1-7
変化の無い風景を尻目に、長い廊下を歩く。
道行く度にカツン、カツンと言う音が床から発せられ、空間に反響する。
二人分の足音。そして、鈴護が持つキャリーケースの車輪が転がる音だけが、周囲に響き渡っていた。他に一切の音は無い。
周囲の無音が恐怖を煽る。
永久に続くリノリウムの道筋が、未知の空間への誘いなのでは――などと、良く解らない錯覚を起こしながら、ひたすら道を歩き続けた。
本当にこの廊下は、どこまで続いているのだろう。
鈴護は、無事に仕事に就く事ができるのだろうかと、不安に思う。
そもそも、この学校は何故こんな無人島の中に建てられているのか。
こんな僻地の学校に、子供を通わせる親は、一体何を考えているのか。
様々な疑問が、浮かんでは消えていった。
そして、ここまで歩いてきた鈴護は、一つの『事実』に気が付く。
――人が、誰もいない。人の気配が、まるで感じられないという事に。
それどころか、自分とあの少女以外の『生物』が、存在するのかどうかも怪しい。
『学校』と言う場所に居なくてはならない存在。『生徒』も『教師』も含めて、人間というモノの気配が、全く感じ取れないのだ。
ここには、この少女以外に人がいるのか。
規律が厳しい学校なのだろうか。教師も生徒もみんな物静かなだけで、実は今現在も授業が行われているのかもしれない。だが、それにしたって、この状況は普通考えられない。異常と言っても良いだろう。
(教師の、授業を行う声すら聞こえないって言うのは、どう言う事なのかしら)
やがて目の前を歩くその足が、無骨な鉄製の扉の前で立ち止まった。
どうやらこの扉の先が、長い旅路の終着点らしい。
(ここまで来て、もう驚きたくは無い、かな)
果たして、鬼が出るか蛇が出るか――
できる事ならば、その様な化生とは遭遇したくはないと、鈴護は震える意識を現実に留まらせる。
服の上からでも解る程に細い、少女の小さな背中に追い付き、隣に立つ。
少女は動かない。こちらに顔も合わせず、扉の先を見据えているかの様に、扉をじっと見つめている。
じっとしていても埒が明かないと感じ、鈴護は扉に手をかけて押し開ける。室内と廊下では気圧が違うのだろう。扉を押し開けた瞬間、空気の波が鈴護と少女を襲った。
扉を開けた先の空間。
その空間に広がる物を目視した鈴護の思考は、驚きで停滞する。
扉の先には、『現実』を疑わざるを得ない、文字通りの『異世界』が、広がっていたのである。
「こ、この部屋は。な、何?」
扉の先に広がる光景は、『無垢』と呼ぶに相応しい物であった。
構造は建物の外観と同じく、ドーム状。
壁は白。ひたすらに白。純白。
一切の無駄が存在しない空間。文字通り、置物などは全く存在しない。
唯一、部屋の中心に存在する『何か』を除いては。
薄暗かった廊下からは想像できない程の明るさが、場を支配していた。
見たところ照明などは存在しない。まるで、壁その物が光っている様にも見える。
そんな気の狂いそうな世界が、鈴護の目の前に広がっていた。
五里霧中の彼方に置き去りとなった様な孤独感。明るさからは酷く矛盾している。
学校の一室に、この様な場所がある事。その全てが理解に苦しむ。
だが、そんな目先の異質さなど、大した問題では無かった。
(あれは?)
鈴護の視界の前方――部屋の中心。
円形に広がるステージの様な場所に、『それ』は存在していたのだ。
突然だが、『培養器』と言う物をご存知だろうか。
サイエンスフィクションの世界に出てくる様な、不気味な色の液体で満たされた円筒状の大きな入れ物。
主にフィクションな世界観で、マッドが頭に付くサイエンティストなどが、生体実験などに用いるアレだ。
部屋の中心に、そんなイメージの培養器が、そのまんまの外見で置かれている。
人間が悠に、三人は入りそうな大きさを持つ培養器。
高さは床下から天井までを繋ぐ様な形になっている。それなりの高さがある室内の中で、見上げる形になる程には高い。
透明な筒で遮られた空間の中に、理解の範疇を超えた『世界』が形作られていた。
様々な色彩を持つ謎の液体で満たされ、照明で照らし出される中身。
鼓動を感じる。
力強さを感じる。
気のせいか、威圧すらも感じた。
頭の理解が、追いつかない。
自分が何処に立っているのだろうか、疑問に思う。
ゴポリと、液体の中で気泡が生まれる。
(え、英ちゃん。どうしよう。どうすれば……)
培養器の中には。
動物の角に似た、歪な形を持つ巨大なオブジェの様な『物体』が収まっていた。
歪な形の奇妙な物体。
SFの物語に囲まれた空間に存在する、異常の象徴。
あれは、果たして何なのか。
生き物の『骨』の様にも、『角』の様にも見える。
あり得ない程の大きさに目をつむれば、かろうじてそんな風に認識ができる。
何故、この場所にあんな物が存在しているのか。
一体、何に用いる物なのか。
解消される事のない疑問の波が、際限なくあふれだす。
培養器内の『物体』から感じる、圧倒的な存在感。
隣に立つ少女の事など、最早どうでも良くなっていた。
鈴護の視線と思考の全てが、その『物体』に注がれている。
入り口から動けずにいる鈴護を尻目に、少女は何の躊躇いも無く、部屋の中心へと歩を進めた。
培養器の中に収められた、不気味な『角』の近くへと。
(私。これから一体、どうなってしまうの?)
鈴護は黙したまま、少女の行く末を見守っていた。
恐怖で足がすくみ、『歩く』と言う事すら叶わない。
さもありなん。一般人を自負する鈴護にとっては、それこそ『未知』とも呼べる様な『何か』と、遭遇してしまったのだから。
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