4-5 王国の盾
スローモーションのようにゆっくりとバクハツ岩が落ちてくる。
俺がセシアを引きもどそうと差しだした手は苛立たしいほどに遅く、こんなにも近い距離が無限にひらいていくように感じてしまう。
「セシア!!」
積み重なり赤く明滅するバクハツ岩に、最後の一押しが触れる。無音のなか、表面の岩が欠けて、ゆっくりと浮きあがり、「カチッ」と音が遅れてやってくる。バクハツ岩の中心部からわきあがる圧倒的な光。黒い岩肌を痛々しいほど鮮烈な赤が染めあげ、視界のすべてを塗りつぶして爆風と炎熱が押し寄せてくる。
気高く神々しいセシアの姿は瞬く間に炎の壁に呑みこまれて……いない!!
熱風が吹き荒れ、ドドドドド!!!と耳がおかしくなるほどの爆音が肌を震わせているが、虹色に輝く光の膜がセシアを中心としてひろがり、爆炎と石つぶてのことごとくを跳ねかえしていた。
直径2メートルほどの半球状の光の障壁。爆風が過ぎ去り、天井まで舞いあげられた砂礫がパラパラと降りつづくなか、極度の緊張から解放され、弛緩した表情のセシアが振りかえった。
「これはカガトどのの力ですか?」
ゆっくりと溶けさる光の壁を見つめながら、俺は首をかしげる。
「俺は何もしていない」
「では、いったい誰がこのような」
「聖魔法の『セイントシールド』に似ているな。一定時間あらゆる攻撃を遮断するが、こちらからの攻撃も一切できなくなる絶対防壁魔法」
「その魔法のことは聞いたことがあります。けれど、ホーリィ様のような高位の聖職者でなければあつかえないはず」
以前の周回では、モンクであるグノスン師匠がレベル30で習得していた。効果は30秒ほどで、いまのように敵の大技を防ぐには有用だが、互いに攻撃が一切できなくなる使いどころの難しい魔法。
もしやグノスン師匠が駆けつけてくれたのか!? と期待して周囲を見まわしてみても、それらしい影も形もない。現実的に考えて、いくら師匠といえどもこんなに短期間でレベルが急上昇するはずもないと首を振る。
「わからないことに無理やり理屈をつけようとすると判断をゆがめてしまう。理解できないということは、理解するための情報が足りていないということ。
いまは『不思議な光に助けられた』と記憶しておけば十分だろう」
「カガトどのがそう言うのであれば、私は従いますが」
釈然としないまま、俺たちは静かになった空洞内を見渡した。
ネネとユズハが離れた壁際で手を振っている。どうやら大きな怪我はしていないらしい。ホッと息をつき、ふと見上げた天井でなにやら動く影を見つけ、
「あ!」
「どうかしましたか?」
首をかしげたセシアが俺の視線を追いかけると、行き着く先は天井にあいた穴。先ほどバクハツ岩が降ってきた暗がりから、とがった鼻先と長いひげがのぞいている。
しばらく目を凝らしていたセシアがギリッと歯を鳴らした。
「石頭モグラ! あの魔物があけた穴のせいで、上の空洞にいたバクハツ岩が落ちてきたということですね! なんたる不運!」
俺の見立てもセシアと同じだが、はたして運で片づけてよい事象なのだろうかという疑念は残る。王都のスライム大量発生といい、ユニークモンスターである首狩りカマキリが複数あらわれたことといい、いままでの周回とはあきらかに異なる展開が多すぎる。
まさか愛憎度システムが導入されたことでハードモードに突入してしまったとか?
確かめるすべもないが、この周回で「冒険の書」に頼りすぎるのは危険だと自分を戒めておく。「光の守護」によって不可逆的な死はまぬかれるものの、それは死を防ぐのではなく、死を巻きもどすだけの事後対応。死者には死の直前の苦痛が刻まれ、生者には遺体が目の前で復元されていくという凄絶な体験が待っている。
イチャイチャラブラブの健全なハーレムを目指す俺にとって、あきらかに不要な鬱展開だ。
「空洞内には魔物の気配はもうないにゃ」
「……討伐完了」
ユズハとネネが合流し、俺は大きくうなずいた。
「よし。ガガーリン王に報告だ」
懸念は尽きないが、過度に不安がっていても仕方がない。
優先すべきは、セシア、ネネ、ユズハ、大切な婚約者たちの心身の健康。それだけを考えて先に進むしかない。
俺たちは依頼達成の報告のため、ガガーリン15世のいる「岩の
◇
「――ほほう! あの量の魔物をたった1日で片づけるとはのう!
まことにカガトどのには驚かされる」
報告を受けた白髭のドワーフ王ははじめは驚嘆、つぎに喜悦の表情を浮かべて俺の両手をとってぶんぶんと激しく上下させた。
「さっそく
ポンと床を叩いて気安く立ちあがると、控えていた侍従たちに指示を飛ばす。相変わらずフットワークの軽い王様だ。
「それと、セシアどの」
こまごまとした手配を終えて俺たちの前に座りなおすと、セシアの顔をじっと見すえる。
「父君からの預かりものを用意しておいたのぢゃが。個人的な要件ゆえ、カガトどのたちには席をはずしてもらったほうがよいかもしれん」
セシアは覚悟を決めた表情で
「仲間に隠しごとはしたくありません。この場でいただきます」
「ハハッ、そうかそうか。良い仲間を持った。セオドアもいつも心配していたからのう。友達と呼べる相手が少ないのではないか、とな。
酒に強くないから、ここで一緒に飲むと娘の話ばかり聞かされておったわ」
愉快そうにガガーリン15世が語り、セシアがおもわず身を乗りだす。
「父は私のことを何と言っていたのですか!?」
「そうぢゃのう、いろんなことを言っておったがのう。真面目すぎる、騎士としての筋は良い、怪我をしないか心配だ、最近料理がうまくなった、見合い話に見向きもしない、とかぢゃな。あとはよく、妻に先立たれてから娘とどう接すればいいのか、とこぼしておったなあ」
セシアの瞳がうるんでいる。
「父は寡黙で、家ではそんな話なにも」
「口の
こみあげてくる言葉を寸でのところで飲みこみ、セシアが俺に視線を送ってきた。
俺はうなずき、坑道内の約束どおりとことん付きあう、と目線を返す。
「ガガーリン王! もっと父の話を聞かせてください。
いまからでも私は、父と、語り合いたいのです」
大きな目を細めて、ドワーフ王は大きくうなずいた。
「宿には夕食は遅れると伝えさせよう。
セオドア・ライオンハートの大きな旅路は、語るのにすこしばかり長くかかるでな。そうさのう、やはりはじまりは妻ユーフィリアとの出会いからか」
ガガーリン15世の語るセオドアは意外にも、王国に忠実な騎士というよりも家族をひたむきに愛する硬骨漢という印象であった。要約すると次のとおりである。
『このグランイマジニカには、ガッダをはじめ、リンカーン王国に属さない国がいくつか存在している。大半は
セオドア・ライオンハートがまだ
セシアの母、修道女ユーフィリアはその難民のひとりであった。
セオドア・ライオンハートは王都を守護する
セオドアは衰弱していく妻に誓う。
「私が二度と戦争を起こさせない」
国境警備の龍爪の騎士団への転属を希望し、争いの種になりそうな問題にことごとく首をつっこんでいくようになったセオドア・ライオンハート。三剣国の水利争いからはじまり、竜宮城の
1時間以上も語りつづけ、ドワーフ王は熱々の茶を美味そうにすすった。
肺から長々と息を吐きだし、セシアを見つめながら、
「王国の盾。その名はセオドア・ライオンハートにこそ
ぢゃから、腐敗湖があらわれたとき、まっさきに調査に向かったのはセオドアらしいとおもったよ。アリシア姫もまた我が子のように慈しんでおったからのう。争乱の気配に身体が素直に反応したのぢゃろうて」
声をあげることもできず、セシアは全身で父を知ろうと努めていた。さまざまな想いが脳裏を駆けぬけ、ガガーリン王がつまびらく物語によって新たな角度から光を当てられると、いままで暗澹としていた父との記憶がまばゆいばかりの虹彩を放ち、あらたな意味合いを帯びはじめる。
高揚感に包まれると同時に果てのない哀しみが潮のように打ち寄せ、喜怒哀楽がめまぐるしく入れ替わる。自分の知らなかった父の姿、その想い、そして母との愛。
涙がとめどなくあふれてくる。喜びも悲しみも混ざりあった熱い涙。心を覆っていた疑念も迷いもすっかり涙と共に洗い流されて、晴れ晴れと澄みわたっていくのがセシアの表情からも読みとれた。
「セシアどの。もうわかっているとおもうがのう、父君が見せた自らを犠牲にするような奉仕も、すべてはユーフィリアどのとの約束を守るため。そして、セシアどのやアリシア王女を災禍から遠ざけるため。
国と家族を天秤にかけるようなことは、最初からセオドアはしておらんかったよ。それでも、もし選択を迫られたら、いつでも国を捨てたぢゃろう」
鼻をすすりながら、セシアがうなずく。
ガガーリン王は大きな
「セオドアからの預かりものぢゃ。開けてくだされ」
正座し、深く一礼したセシアが蔦で編まれた上蓋を押しあげ、葛籠におさめられていた美しい生地をとりだす。
それは深く澄んだ蒼を基調に華やかな色を編みこんだ衣装であった。先がラッパ状にひろがった長い
葛籠には他にも真珠をつらねた腰留め、銀細工の髪飾り、真珠のイヤリング、花を金糸でいろどったサンダルなどが収められていた。
「ユーフィリアどのの婚礼衣装を修繕し、細工ものを追加したのぢゃ」
「これを父が?」
「聖騎士として打ちこむセシアどのに、いつ渡そうか悩んでおったよ。婚礼の話が出ないうちに押しつけて、早く嫁に行けと催促しているようにとらえられると困る、と頭を抱えておった。謹厳なセオドアがもじもじと悩んでいる姿は
人にはさまざまな側面がある。娘であるセシアに見せていた騎士の
「ユーフィリアどのの母君はシヴィア公国の出身ゆえ、これらはシヴィアの伝統衣装ぢゃな。糸も染料もリンカーン王国内では手に入りにくい代物ぢゃから、細工物とあわせて我らドワーフが修繕を引き受けたのぢゃ。
一から織る技法は真似しがたいが、もともと織布も仕立てもドワーフ産は良品ぞろい。繕うことはお手のものぢゃ。装具品はわしらの右に出るものはおらんから、修繕を超えたものに仕上がったと自負しておる。表立って恩を返せぬセオドアどのに、せめてもの罪滅ぼしとおもってくだされ」
温かい言葉がセシアを包みこむ。はじめて見るのにどこか懐かしい衣装。顔をうずめると、忘れかけていた母の香りを感じて、また枯れることなく涙があふれだす。
「しかし、相手がおらんことにはのう。魔王討伐の旅にはかさばるし、いつでも渡せるよう
ガガーリン王の視線がチラリと俺に向けられる。
気配を察知したのか、セシアが赤面して眼差しを下げ、
「じ、じつは、ここにいるカガトどのと婚約しておりまして――」
「これは大慶!」
グローブのように大きな手がガシッと俺の両手をつかみ、額が接するほど近くまでドワーフ王の顔がにじりよってきた。
「勇者カガトどの、どうかセシア・ライオンハートを幸せにしてやってほしい。必要なことがあれば、ドワーフ族は協力を惜しまないと誓おうぞ」
「任せてください! ガガーリン王。勇者の名に懸けて、俺は全身全霊、生涯、セシアを愛し尽くすことを誓います!」
「さすが勇者、良い男ぢゃ! 婚礼のときには是非とも呼んでくだされ」
バシッ、バシッ、と背中に回された手が俺の鎧を打ち鳴らす。
セシアは赤い顔でうつむいたままであったが、ピロリン♪ と鳴っているので、まんざらでもないらしい。
グギュルル、という音に振りかえると、静かに話を聞いていたユズハがあわてて横を向く。小声だが、「――もう空腹が限界にゃ」という言葉が漏れてくる。
ガガーリン王は口もとをほころばせ、
「すまんかったのう。時間をとらせてしまった。
これから宿に案内させる。と、最後にひとつだけ。セシアどの、その鎧兜をわしに預けてもらえんかのう。それはわしが手がけた最高傑作のひとつ。そちらも是非、修繕させてもらいたいのぢゃ」
白いあご
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