3-6 宿屋の秘密 その1

 長かった1日が無事、終了した。

 グランイマジニカの歴史に刻まれるであろう勇者パーティーの結成日にして、俺の生涯に記憶されるであろうセシア、ネネ、ユズハとの婚約記念日、付け加えるなら、3つものサブシナリオを1日で達成した日でもある。

 いや、終了というにはまだ早いか。夜はまだ、はじまったばかりなのだから。


「調度品は簡素ですが、清潔感があってなかなか良い宿ですね」


 本日の宿「旅のとびら亭」の一室にて、俺はやや緊張した面持ちで意味もなく枕カバーのしわを伸ばしていた。


「ああ、そうだな。1泊100ゴールドと庶民的な値段で、食堂の料理もうまい」

「夕食に出された里芋の煮物。下処理がしっかりしているのか雑味がなくて、素朴なのに後引く美味しさでした。

 騎士団の食堂も評判が高いのですが、甲乙つけがたいとおもいます」

「つぎはチキンカツを注文してみるといい。揚げ具合が絶妙なんだ」

「はい。ごはんが楽しみだと明日もがんばろうという気持ちになりますね」


 斜め向かいのベッドにセシアが腰かけ、木枠がギシッときしんだ。

 正方形の寝室には四隅にベッドがひとつずつ。寝室の手前に6畳の居間があり、簡単なイスとテーブルがすえられている。居間に布団を敷くことで最大8人部屋となるらしいが、ネネとユズハは風呂に行ったきり戻ってこず、いまはセシアと俺の2人きりだ。

 話題が尽きて沈黙がおとずれると鋭敏になりすぎた感覚がセシアの吐息やこかまな挙措でも刺激され、股間の緊張と連動してしまうので、俺は早口で問いかけた。


「初日からあれだけの数のスライムを相手にすると、騎士団で鍛えているセシアでもさすがに疲れたのではないか」


 サブシナリオの共闘のおかげで愛憎度が☆ひとつに改善したセシアは、翡翠色の瞳をまっすぐに俺にむけてほほえんだ。

 よこしまな欲望を浄化してしまうほど純粋で美しい笑顔だ。


「いえ、あのくらいでをあげているようでは騎士団の勤めは果たせません。

 けれど、カガトどのの無駄のない体さばきには感服いたしました。あまたの戦場をくぐりぬけた歴戦の騎士のような冷静沈着さで、四方から押しよせるスライムの攻撃をことごとく紙一重で避けていくのですから」

「セシアが隣りにいてくれたおかげだ。

 肩をならべて戦うことのできる仲間がいるから、死角をしぼり、攻撃のくる範囲を予想して対処することができる。これからも頼りにしている」

「はい! まかせてください!」


 頬を上気させて、ピロリン♪ と愛憎度が上昇する。

 セシアの好悪の判断はわかりやすい。騎士道に従う行動、たとえば民を守ったり、ともに戦ったりすることで好意が増し、騎士道に反する行動、たとえば嘘をついたり、敵から逃げたりすることで嫌悪の対象となる。

【愛憎度】 ☆/-/-/-/-/-/- (F級 もう少し信じてみよう)

 素直な好意をみせられるとおもわず気持ちが暴走しそうになるが、まだまだF級。軽率な行動が愛憎度の大暴落につながる危険を考えると、C級あたりまでうかつなことはできない。

 俺はほんのりと漂ってくるセシアの甘い香りに生唾を飲みこみつつ、欲情に耐えた。そう、浴場といえば、


「ネネたちは遅いな。ユズハは猫人ケットだから風呂はさっさとあがってきそうだけれど」

「スライム退治で疲れたのでしょう。ユズハどのも子猫を追いかけてあちこち駆けまわっていましたから汗をかいたでしょうし。

 それにカガトどの、猫人ケットが風呂嫌いというのは偏見ですよ。猫人ケットたちが『耳や尻尾を洗うのは気持ちよい』と話しているのを聞いたことがありますから」


 ここ「旅のとびら亭」の1階には男女兼用の風呂場がある。

 小さな木桶風呂が置いてあるだけだが、湯船につかれるのは心底ありがたい。風呂の順番決めのときにネネが光の文字で語った薀蓄うんちくによれば、グランイマジニカではずいぶん前に魔石を燃料とした風呂釜が開発されていて、地方の民家にはまだ普及していないものの、宿屋や王都の中流階級以上の家庭では珍しくないらしい。

 じゃんけんの結果、俺、セシア、ネネ、ユズハの順で風呂に入ることなったものの、ネネが意外に長風呂で、待ちきれなくなったユズハが「いっしょに入ってくるにゃ!」と飛びだしていってしまった。木桶風呂にふたりではいることは難しそうだが、洗い場を交互につかうことは可能だろう。

 森閑しんかんとした室内に、シュッ、シュッ、とセシアが髪をすく音だけが響いている。

 セシアの部屋着は飾りけのない薄緑色のパジャマだ。中にノースリーブを着ているものの、胸が大きすぎてパジャマの第一と第二ボタンが留められず、首すじから鎖骨さこつのあたりまで白い肌があらわになっている。

 くしを動かす所作にあわせて、ぷるん、ぷるん、とダイナミックに揺れるところを見ると、ブラはつけていないのだろう。もちろん、これから寝るのだからブラをつけていなくても不自然ではないのだが、同室に俺という男がいるのにこの無防備ぶり。


 ひょっとして、誘っているのか?

 まさか、この世界にはブラジャーという概念自体が存在していないのか!?


 俺がひとり身悶みもだえしていると、セシアが下から覗きこむように、


「カガトどの、苦しいのですか?

 もしやポイズンスライムの毒を浴びていたとか」


 眉根をよせて心配そうに問いかけてくる。

 このアングルだと重力に支配された胸の重みでパジャマもシャツも大きくたわみ、危険なほど胸の谷間の奥まで見えてしまう。

 俺はあわてて元気になりかけた股間をおさえた。


「いや、セシアみたいな美人とふたりきりになると緊張してしまって。

 ダメだな。イチャイチャラブラブになることが夢だと宣言しておきながら、実際に女性と付きあった経験がないから、こういう場面で気のきいた口説き文句のひとつもおもいつかない」


 軽い調子で言ってみたが、セシアは物憂げな表情になってしまった。

 ブブー!と警告音は鳴っていないので、地雷を踏んだわけではなさそうだが。

 セシアは俺のほうを見ることもなく、自嘲気味につぶやいた。


「正直、私は自分の容姿をほめられることが好きではありません。

 お前は女なのだから他の貴族の娘のように結婚して家庭に入ればよい、と暗に言われているような気がして」


 長く深く嘆息してから、


「それよりも私は、ひとりの騎士として認められたかったのです。

 父のように王国を守護する盾として、騎士団の仲間たちと共に、アリシア姫を、そして、このリンカーン王国の民を守りたかった。

 けれど、実際の私は守られてばかりで。私が女に生まれたばかりに」


 声をつまらせて、頬にひとすじの涙がこぼれた。

 面接のときにも語っていたが、魔王軍との決戦から外されたことをセシアはいまでも納得できずにいるのだろう。だが、過去に囚われていてはここから先の成長が見込めない。勇気と無謀をはき違えて特攻したり、無用の意地を張って死地に踏みとどまったり、いつか取り返しのつかない失態につながるかもしれない。

 そんなことはセシアの亡き父も望んでいなかったはずだ。

 俺は精神がおっさんゆえ、親目線での苦言を呈さずにはいられなかった。


「セシア、よく聞いてほしい」

「はい。なんでしょうか」


 あらたまった俺の態度にセシアは指先で涙をぬぐうと、居ずまいを正して俺に向きなおった。目のまわりをわずかに腫らせた泣き顔も惚れ惚れとするほど美しい。

 

「君は根本的なところを誤解しているようだ」


 怪訝けげんな表情を浮かべるセシア。

 俺は単刀直入に切りこんだ。


「君が魔王軍との決戦から外されたのは、女だからじゃない。

 ただ単に弱かったからだ」 


 ごくりと唾を飲みこみ、セシアの顔面が蒼白となる。

 ブブー! とは鳴らない。本人もどこかで自覚はしていたのだろう。

 俺が指摘したことが真実に近いと。


「よく考えてみてほしい。君はまだ騎士団にはいって間もない駆けだしだ。経験も浅く、魔物との戦闘でどれほど役に立つかもわからない。

 俺が上官だったとしても君をはずしただろう。女であろうと男であろうと関係なく、自分の命も定かではない総力戦で、経験の浅い隊員にこまかな指示を与える余裕など無いからだ。

 それに、多くの人命が失われることを覚悟した決戦であればこそ、次代を担う有望な芽は残そうとする。組織とはそういうものだ」

 

 セシアの瞳がまたうるみ、涙がはらはらとこぼれた。


「未熟なことはわかっています。

 だから、女であることを捨て、騎士としての鍛錬を積みたいと――」

「女であることを捨てる必要がどこにある。

 弱いことを女であることにすり替えているのは、君自身だ」


 俺がぴしゃりと言うと、セシアが驚いたように目を見開いた。

 

「たしかに男のほうが筋力はつきやすいが、柔軟性と持久力は女が勝る。力押しではなく、速度と精度で圧倒すれば、十分に男を凌駕することができる」

「けれど、私の理想とする騎士は、仲間や民衆を守り、盾となる騎士なのです。

 力負けしない筋力と攻撃に耐えうる体力がなければ、誰も守りきれないではありませんか」


 俺はベッドとベッドの間に立ちあがると、ボクシングのファイティングポーズのように両手を軽く前に突きだして構えた。ただし、こぶしをにぎっていないので、ウル〇ラマンのポーズのようになっている。

 

「力にたよらない守りの技術もある。

 盾をつかう方法もあるが、まずは素手で実演してみよう。

 試しに、俺にこぶしを打ちこんできてくれないか」

「いいのですか? 本気でいきますよ。

 騎士には格闘の訓練も課されます。怪我をさせてしまったら、ヒールで治しますから安心してください」


 セシアも立ちあがり、こぶしを構えた。


 しまった!


 俺はひそかに後悔した。 

 パジャマ姿のセシアが腕を持ちあげると、腕と腕との間で幅寄せされた爆乳がいまにもボタンを弾きとばしそうな量感をたたえている。拳をふるうために身体を左右に揺することで、たぷんたぷんとおっぱいが波打ち、あまりのエロさに俺の股間のこぶしが先に強烈なアッパーカットを放つのではないかと不安につつまれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る