尻尾が撤退を開始するところであった。宙に浮かんだ赤い三日月が松の木が生える岩場の陰へと消えていく。

 ためらうことなく再び崖から生えた石壁へと跳びうつり、天馬の靴の跳躍力を信じて、突端からおもいっきり踏みきった。走り幅跳びのような姿勢で向こう岸に着地した俺は、砂塵を蹴散らして火トカゲの尻尾が消えた岩塊を目指すが、すでに赤い三日月の姿はなく、魔物が消えたあたりを探索すると、すぐにぽっかり空いた小さな穴を岩陰に発見した。ブラウンブラウニーが這いでてきたものと形状が酷似しているので「石頭モグラ」が掘ったとみて間違いないだろう。人間には小さすぎるが、魔物たちの抜け道には十分なおおきさだ。

 周囲から魔物の姿が消えたのを確認し、崖を滑りおりる。さすがに勢いがつきすぎてほぼ滑落状態となるが、ここでも天馬の靴の落下ダメージ無効の効果が発現し、最後は半透明の翼が靴からふわりとひろがって危なげなく減速する。

 馬車では鼻息の荒いミカエルとガブリエル、それに人面蛾と雑兵アリに止めをさしおえたユズハとネネが迎えてくれた。


「残りの敵は、このユズハ様に恐れをなして逃げたのかにゃ?」

「……ボク、セシアを呼んでくるね」


 切通の前後を見渡しても、魔物の死骸しかない。狭い谷間を吹きぬける風がうなりをあげ、さきほどまでの激しい戦闘が嘘のような寂寥とした光景がひろがっている。

 馬車からおそるおそる降りてきたセシアが仰向けに横たわったジャイアントスパイダーをみとめて息を呑む。だが、すでに魔物たちが殲滅されたことを確認して、いくぶんか表情をやわらげた。


「ユズハ、ネネ、ありがとうございます。この失態はかならず挽回します」

「……仲間だから」

「そうにゃ。気にすることないにゃ。苦手な相手でもチームワークがあれば乗りきれるにゃ。

 ――にゅふふふ! もっと感謝するのにゃ! この活躍で、アタシのパーティー内の地位は盤石となったにゃ!」


 ユズハが封魔の盾をセシアに返しながら「まあ、気負わずにがんばるにゃ」と上から目線でポンポンと肩を叩いている。

 セシアが俺のほうを振りむき、


「あの、カガトどのもありがとうございます」


 頭を下げ、再び持ちあげるときに「あ」と声をあげて、みるみる赤くなった。視線の先には俺の股間。ズボンは壮大なピラミッドを形成し、鎮まる気配は微塵もない。


「こ、このままでは、また副作用が出てしまうのでは?」

「そのことについては俺に考えがある。セシアに手伝ってもらえれば――」


 ――カタン。


 切通に反響した音で、言葉が中断される。

 音の発生源、倒木によって塞がれた切通の出口へと目をむけると、


「今日は僕の負けでいいや」


 灰色のフードをかぶった人影が、積みあがった倒木の上に足をぶらぶらさせながら座っていた。声変わり前なのか、すこし甲高い声。スウェットシャツのポケットに両手をつっこんだ姿は中学生くらいにしか見えない。


「魔人キリヒト」

「あれ? 僕、名乗ったっけ? あ、わかるのか。鑑定とかで。勇者だものね。チートマシマシで」


 距離はまだそれなりに離れているが、両サイドが遮蔽されているためか、声はおおきくなくとも、よく響く。


「俺のことも知っているんだな」

「勇者カガト。名前は『ウインドウ』に出てる。僕だって『勇者になりそこねた者』だから。それくらいの特典はあっていいだろ」


 風に吹かれて長い前髪がそよぐ。黒髪の隙間から覗く紅い瞳が印象的で、薄い唇が皮肉っぽく片側だけ吊りあがっている。あごが細く、なで肩で、ゆったりとしたスウェットシャツにスウェットパンツという服装ながら、ほっそりとした手足はいかにも虚弱だ。心も身体もまだ子どもなのかもしれない。

 元の世界からわけもわからず流されて、魔物がはびこるこのグランイマジニカで魔人という配役を与えられ、ゲームのように楽しんでいるだけなら。あるいは、勇者になり損ねたことを拗ねているだけなら。こんな命のやりとりなどしなくとも。

 俺はざわつく気持ちを抑えて、軽い調子で問いかける。


「なら、これは知っているか? 勇者には『光の守護』という絶対に死なない祝福がさずけられている。だから、俺を殺そうとしても無駄だぞ」


 キリヒトの酷薄な唇がさらに吊りあがった。


「知ってるさ。でも、ゲームでよくあるでしょ。ボス戦とかでさ、ほら、本体に直接ダメージが通らなくても、相手の撃ちだしたミサイルとかを撃ち返すと本体にダメージがはいるやつ」

「俺がミサイルだと?」

「そう! 本体は『聖王』だっけ? 勇者を何度も殺していけば、聖王にダメージがいくとおもうんだよね」


 明るいキリヒトの声に俺の眉間にしわが刻まれる。

 旅立ちの王宮でボルトムント大臣は何と言っていたか。そう、たしか「『光の守護』は時空魔法の最高位。発動するたびに術者の寿命が削られるという恐ろしいものなのだ」と何度も繰り返していた。

 いままでの周回で聖王が先にたおれたことはない。だが、この周回でも同じであるとは断言できない。もし冒険の途中で「光の守護」が失われたら、俺はいままでよりも数段シビアな判断を要求されることになるだろう。

 31周目の俺と違って魔人キリヒトはこれが初回のはず。なぜそんな知識を持っているのか。俺が疑念を深めて沈黙していると、今度はキリヒトから、

 

「じゃ、次は僕が質問する番だね。

 勇者は知ってるかな? 魔物のこと。魔物がどうやって増えていくのか」


 ニヤニヤ笑いを浮かべながら問いかけてくる。


「魔物は、魔力が暴走して生まれた存在だろ? 魔物に変化するのは生きものだけでなく、水や石といった無生物も魔物となる。そして、他の生きものや龍脈から魔力を吸いとることで活動をつづける」


 ネネからの受け売りをこたえると、耳障りな哄笑が切通の狭い通路に反響した。


「0から1になるのはそうだよね。長い時間がかかる。でも、1から2、2から3に増やすのはもっと簡単なんだ。いまいる魔物に一定以上の魔力を与えてやればいい。もともと魔力量が多くない弱い魔物ほどすぐに増える。

 で、さあ、魔力なんて、そこら中にあるわけさ。だから、いくらでも魔物は増やすことができるんだよ。知ってる? 生きものには結構な量の魔力が詰まってる、て。とくに人間なんて、魔力の貯蔵タンクみたいでさ」


 キリヒトの赤い瞳が妖しく光り、興奮のために半開きになった口から、くひひ、と不気味な笑い声がこぼれでる。倒木の向こう側から白い頭蓋骨、大型のスケルトンドッグが顔を出し、口にくわえていたものをこちら側にドサッと投げ落とした。

 赤黒い、ずた袋のようになったそれは、


「貴様がやったのか!? 人を、殺したのか?」

「魔物を殺しまくってる勇者がそれを言っちゃう? 立場が違うんだからさ、しかたないよね。魔人である僕は人を殺して、魔力という経験値をもらう。勇者であるカガト君は魔物を殺してレベルアップする。うん。じつに公平じゃないか」


 損壊が激しいため断定はできないが、筋肉の付き具合からしておそらく成年男性の死体。街や村には魔物除けのラペラントの結界が周囲に張りめぐらされているはずだから、その中で危害を加えることは難しい。畑に出ていた農夫か、何かの用事で王都を離れた兵士かもしれない。

 キリヒトは足をぶらぶらさせながらじつに楽しそうに、


「僕の経験上、F級の魔物なら人間ひとり分の魔力で10体は増やせるね。勇者がこれだけ暴れまわってくれたおかげで、僕はまた軍団を補充しなければいけない。ざっと10人も狩れば元通りにできるかな。でも、100体くらいの魔物じゃ、チートマシマシ勇者には敵わないとわかったから今度は1000体必要かも。100人分の魔力を用意するのは大変だけどさ、村をひとつ潰せば、それくらいいけるんじゃないかな。もちろん、女も子どもも皆殺し」


 アハハハ、と空を見あげて笑声をはなつ。

 こいつはどう見ても、自分の役割ロールを受けいれて悪役を楽しんでいる。 同じ世界から流れてきたのならひょっとしたら話しあいで解決できるのでは、という甘い考えは捨てなければならないようだ。

 だが、中身はおそらくまだ未成年。それを「殺す」というのは社会人であった俺にとってどうしても心理的なハードルが高くなる。


「彼らはNPCエヌピーシーじゃない。俺たちと同じように生きているんだぞ」


 キリヒトの紅い眼が細まる。自分の胸をトントンと叩いて、


「生きている? くふふ、面白いよね。良いこと教えてあげようか。

 僕の心臓は、鼓動が無いんだ。魔人だからね。魔物なんだ。魔石が僕の動力源。青い魔力がこの身体を動かしている。勇者は人間だから、ドクドク脈打ってるんだろ? けど、僕はウィーンてモーターみたいな音がするんだ。もう人間じゃないんだ」

「魔人から人間にもどる方法もあるかもしれないだろ」

「クハッ! バッカじゃね? もどりたいなんて欠片もおもってねーよ。

 僕はうれしいんだ。もう人間のフリをする必要ないんだから。魔人バンザイ! 人間サヨウナラ! 僕はザクザク人間殺して、魔物の世界をつくりまーす。僕がありのままでいられる世界をね」


 狂気をはらんだ笑い声。


「勇者に興味は無いんだけど。聖王は、ほら、ヤバいからさ。聖王を殺すために、勇者をザクザク殺さないといけないんだよね。今日は挨拶がわりだけど、いつどこで狙うかわからないから。せいぜい勇者ごっこを楽しみなよ。ああ、そうそう。勇者よりもそっちの連れの女どものほうが殺しやすそうだから、次はそっちかな」


 倒木の上で立ちあがり、バランスを崩しそうになって、おっとっと、と足をふらつかせる。ポケットから出した手を振り、


「じゃあね、バイバイ。また殺し合おうね」


 俺は無言で駆けだす。

 ここで逃せば、あとどれくらいの人が犠牲になるかわからない。すでに死体を晒した以上、こいつに殺人への忌避感はない。パーティーメンバーに危害をくわえるつもりならば、子どもだとしても容赦することはできない。

 レベル30の本気の加速。切通の出口までの距離、その半ばを数秒で駆けぬけ、けれど、キリヒトはわざと不安定に身体を揺らし、倒木の向こう側へなかなか跳びおりないことに違和感を覚える。

 こちらを振りむいたニヤニヤ顔が、


「バーカ、遅えよ」


 と言った瞬間、ドガーン! と爆発音が鳴り響き、左右の崖から自動車くらいの岩塊が剥落し、次々と通路に降りそそいだ。切通の4分の1ほどを巻きこむ激しい崩落。土ぼこりがもうもうと立ちのぼり、道が完全に岩で埋まる。


「ほら! やっぱり物理は最強だろ! いくらチートマシマシでも、この重量でグッシャグシャだ!」


 キリヒトが歓喜のガッツボースを決めた。

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