1-3

「住所、求人票にも書いていないし。な、何なの、コレ」


 改めて情報を確認し直す鈴護。だが、得られた情報は、余りにも少なかった。

 学校の名前すらもハッキリとはせず、書類には『学校』と書かれているのみ。

 それ以外の情報は一切記載無し。書類には、当日の集合場所が書いてあるだけ。

 しかも行き先は、何故か市内の漁港と言うオマケ付き。


 怪しすぎる。

 何だか、地雷原に全裸で突っ込むかの様な、露骨な危険さが漂っていた。


「考え直すんだ、鈴護。これは絶対に何かがおかしい」


 英作が妻の身を案じ、この仕事はやめておけと忠告をする。

 しかし、この条件下で漸く見つけた仕事なのだ。鈴護も簡単に諦める事はできなかった。

 鈴護は、そんな地雷の海にも、全裸で笑いながら特攻する勇敢おバカな人種であった。


「それでもお願い。この仕事に関しては、私の好きにさせて欲しいの」

「鈴護……」

「『これから』の私の為にも」


 そう。これはある意味、彼女自身との戦いでもあるのだ。これからの人生を生きる為にも、今一度、自分自身を見直す為にも。

 ここで諦めたら振り出しだ。他にも方法は沢山ある様にも思えるが、そこを突っ込んではキリが無い。

 それに、いつまで経っても物語が始まらないではないか。


「でもさ、鈴護。よく考えて」

「うん」

「その仕事をする場所は――学校、なんだよ?」

「自分で選んだんだから、それ位は解るよ」

「いや、そうじゃなくてね」

「んもう。ハッキリ行ってよ、英ちゃん」

「……わかった。鈴護、君が思ったままに動くと良いよ」

「変な英ちゃん」


 最後に英作が言った言葉の意味を、鈴護は後に痛感する事となる。


 翌日。書類で指定された通りに、市内の端に位置する、小規模な港に訪れる。

 何故、学校へ行く筈の待ち合わせ場所が、港なのかが疑問だった。とは言え、与えられた紙に記載されている事柄を、信用する以外の選択肢が、鈴護には無かった。


――願わくば、どうかまともな仕事でありますように。


 鈴護の切なる願いは、早朝の寒空の中へと消えて行った。


 夏の初めとは言え、まだまだ冷たい海の風。朝日が目に染みる。

 小さいとは言え、港は港。海には何台かの漁船が停泊している。更に彼女の目の前には、その中でも一際小さく、オンボロな漁船が停泊していた。


(漁船って、初めて間近で見るかも。それにしても、ボロッボロだなあ、この船)


 実に呑気な物である。

 潮の匂いが混じる風に煽られつつ、暫く佇んでいると、一台のリムジンが漁港へと入り込んで来るのが見えた。

 場違いな高級車の登場に、鈴護が何事かと目を見開いていると、あろう事か、リムジンは鈴護の目の前で停車する。

 突然のブルジョワジーな雰囲気に、あたふたと戸惑う鈴護。そんな一般人の奇行を余所に、リムジンの後部座席側のドアが、重々しく開く。

 車中から降りてきたのは、紳士然としたスーツ服姿の、初老の男性だった。

 男性は、優雅な足取りで、鈴護の側へと歩を進めて来る。彼は鈴護の前に立ち止まると、見た目から想像できる通りの渋い声色で語りかけてきた。


「ようこそ、木下鈴護様」

「は、はい?」


 紳士の様な男性の立ち振る舞いに、一瞬騙されそうになる。だが、彼の身のこなしをよく観察すると、一分の隙も無いと言うか、腹の内が見えない様な気がした。

 鈴護には、他人からそんな物を感じ取れる力はない。しかし、色々と鈍い彼女から見ても、胡散臭さを感じずにはいられない。そんな雰囲気を持った男性であった。


「えっと。あの。あ、貴方は?」


 鈴護の姿を下から上まで眺め、柔らかそうな微笑みを浮かべる男性。彼の視線に気付き、堪らず鈴護も固まってしまう。持っていた鞄で身体を覆い隠し、自身を視線から守る事を選んだ。


「あ、あのぅ。何でしょうか」

「いえ。失礼しました」


 微笑みで質問を遮られた。鈴護の不信感を煽るのには、良いキッカケとなる。


「貴方がこれから、二ヶ月間を過ごす事になる学校。私は、貴方を誘う『案内人ガイド』とでも申しておきましょう」


 案内人を名乗る男性に対し、怪しさを覚えずにはいられない。

 でもリムジンで送迎とは、なんともまあ大仰と言うか。用務員一人に、ここまでのお金をかけても良いのだろうかと、鈴護は疑問に思った。


(お金って、ある所にはある物なんだなあ)


 鈴護がリムジンに乗ろうと、近付いたその時である。


「さあさあ、乗っとくれ。直ぐにでも出すでの」


 後方から、声が響いたのだ。海が広がる方角から、初老の男性とは違う、威勢の良い男の声が響く。

 鈴護は、視線を身体ごと後ろに向ける。海に浮かぶ先程のオンボロ漁船の上。そこには、いかにも『海の男』と言った感じの風貌の男性が、でんっと立っているではないか。

 見事に禿げ上がったその頭が、朝日を反射させ、後光を纏ったかの様に輝いている。ご丁寧に『マグロ一筋』と書かれた前掛けを身につけた彼は、こちらに向かって手招きをしていた。


――え、何? もしかして、私を呼んでいるの? アレ。


「の、乗る? 出すって。え。な、何を、ですか」


 現在己が置かれた状況に、皆目見当もつかない鈴護。彼女はキョトンとした表情で、初老の男性に問いかけた。


「学校までの道のりは陸路では辿り着けませんので、こちらの『別便』をチャーターさせて頂きました」

(別便って、どれ?)


 今更確認をするのも億劫だが、現在地は『港』である。いい加減、彼女も自身が置かれた状況を、把握しても良い頃合いなのではないだろうか。


「さあ、乗りぃ。少なくとも片道一時間はかかるけん。揺られて酔わんように気ぃつけいや」


 ガハハハと、ダイナミックに笑う、漁師風の男性。


「え、えっと。はい?」

「学校は、市街より離れた孤島にあります」

「はあ。孤島」


 男性が指し示すのは、何も見えない地平線の彼方であった。どうやらその方向に、目的地の『学校』とやらは存在するらしい。


「これから二ヶ月の間、貴方にはその孤島で生活して貰う事になります。ああ、ご安心を。任期が終了致しましたら、迎えの便を手配致しますので」

「お迎え」

「ええ。それまでは申し訳ありませんが、外部へ出る事は叶いません。一応携帯電話等の持ち込みは許可致します。島にも電波は通っていますが、私共が独自に運用している物ですので、プライベートな利用には推奨致しません。お電話の際は、『自己責任で』どうぞ」

「はあ」

「何か質問はございますか?」

「えっと。色々と聞きたい事が」

「無いようですね。では、張り切って業務にあたって下さい」

「ちょ。まっ」


 有無を言わさずと言った風に、男性は鈴護の手を引っ張ると、漁船へと乗り込ませた。

 

「若いってのに大変さねぇ。そんじゃいっちょ出港と行きますかい。ガハハハ」

「え――?」


 頭の中から、疑問符が浮かんでは消えていく。そんな理不尽な状況の中で、鈴護はようやく、ある一つの事柄を理解するに至った。


――ああ、成程。だから集合場所が港だったのか、と。


 オンボロ漁船の船体から、何かの部品が転げ落ちるのを、鈴護の視覚が捉えた。


 恐怖の遠洋漁業の始まりであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る