1-4 カオスドラゴン

 カオスドラゴンのぬめりをおびた瞳が赤く輝き、大きく開かれたあぎとから真っ黒な霧が吐きだされた。

 カースブレス。

 呪いと石化の付与効果がついたカオスドラゴンの固有攻撃。石化は妖精王の鎧で無効化できるが、呪いは対処不能だ。

 黒い霧を浴びて、ダメージと共にまたしても呪いの効果が俺に降りかかる。ステータス上は「呪い」という単一表記で、効果も「集中力が低下し、攻撃力が半減する」とひとくくりにされているが、その体感内容は千差万別。

 カースブレスの呪いは、孤独と重圧だ。

 これがカオスドラゴンの成り立ちから来るものなのか、それともアリシア姫が魔王マーラと化した過程で生まれたものなのかはわからないが、俺の心に圧しかかるイメージは、息が詰まりそうな重圧、孤独、自己嫌悪、どこまでも続く墜落ついらく感といった、とにかく陰鬱いんうつそのものだ。

 立っているだけで吐きそうな鬱症状に耐え、アイテムボックスから聖水を取りだして飲みほす。


「この攻撃が地味に一番つらいな」


 カオスドラゴンはすでに霧状化を三度繰りかえしている。

 霧状化は体力が4分の1減るたびに行うから、つまり、4分の3の体力はすでに削ったということだ。カースブレス自体、体力が残りわずかになったときに行う特殊攻撃だから、俺の見立てに間違いはないだろう。

 そろそろ部位破壊も可能なはずだ。


 ガアルルルルル!!!


 頭上から降ってきた巨大な五指の爪を両手で構えた龍王の剣で受けきり、わずかにはじいた隙を狙って、剣を背負うように後ろに振りかぶり、足、腰、背中、肩、腕の筋肉を連動させて、竜巻のように渾身の力で斬り下げた。

 銀色の軌跡が半円をえがき、カオスドラゴンの分厚い二の腕を両断する。


 ―――シャアアアアァァア!!!


 爪をたてたままの腕が回転しながらはじけ飛び、ドン! と壁にあたって床に落ちた。血飛沫はなく、かわりに切断面から、とめどなく赤黒い霧が噴きだしてくる。

 俺は、怒り狂うカオスドラゴンの尻尾による薙ぎ払いを避けながら、壁ぎわまで後退すると、アイテムボックスから「聖魔せいま結晶けっしょう」を取りだした。


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『 聖魔せいま結晶けっしょう 』

魔力をとりだして空となった魔石に、封印の時空魔法をほどこした魔道具。

聖魔結晶は、アイテムボックスと同じく時空をとざす力をもち、魔物に触れることで内部の異空間へと封印する性質を有している。ただし、性能は魔石の質に左右されるため、魔力量の大きな魔物を封印するためには、同等以上の魔力量をそなえた魔石を材料とする必要がある。

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 俺の手のなかの聖魔結晶は、ちょうどニワトリの卵くらいの大きさで、琥珀のような半透明の黄土色をしている。ちぎれたカオスドラゴンの腕に聖魔結晶をあてがうと、丸太ぐらいの腕が小さくなりながら結晶のなかに吸いこまれていった。

 おもわず、ゲットだぜ、と叫びたくなる光景である。

 しかし、すぐに表面に亀裂がはいり、雛が卵からかえるように聖魔結晶の外殻がパリパリとはがれて、先ほどとは逆回転でカオスドラゴンの腕が大きくなりながら転がり出てきてしまった。

 ひび割れた聖魔結晶は完全に砕け散って、ただの黄色い砂となる。


「腕一本でも無理か」


 カオスドラゴンはS級の魔物である。予想はついていたが、B級の魔石を材料とした聖魔結晶では、一部といえども封印は無理ということだ。魔王マーラでもA級(魔王級)というこの世界で、S級(魔神級)などカオスドラゴンしか出会ったことがない。

 しかし、一度でも吸いこまれたということはカオスドラゴンも封印の対象にはなるということ。封印が可能であれば、俺の計画にもわずかながら光明がさしてくる。


「今回はこれで十分だ」


 明滅しはじめたカオスドラゴンに対峙たいじすると、龍王の剣を体の正面、中段にかまえた。

 ここからは正攻法でいく。

 実体化し、残り体力が少なくなったカオスドラゴンの攻撃は、回避不能の最速「噛みつき」、範囲攻撃となる長い尻尾による「横薙よこなぎ」、呪いと石化の付与効果がある「カースブレス」、そして、1分以上防御に徹し、体内の魔力を練りあげた後に放つ最強の「カオス・ノヴァ」のいずれかである。

 カオス・ノヴァは黒い球体の内部で高威力の爆発が連続して起こる攻撃で、球体自体の移動スピードは遅いものの、追尾効果があり、中に取りこまれると体力が全快の状態でも一撃で瀕死となる。


 ギギギガガガガガ!!!


 カオスドラゴンが「カオス・ノヴァ」の溜めにはいった。

 この無抵抗な1分間に、削れるだけ削っておかなければならない。

 俺は龍王の剣を縦横にふるい、カオスドラゴンの弱点となる首に斬りつける。

 一撃、二撃、三撃、四撃、五撃、六撃、七撃。

 ボゴッという濁った音とともに、黒い球体がゆっくりとカオスドラゴンの胸からわきでてくる。

 だが、あわてず騒がず。

 カオスドラゴンの噛みつきと横薙ぎの届かない距離まで逃げると、反転し、追いかけてくるカオス・ノヴァの黒い球体にあわせて等速で後退しながら、球体の表面をなでるように剣で裂き、それを幾度も繰りかえす。すると、黒い球体の内部が赤く明滅しはじめ、


 ―――ドドドドドッン!!


 とっさに構えた聖鞘エクスカリバーで爆風をふせぐ。

 カオス・ノヴァは対象を球体の内部に取りこんで、連続爆破によって超絶ダメージを与える技である。だが、武器で表面を刺激してやれば、爆発したくてうずうずしている魔力に引火して自滅する。

 俺がこれまでの戦いの経験から編みだした攻略法のひとつである。


 ガアルルルルル!!!


 必殺の攻撃を肩透かしされ、激昂げっこうしたカオスドラゴンが突進してきた。そして猛烈な速度で迫りくる首からの噛みつき攻撃が俺の腹をえぐる。


「――ゴハッ」


 高硬度を誇る妖精王の鎧のおかげで食いやぶられることはないが、みぞおちを突きあげるような痛撃に吐き気がこみあげてくる。

 体勢を立てなおすべく床を転がりながらカオスドラゴンの斜め前方へとすり抜けると、続いて振りはらわれた尻尾の横薙ぎを回避し、姿勢を低くたもったまま全速力でカオスドラゴンのふところに飛びこんだ。

 加速した勢いのまま、龍王の剣を赤黒くふくらんだカオスドラゴンの右胸に深々と突きたてる。そして、盾をはめた左手も柄に押しあてて、全身の力でねじりこんだ。


 ―――ギヤアアアアアアアア!!!!


 カオスドラゴンが断末魔の叫びをあげて巨体をのたうたせた。

 乱暴に振りまわされる腕や尾を避けて距離をとると、炎のように赤く輝いていた瞳から急速に光が失せ、半透明だった竜身がさらに希薄になっていく。

 俺はカオスドラゴンが死亡モーションにはいったことを確認すると、めあてのものを取り逃さないように慎重に目を凝らした。

 いままでも換金目的で回収したことはあったが、必須アイテムが増えてくると、アイテムボックスの枠の都合で放置することのほうが多くなり、そのうち関心すら失せてしまった。

 たしか心臓付近にあるはずだ。


「あった!」


 霧のように散っていくカオスドラゴンの胸の奥深く、背中に近いあたりに真紅しんくに輝く魔石を見いだした。

 他の魔物の魔石とはあきらかに異なる質感。宝石と見まごう美しさ。


『 魔石 254312ゴールド 』


 圧倒的な魔力量だが、ゴールドは町の換金所に持っていかなければ受けとれない。本当にこれがエンディングであれば、もはや無用の長物となるはずだった。

 すでに輪郭がおぼろに残るだけのカオスドラゴンの胴体に手を差しこむと、まったく手ごたえはなく、赤い霧が散らされて、わずかな渦を巻く。

 俺の指先が触れると同時に、浮かんでいた魔石がすとんと落ちた。


「おっと」


 床に叩きつけられる前にかろうじてつかんで、アイテムボックスに収納する。

 カオスドラゴンの残滓ざんしは、もう赤い霧のひとかけらも残っていない。

 左手首にはめた銀色のリング「結盟の腕輪」からアイテムボックスを開き、先ほど収納した魔石がきちんと収まっているかを念のため確認する。


「よし。これで実験の第一段階はクリアしたな」


 次は、この魔石を聖魔結晶に変換できるか。そして、最終的にカオスドラゴンの封印に使えるかどうか。

 試してみなくてはわからないが、諦めの悪さだけには自信がある。

 俺は魔王マーラであったアリシア王女を抱き起こし、文字通りお姫様だっこする。

 近くで見ると、本当に美しい顔をしている。

 青白くやつれてはいるものの、整った目鼻立ちは天使のような清純な気品に満ちあふれ、サラサラとこぼれおちるストレートの銀髪は、ずっと触っていたいなめらかさだ。

 まだ意識は戻らないものの、息はしているし、鼓動も弱いながら腕をとおして感じることができる。

 眉間にきざまれた懊悩おうのうのしわが痛々しいが、彼女がこの先をどう向きあっていくのか、俺はいまだ知らない。

 行く末をぜひ見てみたいと思うが、その願いが叶うかどうか。

 魔王の間の三つの窓に雷鳴がはしり、床が鳴動しはじめた。


「いよいよか」


 身がまえていると、まず天井が崩落をはじめ、外の光がすじとなって薄暗い室内にふりそそいだ。次いで、壁がパズルのように瓦解がかいし、青空が全景となってあたり一面にひろがる。最後に、床が一斉に抜けおちた。

 ふわり、と浮遊感があたりを支配する。崩れた床に足をつきながら、いっしょに落下する俺とアリシア姫。突風が周囲の石や砂を吹きとばし、腕にかかえた王女の黒いローブが盛大にはためいた。


「あ、ノーブラか」


 大きくあいた首まわりから形の良い乳房が見えた。ただし、突端は絶妙な服のはためきで隠れてしまっているが。

 小柄な割には豊満で柔らかそうなおっぱいに目を奪われ、さらに間近に見ようと覗きこんだとき、周囲に光の結界があらわれた。

 俺の足がしっかりと丸みを帯びた結界の底を踏みしめると、先ほどまでの浮遊感は消え失せて、王女の黒いローブも再び華奢な身体を秘密のベールで包みこむ。

 俺と王女は、シャボン玉のような輝く球体にとらわれて、そのまま高速で空に飛びあがると、速度を徐々に増して、雲を突き破り、蒼天そうてんを駆けぬける。

 視界の端で、遠く小さくなった魔神城が黒い沼地に崩れさるのが見えた。

 

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