3-5 王都のサブシナリオ


「カガト、そっちに行ったにゃ!」

「あ、かどを曲がりました」

「……ハア、ハア、ボク、走るのは苦手だから」


 俺の視線のはるか先を、黒い子猫が疾走する。


「クソ、まったく!」


 悪態をついて子猫が駆けあがっていった民家の雨どいをつかみ、塀をよじ登り、いりくんだ住宅の屋根づたいに上へ上へとのぼっていく。

 もうすぐ夕日も沈む。王都の密集したいらかが金色のさざ波のように光を照りかえしていたが、いまの俺にその美しい情景にひたる余裕はない。 


「ミャア、ミャア」


 子猫のおびえた声が教会の尖塔せんとうから聞こえてくる。

 なぜそんな高いところに登れたんだ、という疑念がわくが、追いかけないと子猫の命が危ない。

 聖円せいえんと呼ばれるリング状の教会のシンボルマーク。王都のなかでもひときわ高い塔の、そのまたてっぺん、直径1メートルほどの白銀の輪の底部に、しがみつく子猫のシルエットが見えた。


「カガトどの、気をつけてください」

「子猫がおびえてるにゃ。

 もっと優しい顔をするにゃ」


 下からの応援と野次を受けて、すべり落ちそうになる屋根の斜面を手もつかいながら慎重に這いすすむ。


「大丈夫だ。恐くない。恐くないぞ。

 お母さんが待ってる」


 教会の青い屋根に斜めになって踏んばりながら、猫撫で声でニボシをフリフリ、子猫を誘う。

 子猫は「ミャア」と力なく鳴き、イヤイヤと首を振った。


「動くなよ。ここから落ちると、いくら猫でも怪我するぞ」


 教会の尖塔は両手でぎりぎり抱えられるくらいの太さがあり、先にいくほど細くなる。屋根から尖塔の先端、子猫の場所まではまだ3メートルはあるだろう。

 わずかな取っかかりを靴裏で確かめながらじりじりと上半身をせりあげ、あともう少しで手が届くというところで、篭手こてがリング状の聖円に触れて、カチン、と甲高く鳴った。


「――ミギャ!!」


 おどろいて飛びおりた子猫をすんでのところでキャッチしたものの、両手を尖塔から離したら、さすがに足がもたない。


「落ちるにゃ!」

「カガトどの!」


 子猫を抱きかかえたまま肩から屋根に激突してバウンドし、そのまま夕暮れの路地へと落下していく。

 高さはゆうに5階建てはあるだろう。まともに墜落すれば、骨折では済まない。

 だが、と俺は不敵に笑った。

 31周目のカガト・シアキにはS級装備「天馬の靴」がある。

 薄闇にぼんやりと白く浮かぶ石畳が急速に迫るなか、落下する足先から半透明の翼が勢いよくひろがり、ふわりと姿勢を持ちなおす。

 天馬の靴の特殊効果、落下ダメージ無効化が発動したのだ。そのままゆっくりと落下していき、最後にトンと小さな音をたてて着地すると、半透明の翼が霧散する。

 俺が無傷の子猫を抱えあげると、路地にいた王都の住人たちから一斉に拍手喝采がわきおこった。


「兄ちゃん、やるな」

「どんな魔法なんだ、それ」


 ユズハが子猫を受けとりながら「勇者だから、当然にゃ」と胸をはると、たちまち俺の前に人だかりができあがった。

 「あなたが勇者さま? まだ子どものように見えるけど」「勇者さま、どうか世界をお救いください」「あの恐ろしい魔王を倒せるのは勇者さましかいません」「息子の仇をとってくれ!」と多くの手が俺の腕をとり、鎧にすがり、願いを積みあげる。

 俺も勇者として30回近く世界を救ってきたベテランだ。

 こういう扱いにもいいかげん場慣れしてきている。


「皆さん、安心してください。

 勇者カガト・シアキが必ず魔王を倒し、世界に平和を、魔物におびえることのない日常を取りもどします!」


 群衆に笑顔を振りまき、近くにいたおばあさんの手をとって「もうすこしの辛抱だから、俺が凱旋するまで健康でいてください」と励まし、腕に組みついてくる子供には、そのまま持ちあげて「そーら、勇者大回転だ!」とぐるぐる振りまわす。

 百人近くは集まっただろうか。ひとりずつ丁寧に声をかけ、握手し、俺に与えられた勇者としての役割、すなわち魔物との戦いに疲弊した人々に希望を与える仕事を全うする。

 朝から働きつづけて、もう肉体も精神も疲労ひろう困憊こんぱいのはずだが、元の世界でつちかってきた社畜のタフネスはいきているらしい。

 ピロリン♪ ピロピロリン♪ 好感度上昇のシグナルが鳴りつづけ、勇者をとりかこむ人々の表情はみるみる明るくなっていく。

 なりゆきで人助けならぬ猫助けまでしたわけだが、こうして不安におののく人々にすこしでも安心感を与え、子どもたちの笑顔を見るのも悪くない。

 なにより、パーティーを組む婚約者たち、とりわけセシアの愛憎度が上昇し、●から☆に回復したのは心底ありがたかった。

【愛憎度】 ☆/-/-/-/-/-/- (F級 悪い人ではないはず)

 聖騎士の鎧を身につけたセシアがとなりを歩いている。


「カガトどのはまじめに振るまえば、理想的な勇者なのですが」

「俺はいつだってまじめだ。まじめにセシア、ネネ、ユズハと結婚して、みんなとイチャイチャでラブラブな生活をしたいと考えている」

「そういうところが尊敬できないのです!」


 ユズハは前で尻尾をふりふり、


「あの子猫、名前がミーシャというらしいにゃ。女の子にゃ。

 母猫にも子猫にも、カガトが女に甘いのは種族を問わないのにゃね」

 

 クスクスと笑う。

 一番後ろをついてくるネネは手に持った杖を地面につきながら、


「……疲れた。こんなに動いたの、いつぶりかな。

 でも……みんなが喜んでくれて、ちょっとうれしい」


 笑みを浮かべて、見られるのが恥ずかしいのか三角帽子を引きさげた。


「みんな、今日はありがとう。

 セシア、ネネ、ユズハがパーティーメンバーで本当に良かった」


 子猫を無事に母猫のもとへと返し、宿へと帰る道すがら、全身をおおう倦怠感を引きずりながらも俺は充実していた。

 今日は本当に疲れた。レベル1にもどった影響で体力がわずかしかないという要因もあるが、半日でこれだけのサブシナリオをこなしたのは新記録ではないだろうか。

 近づきつつある宿のあかりをみとめて、今日一日の出来事が走馬灯のように(死亡フラグではないと自分に言い聞かせつつ)頭をよぎるのであった。


 ◇


 「旅のとびら亭」の部屋で各自装備品に着替えたあと(自然な流れでいっしょに部屋に入ったものの、きっちり俺だけ部屋から追いだされた)、俺は馬車をとりあつかう馬装具店に、セシア、ネネ、ユズハの3人はそれぞれ旅の携行品の買いだしへと出かけていった。

 目当ての掘りだしものを見つけた俺が馬装具店の店主と値段の交渉をしている間に、他の3人は三者三様にサブシナリオを拾ってきてしまったらしい。

 まず、セシアが「おつかい連鎖」のフラグをたてた。

 これはリンカーン王都の主要施設を紹介するためのチュートリアルイベントで、オッズ・レミント(宿屋に俺を迎えにきた聖騎士のおっさん)から騎士団の訓練用に使用する「ヒノキの棒」を10本、武器屋から引きとってくるよう依頼を受けるところからはじまる。

 いまさらチュートリアルなど、まったくもって俺には不要だが、武器屋にむかう途中のセシアと合流し、愛憎度上昇の打算もあって「おつかい連鎖」につきあうことにしたわけだ。わかっていたことではあるが、武器屋で、


「ヒノキの棒の仕上げのための研磨剤けんまざいが不足していてね。

 すまないが、道具屋でもらってきてくれないか」


 と頼まれ、道具屋の女将からは、


「だんなが教会に届け物をしにいって、まだ帰ってこないんだよ。

 わたしは店番でここを離れられないからさ、勇者さま、うちのだんなを『いい加減にしな!』と呼び戻してきてもらえないかい」


 と懇請され、教会の神父からは、


「道具屋のご主人なら、いましがた宿屋のほうに歩いていきましたよ」


 と聞かされ、宿屋では、


「道具屋の主人なら、昼間から酒をひっかけて帰ったところだよ。

 まあ、あいつも入り婿でかみさんに頭があがらないからさ、たまには鬱憤うっぷん晴らしも必要なのさ。大目に見てやりな」


 と諭された。

 結局、道具屋にもどって女将に説教されている亭主から研磨剤を受けとると、それを武器屋に持っていき、仕上げ作業後の「ヒノキの棒」10本をもらいうけて、最後にオッズ・レミントに会って、


「ご苦労さん。こいつは駄賃だ」


 イベント報酬として「ヒノキの棒」1本をもらったときには、ずっしりと足に疲労がたまっていた。

 そこにネネが息をきらせてあらわれて、


「……ハア、ハア、ス、ラ、イ、ムだ」


 言葉が出てこないのがもどかしく、急いで光の文字を宙に浮かべる。


『王都の近くでスライムがあふれて、みんな困っている。

 ボクだけだと不安だから、カガト、お願い。付いてきて』


 サブシナリオ「スライム退治」の開始である。

 こちらは戦闘チュートリアルとなっていて、スライム×3匹のグループを3セット倒すというシンプルな内容のはずだった。

 さっさと終わらせて一休みしたい俺は、ネネの案内を追いこして記憶にある「スライム退治」の発生ポイントへとむかった。

 現場はリンカーン王都の西の城門から出てすぐの田んぼ。西洋風の街並みからは不釣り合いな純日本風の水田が延々とひろがる先に、時代劇に出てきそうな古風な水車小屋があり、木製の水車がカラカラとまわって水を引き揚げていた。

 スライムは魔力がたまった水から生まれる魔物である。いままでの周回で受けた説明によると、川から這いあがったスライムたちが周囲の魔力をとりこみ稲を枯らしてしまうため、害獣扱いになっているらしい。


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『 スライム 』

水場に沈殿した魔力が結晶化して魔石となり、周囲の水分をとりこんで魔物化した。目や耳に相当する感覚器官がなく、無差別に体内にとりこんだ水、土、動植物から魔力をこしとって排出する。

グランイマジニカでもっともポピュラーな魔物だが、毒や強酸をもった変異体も存在しているため、油断は禁物である。

【等 級】 F級(獣魔)

【タイプ】 スライム

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 セシアとネネが追いつくのを待たずに、田んぼのうねをせりあがってくる3体のスライムにむかって剣をかまえた。

 ここグランイマジニカのスライムはしずく型ではなく、巨大なナメクジのような姿をしている。感触はゼリーにちかく、表面はヌメッとしていて、かわいらしさなど微塵もない。

 攻撃方法は「圧しかかり」だけでたいしたダメージは受けないものの、体内にとりこまれると窒息する危険性があるため接近戦は要注意だ。残念ながら、服だけ溶けるという設定もない。

 足場の悪いなか半歩踏みこみ、一番手近なスライムの表皮を剣で撫で切るように水平に裂く。すると、ビニールから水が漏れでるように汚泥の臭いのする体液が流れだし、みるみるしぼんでいく。


「ネネ、ファイアボールだ」


 ようやく追いついてきたネネに指示を飛ばすと、息を整えつつ、


「我、魔の探究者たるネネ・ガンダウルフは、破壊と再生を司る炎の精霊に問う。

 我が右手になんじの力の結集けつじゅうたる炎弾はあるか」


 呪文の詠唱を開始する。闇夜の三角帽子の効果で、詠唱が終わる前に、ボウッ、と野球のボール大の炎がネネの右手に浮かんだ。


のものを焼き喰らえ! ファイアボール!」


 投げつけた炎の球はスライムの体にめりこみ、バシュッ、と濁った水蒸気を噴きあげる。スライムはそのまま塩をかけられたナメクジのように縮んで干からび、粘着質の残滓ざんしと小さな魔石がうねに転がった。


「カガトどの、残りは任せてください!」


 ネネの後ろから飛びだしたセシアが飛燕ひえんマサムネをひらめかせ、スライムにV字の軌跡が刻まれる。次の瞬間、水風船のように弾けとんだ。


呆気あっけないものですね」

「俺たちのいまの装備ならE級の魔物とも十分に戦える。が、過信は禁物だ。

 目の前の一体一体に集中し、実践経験を積むことを目標にしてほしい。ネネは後方から俺とセシアを援護してくれ。セシアは右から来るスライムを頼む。俺は左をさばく」

「……うん」

「承知しました!」


 そこから次々と湧きでるスライムをことごとく瞬殺し、「あれ?」と俺が気づいたときには倒した数が10を軽く超えていた。

 いままでの周回ではもう終わっていてよいはずの数だが、目の前には新たなスライムが続々と川から這いあがってきている。


「カガトどの、左右から同時に来ます!」

「ファイアボール!」


 混乱する頭のまま、俺は機械的に龍王の剣を振りつづけ、気がつけば、そこらじゅうに小さな魔石が散らばっていた。

 賢者の杖の特殊効果で補ってもなお消費が激しく、魔力が尽きたネネがへたりこみ、体力があるはずのセシアまでも剣を杖にして身体を支えている。

 スライムの発生が止まったことを確認してから魔石を拾い集めると、結局、100個以上集まった。田んぼに沈みこんで見失った魔石も含めれば、それ以上の数のスライムをさばいたことになる。

 

「二人とも大丈夫か」


 鉛のようになった腕でネネを助けおこすと、


「……ありがとう。手伝ってくれて。

 ボクひとりだったら、この量は無理だった」


 三角帽子のしたの黒髪が汗でぺったりと貼りついているが、ネネは満足そうにほほえんでいた。ピロピロリン♪ と愛憎度も上昇する。


「スライムは王都付近でもよく出没しますが、これほどの大量発生は聞いたことがありませんね。これもきっと魔王復活の影響でしょう。

 しかし、被害を未然に防ぐことができて幸いでした。この田園地帯の収穫量が減ると、王都に暮らす人々の食卓を支えることができず、魔王軍との前線を支える王国軍の兵站にも支障が出るところでした」


 ほっとした表情を浮かべるセシアとは裏腹に、俺の胸中には疑念が暗雲のようにたれこめていた。

 30周にもおよぶ俺の経験のなかで「スライム退治」がここまで過酷だったことはない。初回からこの大量発生に遭遇していたら間違いなく逃げるか死ぬかの二択しかなく、ゲームバランスが崩壊していただろう。

 あきらかにいままでの周回とは異なる展開。31周目がトリガーだったとは考えがたいから、やはり「愛憎度」の追加が影響しているのか。ならば、変容はどこまで俺の知識から乖離し、俺の明るいハーレム計画を侵食することになるのか。魔神城までの攻略ルートの再点検、想定される危険と対策、カオスドラゴンの捕獲の可能性、地震による世界崩壊の時期の変動、など思考がめまぐるしく流転する。

 考えがまとまらないまま疲弊した精神と身体を引きずって王都の城門をくぐると、黒猫を従えたユズハが仁王立ちで待ちかまえていた。


「街の外にでかけていると聞いたから、ここで待っていたにゃ。

 カガト、勇者の出番にゃ。

 迷子になった黒猫さんの子供をいっしょに探すのにゃ!」


 これがユズハのサブシナリオ「迷子の子猫」のはじまりだった。

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