3-14 勇者の紋章

 うたげの準備が進む。

 グノスン師匠が修道士たちに呼ばれて去っていき、俺は中庭の隅でスクルドと並んで座り、ぼんやりと人の動きをながめていた。極度の緊張が解けて、清々しいような、けだるいような、解放感が心身をつつみこんでいる。

 グラン大聖堂を構成する建物のあちらこちらから勤めを終えた修道士が回廊をわたり、三々さんさん五々ごご語らいながら、料理の支度を手伝いはじめる。水を大甕おおがめに入れて運ぶ者、中庭に即席のバーベキュー台を組みあげて火をおこす者、畑から採ってきた野菜を水洗いする者。ホーリィの威徳が行きとどいているせいか、皆、かろやかに協業の輪にはいり、足りないところを見つけては埋めていく。

 作業の輪の中には、すでにセシアとユズハもいた。野菜のつまったかごを抱えて、こちらにむかって歩いてくる。ネネはホーリィの後ろを付いてまわり、ときおりホーリィが語る大聖堂の歴史や逸話に熱心にうなずいていたが、いまは姿が見えない。


「アタシが親なら、間違いなく変質者として騎士団に突きだすにゃ。

 まあ、グノスンのおっちゃんが許可したなら何も言うことはないけどにゃ。

 ――カガトはあの年齢まで守備範囲なのかにゃ。おっぱい好きだから成熟したほうが好みかとおもってたけど、アタシの立ち位置を見直す必要があるかもしれないにゃ。より年下っぽく、甘える感じのほうがガッツリ貢がせられるのかにゃ?」

「さすがに旅の同行までは認めてもらえなかったですね。でも、それが当たり前ですよ。もともと僧兵師範のグノスンどのが候補者として挙がっていたくらいなのですから。修道士見習いのスクルドでは荷が重すぎます。

 私たちが魔王討伐を果たすまで、おとなしく帰りを待っていてくださいね」


 半分説教がはいっているセシアの言葉を聞き流し、スクルドは笑顔で立ちあがる。


「もうすぐうちの誕生日。そしたら、うちも成人や。もう一回、お父ちゃんを説得して、すぐに姉さまたちに合流するから待っててや。

 こんなケダモノといっしょにいたら、姉さまの純潔はすぐに散らされるかもしれんからな。うちが守らな、いかんやろ」


 タッタッと元気に駆けだして抱きつき、セシアの持っていたかごを奪って、いっしょに歩きはじめた。

 一頭丸ごとの鹿肉はきれいさっぱり配分されて、一部はぶつ切りにされて香草をまぶした串焼きに、一部は細かくき肉にされてトマトと煮詰めてミートソースに、一部は保存食用として燻製くんせい小屋に運ばれていった。

 小一時間も経つと、バーベキュー台の串焼きから香ばしい匂いと煙が立ちのぼり、いつのまにか白いごはんがこんもりと盛られた木桶が中庭に登場していた。

 匂いに釣られて孤児院から子供たちがあふれだし、次々とテーブルに並べられるおいしそうな料理に我先にと群がっていく。年長者がバリケードをつくるものの、手と腕の隙間をかいくぐり、味見と称したつまみ食い競争があちこちで勃発していた。


「いつか俺にも子どもができたら、こんな感じかな」

「あなたの子どもはとても多くなりそうね」


 とうとつに後ろから声をかけられ、腕をすべらせてひっくり返りそうになった。

 上下反転した視界の先で、大神官のホーリィがニコニコと笑っている。


「スクルドと婚約したそうね」


 ――ぐふッ!

 今度は本当に倒れこみ、芝生を半回転して起きあがる。

 ホーリィはあいかわらずの笑顔。その後ろに影のようにネネが立っている。

 ここは言い訳をしたほうがよいのか。しかし、ホーリィもあの場のグノスン師匠と俺のやりとりは聞き及んでいるに違いない。

 とりあえず何か言わなければ、とあわてる俺を制するように、


「正直なところ、私もどうしてあげればよいのか迷っていたところなの。

 スクルドはとても頭がよくて、なんでもハキハキ主張してしまうから、同じ年頃の子たちからは浮いてしまって、大人たちからは疎まれて。神官として修身すれば大成する素質はあるけれど、魔王軍との戦いで皆、気持ちに余裕がなくなってね、あの子を持て余してしまっていたの。

 でも、あなたになら安心して任せられる気がするわ。すこし難しいところのある子だけど、大事にしてあげて」


 予想外の激励に俺が言葉を詰まらせていると、ホーリィは限りなく優しい声音で続けた。


「あの子に必要なものは友達よ。セシアに執着しているのも、おそらく彼女が同じ目線で語りあえた初めての友達だから。心の底から安心できる居場所を見つけたら、あの子はきっともう一段成長できるでしょうね。

 ほら、もうすでに変わりつつあるみたい。ここにきてからずっと背負っていた翳が消えて、生来の輝きにあふれているわ」


 ホーリィのまなざしの先に、他の子どもたちといっしょに屈託なく笑うスクルドの姿があった。

 そういえば、スクルドはひとりで薬草集めに森に出ていて、首狩りカマキリに襲われたのだ。複数人で行動していればそんな事態にはならなかったはずだ、といまさらながらに気がついた。

 まさに聖母のごとくホーリィはにっこりとほほ笑んだ。


「だから、私はあなたたちの婚約を祝福します」

 

 俺は「ありがとうございます」と深々と頭を下げる。

 ホーリィは、大神官という身分を離れても、その心の持つおおらかな愛によって尊敬を集めるに違いない。


「ところで、ホーリィ様」

「はい、なあに」


 ふと気になることがあって、話題を変える。


「スクルドとの婚約で気になったのですが、聖典教では修道士が結婚してもいいものなのですか?

 グノスン師匠が結婚しているから問題はないとおもいますが」


 元の世界の宗教のなかには妻帯を禁止するものもある。聖典教にもなにか縛りがあるのなら、スクルドも修道士を辞めなくてはならなくなるが。

 俺の質問にホーリィはお腹を抱えて笑った。


「良いに決まってるじゃない。さすがにカガトは異界から召喚されただけあって、おかしなことを聞くわね。

 聖典教にもいくつか分派があるけれど、結婚してはいけないという教義を掲げているところはありませんよ」


 そうなのか、とひとつ得心しつつ、ついでなので「聖典教」について大神官直々に講義を受けてみることにした。いままでの周回ではこういう背景的な部分は攻略に関係しないかぎり放置してきたわけだが、この世界に根をおろしてハーレムを築くと決めた以上、基本的な部分はしっかりと押さえておかなければならない。

 嫁たちとせっかく良い雰囲気になったところで知らず知らずのうちに地雷を踏んで愛憎度がだだ下がり、というのは避けたいところである。


「……ボクも聞きたい」


 ネネがホーリィの後ろの影から半歩前に踏みだしてくる。子どもたちがはしゃぎまわる場の空気は苦手だが、自らの知識欲には逆らえないらしい。


「いいでしょう。ご飯をいただきながら、私たち聖典教のことについてすこしお話ししましょうね」


 大神官ホーリィが中庭に並べられたテーブルのひとつに腰かけると、まわりに子供たちが鈴なりに集まってきた。本当の祖母のようにホーリィが手ずから肉を串からはずしてナイフで切りわけ、小さな子どもたちでも食べやすいように木の皿に盛りつけていく。


「こら、食べる前に感謝の祈りを忘れないように」


 香ばしい匂いに耐えきれず、ご馳走にむしゃぶりつく男の子の首根っこを押さえて、みんなでいっしょに「聖なる円環のもと、恵みを与えし万物に感謝をささげます」と唱和する。

 仕事を終えたセシアとスクルド、ユズハも俺の隣りに陣取り、ネネも飲み物を運んできて俺の前に腰かけた。

 あたりは日が沈んだ後の薄暮はくぼ。グラン大聖堂の各建物と回廊に魔法の青白い灯りがともり、中庭のテーブルの上にもロープが渡されて、ランタンがいくつも吊り下げられている。


「そうね。何から話しましょうか。

 カガトは聖典教について、どの程度知っているのかしら」

「申し訳ないですが、何も知りません」


 ホーリィは「そうよね」とニコニコとうなずき、


「では、最初の最初から話しましょう」


 ホーリィの話をまとめると、こんな感じだ。

 聖典教とは、正式名称を「アーカイヴ聖典教」という。

 ホーリィが大神官をつとめるのは、その中の最大派閥「ダウ派」。「ダウ」とは「肯定する」という意味をもつ単語で、他に否定の意味をもつナン派がある。

 アーカイヴ聖典教があがめる神は、創造神アーカイヴ。この世界グランイマジニカの創造主であり、代表的な7つの人種を含め、あらゆる生命の父であり母である。

 ダウ派では、アーカイヴに祈りを捧げるときに「全知無能のアーカイヴ」と唱える。アーカイヴは全てを知っているが、自らこの世界に干渉することはない。つまり、グランイマジニカに対して無能であるから「全知無能のアーカイヴ」となるのがダウ派の教義の根幹だ。

 創造神アーカイヴは何もしないが、全てを視て、全てを記憶している。

 アーカイヴの子はたとえ他の者が誰も見ていなくとも、アーカイヴに知られてじるようなことはしてはならない。人智を超えた神にすがるのではなく、隣人同士が助け合い、譲り合いながら生きていかなければならない。助け合うためには自然の営みや自然な感情を尊重し、互いに違うことは違うものとして認め合う柔軟さが必要となる。

 一方、ナン派はアーカイヴの「無能」を「否定」する。

 ナン派は、祈りの言葉に「全知全能のアーカイヴ」を用い、人は自ら律することができず、アーカイヴの教えに従って生きるべきと説く。

 創造神に身を委ねる者のみが、全知全能のアーカイヴに救われる、と。

 教義に大きく隔たりがあるものの、グランイマジニカの7つの人種の大半が共通してアーカイヴを信仰するのは、アーカイヴには「語りかけると答えてくれる」というわかりやすい「奇跡」があるからだという。

 具体的には、高位の神官が物や人に対峙して意識を集中すると、名前や簡単な説明が文字となって認識できるらしい。

 俺もすでに「ウィンドウ」として体験しているが、ホーリィの話によると、アーカイヴがどこまで答えてくれるか、つまり情報の精度は問いかける人物の知識や洞察力に比例する。ゆえに、この情報表示はあくまで自分の意識下または無意識下の知識が反射されているだけ。創造神アーカイブが新たな知識を授けているわけではない。

 これもあくまでも「無能性」を信奉するダウ派の見解であって、ナン派はこれこそアーカイヴの「全能性」をあらわす事象だと主張する。

 異なる宗派間の論争など、どこまで行っても平行線に違いない。

 ホーリィはアーカイヴのことをおおまかに語り終えると、子どもたちがさんざんに食い散らかした大皿を片付けて、俺たち勇者一行を中庭の中心へといざなった。

 すでに星あかりが樹間に見え隠れし、小さな子どもたちは眠気に舟をこぎはじめている。大聖堂の朝の務めは早く、夜に灯りを長々とともしつづけるほど魔石に余裕があるわけでもない。

 ここらで首狩りカマキリの一件で中断していた「勇者の紋章」の儀式を再開し、宴の閉会宣言とするらしい。


「私たち聖典教は、勇者一行に世界の命運のすべてを委ね、安全の場所からただ旅の成功を祈るだけ、という消極性を好みません。全力でカガトたちをサポートさせてもらうわ。

 各地の教会に大神官の名で使者を出しました。勇者とその仲間が毒や呪いを受けたときは他の患者に優先して回復措置をすること、周辺の偵察で得た情報は勇者にまっさきに提供すること。

 だから、新しい街についたら、まず聖典教会に顔を見せてね」


 たしかにホーリィの言うとおり、各地の教会では状態異常の回復をしてくれる。しかし、有料なのは自律をたっとぶ教義ゆえなのか。

 食事用のテーブルも片づけられ、ひろくなった中庭の中央で、小さな大神官ホーリィが胸もとにさげられた聖円を夜空に高々とかかげた。


「勇者リクの意志を継ぐものの証として『リクの紋章』を勇者カガトに授けます。

 さあ、カガト、前へ」


 威厳ある声に押しだされて、ホーリィの正面に立つ。


「我、紋章の番人たるホーリィ・ロングネックは、全知無能のアーカイヴに問う。

 安息と調和、再生と変化にしたがいし勇者リクの紋章は我が右手に眠れるや。

 停滞と流転、破壊と断絶をしたがいし勇者リクの紋章は我が右手に眠れるや」


 詠唱に呼応するようにホーリィのしわだらけの右手が青白く輝く。そこに浮き出る紋章は鳥型ではなく七芒星しちぼうせい六芒星ろくぼうせいのような安定感はなく、いまにも転がりそうな7つの棘をもった危うげな光のかたち。


「はじまりのの紋章を七芒しちぼうの意志を継ぐカガト・シアキに授けることあたうか」


 ホーリィの言葉にしたがって輝く七芒星が宙に浮かびあがり、そのままゆっくりと俺の右手に降りてくる。

 この儀式は毎周必須の固定イベントだが、いままでの周回では最初に案内された「龍公女ウルティアの大会堂」の中で行われていた。星空のもとで紋章が輝くのは初めて。本物の星が舞い降りたような幻想的な光景であった。

 「リクの紋章」が宿った右手を俺が天にむかって突きあげると、腕をおろしたホーリィがおごそかに宣言した。


「全知無能のアーカイブよ。はじまりの勇者リクよ。どうか見届けてください。

 勇者カガト・シアキの英雄譚を。魔王討伐にいたる物語を。私たち聖典教は、勇者カガト・シアキを助け、共に世界に安寧をもたらすことを誓います」


 他の修道士たちも各々の「聖円」に手をあてがい唱和する。


『私たち聖典教は、勇者カガト・シアキを助け、共に世界に安寧をもたらすことを誓います』


 人々の祈りを受けてリクの紋章が熱を帯びる。それはあたかも俺に「勇者」としての覚悟を問うかのように。青白い輝きが消えて、右手に薄くあざのように残る紋章に、30周を共に過ごした相棒に、俺は優しく言葉をかけた。


「また今日からいっしょの旅だな。

 真のラスボスを倒すのは当たり前。この周回ではその向こう、世界の限界を超えて俺がイチャイチャラブラブのハーレムをつくるまで、いっしょに来てもらうから覚悟しておけよ」


 紋章はじんじんと熱を伝えてくる。

 果たして、喜んでいるのか、あきれているのか。大聖堂の空に散らばる星は美しく瞬いていた。

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