3-13 お嬢さんを俺にください

 鹿肉を積んだそりをひいてもどると、グラン大聖堂の中庭には人だかりができていた。この静かな森のどこにこれだけの人が隠れていたのかと驚くほどの人数だ。

 皆、勇者の帰還を待ちわびていたらしく、年長者は顔をほころばせ、子どもたちは素直に手を振って歓声をあげている。

 西日を浴びて樹影を濃くした大小の聖堂を背景に、俺が笑顔を振りまきつつ近づいていくと、


「カガト! おかえりなさい」


 人だかりから小柄な修道士が飛びだしてきて、俺を抱きしめた。

 見あげる顔には無数の優しいしわが刻まれ、安堵がほおを柔和にたるませている。


「ホーリィ様、ただいま戻りました」


 大神官ホーリィ・ロングネックは俺の身体から離れると、ニコニコと、


「魔物の討伐、本当にご苦労さまでした。

 はぐれていたスクルドも連れもどしてくれたのね。心から、ありがとう、と言わせてもらうわ」


 ホーリィが丁重に礼をする。

 俺はひいてきたそりを差しだすと、


「これ、鹿の肉です。首狩りカマキリが仕留めたものですが、そのまま放置して他の魔物が寄ってきても危ないので持ってきました。

 基本的な処理はしてありますので、皆さんで食べてください」

「まあ! カマキリを討伐してもらったうえに、こんなに立派なお肉まで」

 

 ホーリィが両手をおおきくひろげて、ふたたび俺を抱擁する。

 ピロリン♪ という愛憎度の上昇音が心地よく耳に響いた。


「私がもうすこし若ければ、喜んであなたのお嫁さんに立候補しますよ」

「光栄です」


 ホーリィは愛嬌のある仕草でウインクすると、周囲の修道士たちを見わたして、


「さあ、勇者どのからの差し入れですよ。

 皆でありがたく頂きましょう!」


 テキパキと指示を与えていく。

 鹿肉はそりのまま調理場とおぼしき建物に運ばれていき、人だかりもホーリィの指示のもとに各自の持ち場にもどっていく。代わって、先に大聖堂にもどっていたネネとユズハが合流した。


「ずいぶん遅かったのにゃ。やっぱり、ふたりでナニしてたのかにゃ?」

「……あ、グノスンさんの」


 俺とセシアといっしょにたたずむスクルドをみとめて、三角帽子の下からネネが声をあげる。

 セシアが二人を手招きして「じつはね……」と小声でささやきはじめたとき、回廊のかげから、


「ようやく帰ってきたか。待ちくたびれたぜ、このじゃじゃ馬娘」


 すでに懐かしさすらおぼえる声がした。あたたかく深みがあって、けれど、いまは心臓をキュッとつかまれたような緊張がはしる。

 すこしぎこちない動作のスクルドと同じ挙動で俺も振りかえると、つるりとした禿頭のモンク、グノスン・グレイホースが常と変わらぬ灰色の作務衣さむえにサンダルという格好で立っていた。にやけた表情も無精ひげもあいかわらずだが、手足にも衣服にもこまかな裂傷や返り血のようなものが付着し、ずいぶんと外を駆けまわっていたことがうかがえる。

 赤くなった目がわずかにうるみ、


「なーんだ、ピンピンしてるじゃねえか。

 あー、クソ、わしもとうとう親バカになっちまったな。要らぬ胸騒ぎをおぼえて、年甲斐もなく森中を走りまわっちまった。

 神がかりとまでいわれたわしの勘も鈍ったもんだ。ほんと、参るぜ」


 照れ笑いを浮かべて、無精ひげをぼりぼりと掻く。

 スクルドは喜色を隠しきれない父親を見あげて、


「あんな、お父ちゃん、じつはな――」


 スクルドの話を聞き終えて、俺とセシアにも補足の説明を受けて、グノスン師匠は神妙な面持ちで深々とこうべを垂れた。


「カガト、ありがとう。礼のしようもないが、娘の命を救ってくれたこと、このグノスン・グレイホース、生涯忘れはしない。

 恩には必ず報いる。困ったことがあれば、なんでも言ってくれ」

 

 正面に向きなおり、真摯に謝意を述べる師匠の熱いまなざしに、しかし、俺は冷たい汗をかいていた。

 師匠の隣りではスクルドがしきりに「ヨメ」と口パクをしている。

 もちろん、言われずともわかっている。俺から師匠に婚約の許可を願い出ると約束したのだ。嘘でごまかす気もない。

 スクルドが本当に好きなのはセシアで、俺とは偽装結婚のようなもの。だが、ハーレムメンバーに加えることに変わりはない。11歳の娘を嫁にもらいたい、と尊敬する師匠に頭を下げるのだ。


「お、どうした、カガト。顔色が悪いぞ。さては、スクルドに何か言われたのか?

 こいつは口が悪いからな。ときどきおかしなことを言うかもしれんが、勘弁してやってくれ」


 グノスン師匠の屈託のない笑顔が、俺の心臓をギュッとしぼりあげる。

 

「命の恩人やで。おかしなことなんか言うかいな。

 なあ、カガト兄ちゃん」


 スクルドの催促の視線が、俺の心臓をチクチクと突き刺す。

 純白の聖者のローブに置かれた指先がわずかに裾を持ちあげて左右に揺らす。

 ローブの生地の下にはスクルドの裸身がある。パンツは履いていない。俺が約束を果たさなければ、この小さな悪魔がどんな過激な爆弾を投下するのか、無言の脅迫がナイフとなって喉もとに冷たく当てられる。


 わかっている。

 わかってはいる。


 婚約の件を言わなければならない。

 娘さんを俺にください。

 その一言ひとことを父親に告げる。

 30周にわたるグランイマジニカでの冒険においても、元の世界の30数年の人生の中でも、そんなシチュエーションを経験したことは無い。


 なんだ、このプレッシャーは。


 しかも、11歳の少女を嫁にくれ、というのは正気の沙汰さたではない。

 事情があるとはいえ、種族の常識の相違もあるとはいえ、元の世界であれば間違いなく犯罪だ。

 冷たい汗が止まらない。グノスン師匠に白い目で見られたら、俺の精神は間違いなくズタズタになるだろう。

 しかし、ここで日和見すれば、スクルドからこの先ずっと「カガト兄ちゃんは肝心なところで逃げよる」とネタにされることもわかりきっている。セシアをめぐる暗闘では防戦一方になるだろう。

 たとえ玉砕しても、グノスン師匠に「ロリ野郎!」と罵られることになっても、ここで逃げるという選択肢は俺にはない。イチャイチャラブラブのハーレムという大望の前では、俺のちっぽけな自尊心などゴミ屑同然なのだ。

 覚悟を決めると、姿勢を正し、グノスン師匠の目を正面から見すえた。


「師匠、話があります」

「お、どうしたどうした。真剣だな。なら、わしも真剣にこたえよう」


 グノスンがぐっと身を乗りだしてくる。

 俺は、逃げない、と心に誓い、はらの底から声を振りしぼった。


「娘さんをを俺にください!」

「ああん!?」

「スクルドを俺の婚約者として認めてください!」


 剣呑けんのんな光がグノスン師匠の目に宿る。

 スクルドがギュッと俺の腕にしがみついてきた。


「お父ちゃん。うちからもお願いします。

 うちは、セシア姉さまのことが好きやねん。けど、セシア姉さまはカガト兄ちゃんの婚約者。たとえ奪いとれたとしても、うちと結婚することは難しい。

 なら、うちがカガト兄ちゃんのお嫁さんになったら、セシア姉さまとも家族になれる。勇者の嫁は7人。ここでうちが婚約者になっとかな、節操のないカガト兄ちゃんのことやから、すぐに枠が埋まってまうかもしれへん。そしたら、近くでセシア姉さまを守ることもできなくなる」


 早口にまくしたてるスクルド。

 そんな風に考えていたのかと口が半開きになるが、グノスン師匠には嘘もごまかしも通用しないだろう。ありのままを正直に打ち明けるしかない。

 グノスン師匠は途中で言葉を差しはさむこともなく、娘の話を、スクルドにとってセシアがいかに大切な存在なのかという話を聞いていた。

 

「スクルド、お前の気持ちはだいたいわかった。

 誰に似たのか、一度言いだしたことは、どれだけ珍妙な理屈でも絶対に曲げない頑固者だからな。わしが反対しても勝手に飛び出していくんだろう」

「さすが、お父ちゃんや。うちのことよくわかっとるやん」


 やれやれと首を振る。

 次に、微妙な表情のまま口をはさむこともできずにいるセシアに向きなおると、


「セシアさんは、こいつに追いかけられて迷惑ではないか? 本当のことを言ってくれれば、親の責任として、拳で説得するが」


 スクルドが祈るように見つめるなか、聖騎士の気高さと優しさをまとったセシアは淡い金髪を左右に揺らして首を振った。


いやではありません。好きかと問われれば、恋人として振るまうことは難しいですが、スクルドのことは妹のようにおもっています。利発なところも、ひたむきなところも、優しいところも、大好きだし、大事にしたい。

 いつかスクルドに本当に愛する人ができたら、私は応援したいとおもいます」

「姉さま以外、好きになることなんかあるかいな!」


 頬をふくらませるスクルドの青い髪をそっと撫でる。

 その表情は慈愛に満ちていた。

 

「子ども扱いしてからに。うちだって、いつか姉さまを本気にさせたるから」


 無精ひげを撫でながら二人のやりとりをながめていた師匠はひとつうなずくと、正面に向きなおり、俺の瞳の奥深くをのぞきこんだ。


「カガト、最後にお前に確認しておきたいことがある」


 大聖堂をとりかこむ森から涼気をはらんだ風が中庭を吹き抜けていく。

 サラサラという葉ずれの音が大きく聞こえ、静寂が質感をともなって周囲を圧し、グノスン師匠の言葉だけが俺の耳朶じだを打った。


「スクルドにエロは感じるか」


 単刀直入。まさに鋭い刃が肺腑はいふに突き刺さるような師匠の問いに、下手な言い逃れは通用しない、と心底が冷えた。

 大切な娘を嫁として迎えさせていただく以上、ここは俺も本心をさらけだして答える責務がある。


「はい!! いまのスクルドにも十分なエロを感じますが、これからの成長を想像するだけで、その万倍も妄想を膨らませることができます!」


 隣りから、ブブー! という警告音とともに不穏な空気が流れ、「うちはセシア姉さまのもんや」とサンダルが俺の足をげしげしと蹴りつけてくる。

 夕闇が迫りつつある。樹影からこぼれおちる残照がグノスン師匠の灰色の瞳を神秘的な輝きに染めあげ、おだやかな微笑が無精ひげの口もとに浮かんだ。


「そうか。娘を泣かせるような真似はしてくれるなよ」

「どれほど魅力的に成長しようとも、スクルドの意思を無視して手を出すようなことはないと誓います。

 エロとは妄想。セシアとスクルドのイチャイチャを見るだけで、俺は無限のエロを引き出すことができますから!」


 スクルドに加えて、セシアの蹴りも、鎧に覆われていない俺の太もも部分に叩きこまれる。

 グノスン師匠は破顔一笑した。


「さすが、カガトだ。そうだとも、エロには謙譲も必要だ。

 抑制された先にこそ、エロの大輪が華ひらく。たとえ一指も触れずとも、千変万化の豊潤な妄想を与えてくれた相手には感謝を忘れるなよ。

 感謝の心を忘れたものに、エロは来ない!」

「はい! どんな形であれ、スクルドを幸せにしてみせます!

 セシアも、ネネも、ユズハも、スクルドも、皆が笑顔であれば、俺は満足です。イチャイチャでラブラブなハーレムは、俺だけイチャイチャラブラブする必要はないですから。嫁同士がイチャイチャしていても本望です!」


 スクルドとセシアがあきれ顔で俺を見つめている。


「カガト兄ちゃんは、ちょっと、というか、だいぶ、業が深すぎるんとちゃうか」

「行動だけなら尊敬できるのですが、口をひらくとダメですね。

 仕方ありません。カガトどのは私がもっと勇者らしく教育してみせます!」


 まだ状況がのみこめておらず、すこし遠巻きに俺たちのやりとりを見守っていたネネとユズハに、俺はスクルドの背中をぐいっと押しだした。


「というわけで、4人目の婚約者となったスクルド・グレイホースだ。

 仲良くしてやってくれ」

「あ、えーと、ネネ姉さま、ユズハ姉さま、スクルドと申します。ふつつかものですが、よろしゅうお願いします」


 ぺこりと揺れる三つ編みに、ネネとユズハは顔を見合わせて複雑な表情を浮かべていた。

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