第7話森の世界とサラリーマン⑥
リリアが走り去ってからどのくらい経っただろう。俺は仰向けに倒れながら、今までの人生で一番美しいはずの星空を眺めていた。
漆黒の夜空に、散りばめられたダイヤモンドが輝くような光景は、きっとどんなに芸術に疎い人でも感動させるだろう。
しかし、俺の気分は、かつてないほどに最悪だった。
「お前に何がわかる……か……。」
俺には、配慮が足りなかった。
あの子は、親を無くして、とても一人じゃ耐えきれないような悲しみを抱えて。それでも、強く生きようとしていたんだ。
あの口調も、態度も、自分は強いんだっていう、自分自身へのアピールだったんだと思う。
必死に自分を騙しているのに、いきなり本当の君は素直だなんて無神経な事を言われたら、怒るのも無理ないな。
ふー、と深いため息をついた。
そして、決意した。
「謝らなくちゃな、大人として。」
そう、俺は、大人だ。
サラリーマンとして、仕事をこなし、社会人としての責任というものを学んできた。
時には、自分に非がなかったとしても、謝らなければならないこともあった。
けど、今回はそんな大人のルールの話じゃない。悪いことをしたのだから謝る。そんなことは、小学生でもしていることだ。
だからこそ、大人である俺がきちんと守らなければならないルールなんだ。
「よっこい……しょっと!」
足は、動く。
俺はゆっくりと立ち上がったり、地面を踏みしめて、鼻から大量の空気を肺に送り込んだ。
周囲の焦げた木の臭いがしたが、不思議と嫌な臭いじゃない。
もしかしたら、謝っても許してくれないかもしれない。
もしかしたら、声をかけたとき逃げられるかもしれない。
もしかしたら、顔を見た瞬間黒焦げにされるかもしれない。
そこまで考えて、少し恐くなったので考えるのをやめた。今は、恐怖よりも謝らなければならない使命感のほうが勝っている。
基本的にビビりで優柔不断な俺だが、どうしてもまぁいいかと流せない時がある。例えば、親に感謝しないやつとか、朝のお天気お姉さんを見逃したときとか、人の大事な物を踏みにじるやつとかだ。
今まさに、まぁいいかですませてはいけないと思った。このままでは、俺は、俺自身を許せないと思ったんだ。
俺は、口から一気に息を吐き、そして走りだした。
でこぼこの、とても人が走れるような道ではない道を走った。
木々の枝が、葉が、むき出しの腕に擦り傷を作っても走った。
走りにくい室内履きで何度もこけそうになったが走った。
日が落ちて目印もなく、そこにリリアがいることを信じて、ただただ走った。この二本の足が大地を踏みしめる限り、どこまでも走ってやる。そんな気持ちだったが俺は、走るのを止めた。
「はぁー、はぁー……うぇ……も……もう、無理……。走れん……。」
体力の限界だった。いや、走りたいよ? 走りたいけどこれは、仕方ない、うん、仕方ない。もう無理、走れない。
肺が、とにかく酸素を要求してきた。心臓も、パンクロックのドラム並みのビートを刻んでいた。こんなハイテンポだったらギターは指が裂けるな、などとくだらない事が頭に浮かんだ。
ひとまず、膝に手をつき呼吸を整えることにした。木とサンダルと暗闇で走りにくさのスリーポイントシュートが決まっている状態だ、そもそも気持ちでどうにかなる問題じゃない。
ひとまず冷静になろう、そもそも、リリアがどこに向かったのかもわからないんだ、闇雲に走って見つかるわけがないじゃないか。俺はアホか。
とりあえず、村長の家がある集落の明かりは見えるから、まだそんなに遠くへは来ていないな。
ここからは歩いて探そう、とにかく、行動することが大事だ、と自分に言い聞かせることにした。
と、その時、ぽつんと、鼻の上に水滴が落ちてきた。
「んん?」
次第に水滴は数と質量を増し、そして周囲の木々にぶつかる音が鳴り始めた。
「こんな時に雨って……ついてなさすぎるだろ、俺。」
雨に打たれて何故だかふと、昔の事を思い出してしまった。
あれは、まだ俺が6歳の頃、ネギがはみだしたビニール袋をもった母さんとの帰り道での出来事だ。
真っ赤な夕焼けの中、車通りの少ない狭い道を母さんと手を繋ぎながら歩いていた。
「ママー、今日の晩御飯、なにー?」
幼い頃の俺が、母さんに尋ねた。母さんはいつ通りの優しい笑顔で答えた。
「今日はねー、りー君の大好きなハンバーグよー。」
「え。」
「どうしたの? ハンバーグじゃ嫌?」
母さんが困った顔で俺に視線を向けた。
「ううん、ただ、いかにもネギを使った料理をしそうだったのに使わないんだなぁって思ったの。」
「りー君て、時々、かわいくない事言うわねぇー。」
そんな、なんてことない日常の会話。しかし、次の瞬間、どん、と鈍い音がした。
気が付いた時には、俺の目の前に倒れた母さんが横たわっていた。
「ママ! ママ! 起きてよ!」
横たわった母さんを揺すりながら、必死に呼びかけた。呼びかけているうちに、とても不安になって、気づいた時には涙と鼻水で俺の顔はぐしゃぐしゃになっていた。
「りー……君……。」
「ママ!」
「私は……大丈夫……。」
「ママ! しっかりして! 死んじゃやだよ!」
「ママはね……死なないよ……だって……。」
「ママ!」
「ヨガを……やっているもの……。」
「へ。」
ヨガとはなんなのか、それを考える間もなく母さんは、意識を失った。
「ママ! ママー!!」
夕立が、ぽつりぽつりと降り始めた、救急車が来た時には大粒の雨が俺の体を濡らしていた。俺は救急車には乗らず、偶然近くを取り掛かった近所のおばさんに手を引かれ家に帰った。
まぁ、結局母さんは無事だったからよかったが、その後、学校でヨガのすごさについて熱く語った結果、小学校卒業までの間、俺のあだ名は『ヨガマン』になった。これは、俺の思い出したくない過去、ベストスリーに入っている。そういえば、ヨガマンが理由で俺の初恋も儚く散ったんだっけ。あ、ヤバイ、なんか泣きそう。
いや、俺の黒歴史なんて今は、本当にどうでもいい!
重要なのは、きっと、今のリリアは、あの時の俺と同じ気持ちじゃないかってことだ。
母親を失った不安と孤独を、ずっと抱えているんだ。 俺に何ができるかは、わからない。けど、一緒にいることはできる。いつまで一緒にいるのかとか、俺なんかで、母親を失った出来事を埋められるのかとか、そんなことは、今の問題が解決したら考えればいい。
まずは、リリアの気持ちを確認すること、そして、仲直りすることが最優先事項だ。まだ、出会ってからそんなに時間もたっていないし、楽しかった出来事もそんなにない、むしろ、リリアには、ひどい目に合わされてばかりだ。けど、それでも、あんな顔見たら、ほっとけるわけがない。
歩きながら、リリアについて考えていると、一瞬、爆音と共に空が真っ白に光った。そして、続けざまに二度、三度と同じ方向から爆音と発光は繰り返された。
リリアだ。そう思った時にはすでに、駆け出していた。走る元気なんて、とっくに無くなっていたが、それでも残り少ない体力を振り絞り走り続けた。明日、絶対筋肉痛だ。仲直りできたら、リリアにマッサージでもしてもらうかな。金髪ロリっ子のマッサージ。 俄然、やる気が出るじゃないか!
だんだん、音が近づいてきた、そして、木々のない少し開けた場所にでた。
木々に囲まれた広場の真ん中に、白く輝く物体が、バチバチとスパーク音をたてている。
よくみると、周囲には無数のモンスターが黒焦げになっていた。あれはきっと、村長の言っていたフォレストバードなんじゃないだろうか。
ざっと見たところ、5、6体はいるようだが、動くものは1体もいない。
その、凄惨な光景に俺はごくりと、生唾を飲み込んだ。
「リリ……。」
「来るな!」
凄まじい衝撃と共に、俺とリリアの間に雷が落ちた。いや、リリアが落としたのだ。
足がすくむ、一発でも掠めれば、俺は、あのモンスターと同じ運命をたどる事になるだろう。
とにかく、リリアを落ち着かせなければならない、けど、いったい何を言えばいいんだ?
ごめんなさい? 俺が悪かった? 違う、きっとリリアはそんな言葉は望んでないんだ。あの子は寂しがっているはずなんだ。それなら、俺は、一体どんな言葉をかけてやればいいんだ?
「お前も……。」
「え?」
俺が何も話さない事に、痺れを切らしたのか、リリアがぽつりと話し始めた。
「お前も、いなくなっちゃうんだ……。」
「お前も、パパやママや師匠みたいに、私の近くからいなくなっちゃうんだ!!」
リリアが叫ぶと同時に、まるで空が怒り狂った様に大量の雷が落ちてきた。落下箇所には法則性がなく、ただ闇雲に落としているようだ。俺は、腕を上げて、顔をかばった。あまりの眩しさに、ほとんど目は開けられない。一瞬、光を見ただけで、視界は真っ白になってしまった。
今すぐ逃げ出したい衝動に駆られた。しかし、ここで逃げたら、きっとこの子はどこかへ行ってしまうだろう。そして、二度と会えなくなる予感がした。それだけは、絶対にダメだ、と恐怖に染まりかけた思考を無理やり抑え込んだ。
そしてリリアの言葉に耳を傾けた。
「私は、もう、誰かに置いて行かれるのは嫌! 私は、独りぼっちは嫌なの!」
俺は、声のする方向へ、一歩ずつ歩き出した。
「私は、素直なんかじゃない、一緒にいてほしいの一言も言えない。」
バチバチと激しい音と衝撃に襲われているが、不思議とリリアの声は聞こえている。むしろ、今までよりずっとすんなりと耳に入ってくる気さえした。
いまだに、大地を割らんばかりの雷が落ちてきている。
足が、疲労と恐怖で震えている、しかし、リリアの声を頼りにゆっくりと、確実に歩を進めた。
「本当は、パパにも、師匠にも、どこへも行ってほしくなかった! けど、その言葉が言えなかった!」
すぐ近くに大きな雷が落ちたようだ、衝撃で体がよろめいた。同時に、顔に激痛が走り、ジワリと、右目が熱くなる。どうやら、木の破片が飛んできたらしい。幸い、瞼を切っただけのようだが、相変わらず、周りの様子はよく見えない。
けれど、リリアの声が近づいているのは、感じた。
「これ以上だれかがいなくなるくらいなら! 私が……私がいなくなっちゃえばいいんだ!!」
「それは違う!!!」
特大の雷と同時に、俺は、叫んだ。
雷の爆音に負けないように、 ほとんど空っぽの体力を振り絞って、力の限り、喉を震わせた。
リリアは、寂しがっていたんだ、一人でいることに。そして恐いんだ、一人になることに。
リリアの気持ちは、俺の予想とほとんど同じだった、けど、唯一違うのは、自分がいなくなればいいと思ってしまうほど、思い詰めていたことだ。
でも、リリアの考えは間違っている。自分がいなくなればいいなんて、そんなの誰も喜ばないはずだ。少なくとも、俺と村長は、悲しむ。
「いなくなっていい人なんていない! 人が生きるのには必ず意味がある!」
「でも、ママは死んだ! 私を置いて死んじゃったじゃない!!」
「君を産んだじゃないか! そして育てた! 父親がいなくなってからも、ずっと! それさえも意味がなかっていうのか!?」
「そんなことない! けど、私はもう、独りぼっちになるのが嫌なの!!!」
「だったら俺と一緒に来い!!」
雷が、止まった。
「え?」
「一人が嫌なら。置いて行かれるのが嫌なら、俺と一緒に世界を旅しよう。そして、君の父親を見つけるんだ。見つけるまで、俺が一緒にいる。見つけたら君の父親が一緒にいてくれる。これなら一人じゃないだろ?」
少しずつ、リリアの光が弱くなっていくのを感じた。
まだ、目は、良く見えない。
さっきまでの爆音が嘘のように、あたりには大粒の雨の落ちる音しかしていない。
「でも……でも、お前は、家に帰るんじゃないの? 家族がいるんじゃないの?」
「もちろんいるさ。だけどな、俺は、自分の理想郷を探す旅に出るって決めたんだ! だから、ついてくればいい!!」
そう、あのつまらない世界にいるよりも、俺は、今、この金髪の少女と共に、世界を見たいと思ったんだ。
「一緒に、行こう?」
俺はまだぼやけている視界にうっすらと映る人影に向かって手を差し出した。
その直後、腹に、とん、と軽い何かがぶつかってきた。
その衝撃にすら耐え切れない程披露していた俺の足は、当然耐えきれるはずもなく、後ろに倒れこんでしまった。
「うう、ぐっ、ひっく……、うあああああああああああ!」
俺の中の何かが、かつてないほど熱くなっているのをを感じた。
我ながら、損な性格をしていると思う。
けど、腕の中で泣いているこの女の子を見捨てるくらいなら、このくらいの損、背負ったってかまわない。
こんな青春みたいなことをこんな年になってから経験するなんて思わなかったと思い少しだけ恥ずかしくなった。
大粒の雨が、俺たちを打ち付けている、まるで、リリアの気持ちを表しているかのように。
俺は、そっと、腹の上で泣きじゃくる少女を抱きしめた。
「もう大丈夫だ、絶対にお前を一人になんてさせないから。」
「や゛ぐぞぐ……ひっく……だがら゛……ね゛。」
「もちろん。」
体がどんどん熱くなっていった。
そして、少しずつ、リリアの泣きじゃくる声が遠のいていった。
そしてついに、俺の意識はぷっつりと途切れ、精神は暗闇の中を漂った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます