6-4

『……確かに、貴方の応え、そして貴方の想いを受け取りました』


 全てを聞き届け、慈しむ様に少女の顔を感慨深く見下ろすカケラの人。


『貴方は、実によく成長しましたね。あの暗い部屋で一人、私のカケラに絵を見せていた頃から随分と変わった』


 その彼女の言葉から察するに、このコンタクト以前から彼女は文月の事を見続けていたと言う事なのだろうか。

 このコンタクトの成否がどうなるのか――全てはカケラの人が次に口を開く言葉にかかっている。二人の間に再び沈黙が訪れた。鈴護もその沈黙の中で、黙って二人の様子を見守っていた。静かな空気が辺りに漂い続ける。緊張の糸が張り詰める中で、カケラの少女は口を閉ざし続けていた。

 とにもかくにも、これで文月に与えられていた彼女の『役割』が終了したと言う訳だ。

 しかし全てを述べ終えた後に、少女は若干の後悔を覚えていた。

 何故ならば、彼女が述べた言葉は完全に間違った『応え』である筈だから。

 自分の『ココロ』に素直になった結果が、あの応えの内容の全て。あの問いに対し、彼等の存在はこの星には不要だと、そう述べた事でこのコンタクトは失敗に終わるであろう。

 老人達の悲願は果たされる事無く、全てに失敗した文月は、彼等によって失敗作として、本物にはなれなかった贋作として廃棄される事になるであろう。

 だが、それでも良いと少女は考えていた。三年間の中で漸く手に入れた人のココロ。そして折角巡り会えた『家族』を否定するよりは余程マシだろうと。


『我々の問いに対する、貴方の応えは――』


 そして重々しい雰囲気の中、カケラの人が口を開き少女の応えに対する言葉を述べ始め――


『合格です』


 そんな文月の考えを覆す様な一言が、カケラの少女の口から放たれた。

 果たしてそれは幻聴なのか、それとも空耳なのか。


「え……?」


 合格。確かに宇宙人の少女は一言だけ、簡潔にそう述べた。

 決して聞き間違いでは無い。鈴護も、文月の傍でしっかりとその言葉を聞いていたのだから、間違いは無い。


 ――合格、した? あの少女の、カケラの宇宙人の問いに、合格したと言うのか。


 彼女の言葉が今一信じられない。あの応えが、本当に正しかったと言うのか。何かの間違いなのだろうか。そんな考えが文月の中に次々と溢れていく。

 今まで上空に佇んでいた宇宙人の少女が地に降り立ち、ゆっくりと文月の下へと歩み寄る。

 文月と少女が相対する。こうして見ればまるで鏡合わせの様に瓜二つであり、相違点を見つける方が困難だとも言える。


『漸く、逢えましたね。もう一人の私』


 少女は優しく微笑みながら、文月にそんな言葉をかける。まるで長い間、この逢瀬を心待ちにしていたかの様に、その表情には慈愛の色が込められている。

 そして彼女は、文月の事を『もう一人の自分』と表現した。

 その言葉が意味する所。それはつまり――


「私を、『貴方』だと、認めてくれるのですか?」


 少女の模造品として作られた文月を、彼女は認めてくれた。罪深き人間たちの業のままに、彼等の欲望をありのまま受け止めてきた少女を――己と同じであると、少女は認めたのだ。


『勿論です。貴方は私。そして、私は貴方。この星の言葉で言う所の――そう、命を分け合う姉妹――『双子』の様な存在なのですから。なんらおかしい事は無いでしょう』


 カケラの人のクローンである文月の事を――同時間軸に置ける、同一体の存在と言う矛盾を振り切って、彼女は文月を一つの生命として認めたのだ。

 それどころか双子の姉妹とまで言ってくれた事に、文月は感極まり、涙目になっていた。


「ですが、合格なんて……。貴方達の存在を否定してしまう私の応えは、間違っていたのではないのですか?」


 文月の中に残った尤もな疑問。何故あの応えで合格できたのかと言う事が、少女は気になっているようだった。


『応えは間違ってなどいません。貴方が生きた時間から自分で見出したその言葉こそが、我々が望んだ、貴方自身の『応え』なのですから』


 少女が文月の胸に置かれた片手を手に取り、優しく両の掌で包みこんでくる。


『私は、貴方がこの星の生物の一人として生き、この世界で育った我々の同胞としての応えを求めていたのです。貴方の応えはそれに見合う、十分に素晴らしい物でした』


 手の感触は柔らかく、そして――普段、文月にスキンシップを行ってくる鈴護と同じ位の温かさを、文月はそこから感じ取っていた。

 顔が近い。近場で眺める自分の顔。鏡とは違う、温かみを持った写身が己の目の前に立っている光景には、不思議な感覚を覚える。


『確かにこの星はまだまだ未熟な状態でしょう。我々の様な存在が介入してしまっては、文明の規律を大きく狂わせてしまう事になってしまう。ですが――文月。元は私達と同じ根源を持つ貴方ですが、この三年間……二ヶ月間で地球人として、正しい自己を得る事が出来る程に成長した貴方にならば、我々の全てを託すに相応しいと私は判断しました』


 少女は一度文月の手を離す。身体を後方へと向き直し、カケラへと数歩近付く。そして可愛らしく両腕を肩の位置の高さまで上げたかと思うと、ダンスのステップを踏むかの様にクルリとこちら側へと振り向いた。


『では当初の約束通り、我々の種の全てを貴方に託します』


 全てを文月に明け渡す。カケラの人がそう宣言したと同時に、カケラが再び輝き始める。

 予想外の結果の連続に文月は少しだけ呆然としていたが、少女の言葉に意識を取り戻す。


「ま、待って下さい!」


 そこで今までずっとコンタクトに干渉しないよう、観客に徹していた鈴護が前に躍り出た。

 このままでは文月が宇宙人に変化してしまう。黙って文月を本当の宇宙人にさせてしまっても良いのか。少女とのやり取りを交わした後もその葛藤だけは捨て切れてはいなかったのだ。


「ごめんねふーちゃん。でも、このまま黙って見ている事は、私にはできそうにない……」


 決まりを破った事を少女に謝る。


『いえ。どうぞお話になって下さい。木下鈴護さん』


 だが、少女も――そして、カケラの人もその割り込みに気にした風も無く、寧ろカケラの少女に至っては、鈴護に語るように即してきた。


「あ、貴方、私の名前も知って……」


 部外者である用務員、備品として扱われていた女性の名すらも知っていた事に鈴護は驚く。


「え、えっと。コンタクト――貴方の問いに応えるって言うのに合格したって言う事は、やっぱりふーちゃんは『宇宙人』になってしまうんでしょうか……?」


 未知の存在との言葉のやり取りに若干の緊張を覚えながらも、鈴護は胸中の心配事を吐露する。二人分の同じ視線が、用務員の女性に集中していた。


『……そうですね。彼女は今までよりも、限りなく『私達』に近い存在へと昇華する事になるでしょう』

「そう、ですか……」

『ですが、彼女自身が失われる訳ではありません。私が与えるのはあくまでも我々の文明の知識や技術、そして、記憶だけです。その内面までをも奪う様な、野暮な真似はしませんよ』

「え。それって、つまり……もしかして……?」

『はい。これからも彼女は文月――貴方の娘のままです。このカケラの様に、歪な身体へと変化する事はありませんし、私が彼女を乗っ取る様な事もありません』


 そう言うと、鈴護に少女は優しく微笑んだ。文月よりも幾分か表情の豊かな笑みだったが、やはり、その細かな仕草などは文月が持つ雰囲気と同様の物であった。


「私は――これからも私のままで存在する事を赦されるのですか? 文月として――鈴護の子供として、生を歩んでも良いのですか」


 そのカケラの人の言葉の意味を読み取った文月の瞳に、希望の色が満ちていく。


『勿論ですよ。貴方はこれからもずっと、貴方のままです』


 文月は文月のままで良い。他の誰にも少女が培った物を消し去る事はできないのだから。

 故に、これからも少女は文月と言う一人の地球人のままでも良いのだ。


「……ありがとう。ありがとう、ございます……」


 溢れ出す沢山の雫を瞳から零れ落としながら、文月は少女に大して深く礼を述べた。


「ふーちゃん……。良かった……。本当に、良かった……」


 鈴護も、そこで漸く安堵を覚えた。二人の少女の傍へと近づき、文月の隣に立ってカケラの少女と向かい合う。

 もう一人の少女を見上げる形で、鈴護は少女の瞳を見つめた。

 その瞳から感じる温かさも、確かに文月の視線から感じる何かと同じ物であった。


『私は母星の最期を見届け、支える人々も全て失い、たった一人で絶望的に広大な宇宙を彷徨っていました。その中で見つけた我々と同じ知的生命体が住まう星――地球とあなた方が呼ぶこの星に、幸運にも出会う事ができた。そして我々が存在したと言う証を、最期に誰かに託したい――そう考えた末に、私はあなた方との間にコンタクトの場を設ける事にしたのです』


 孤独な旅を続けてきた、たった一人の少女。途方も無い旅路の中での奇跡に近い巡り逢い。

 天文学的とも言える確率の中で、カケラと鈴護達、地球人は出会いを果たしたのである。

 そんな少女の心情を鈴護が想像する事は非常に困難な事であったが、自分達の証を残す為、静寂の海を漂い続けた彼女の行動力、そして並々ならぬ精神力には素直に敬意を表したい。


「じゃあ、えっと……。もう一人の、ふーちゃん。一つだけ、貴方に聞いても良いかな」


 だから、あえて鈴護は少女の事をその名で呼んだ。


『はい』


 どこか嬉しそうに頷くカケラの少女。その柔和な表情と顔を合わせながら、鈴護はある一つの問いを少女に向ける。


「大切な人は……いつまでも、心の中に居続けると思う?」


 胸の中に――心の中に残る、誰かの存在。何時までも記憶に残り続けるその存在は、何年、何十年と言う時を重ねても消える事は無いのだろうかと、自分よりも遥かに長生きであろうと思われる少女に大して問いかける。


『ふふ。それは他ならぬ、貴方自身が教えてくれた事ですよ』


 少女は一度含み笑いを浮かべると、鈴護に対し、さも可笑しそうにそんな応えを述べた。


「私が、貴方にも?」


 そんな少女の反応に、キョトンとする鈴護。


『大丈夫です。私の中にも文月を通じて、貴方の姿がちゃんと残っています』


 その言葉に反応した文月も鈴護の方に向き直る。

 少女と文月……二人の瞳の中に、一人の女性の姿が映り込む。


『鈴護さん。私にとっても貴方は――母の様な存在です』


 カケラの少女もまた、出会ったばかりの鈴護の事を己の『母』と形容する。


『貴方の存在は、彼女を通じて私にとっても大切な支えとなっていたのですよ。悠久の孤独の中で時を過ごしてきた私にとって、貴方の存在は恒星の輝きにも勝る力強さがあると、そう感じていました』


 文月と少女が目配せし、微笑みあう。まるでそうするだけで、お互いの想いを共有しているかの様に。今やこの二人は、本当に双子の姉妹の様な関係になっているのかもしれない。


『貴方はこれから彼女が生きていく中で、いつか彼女が一人で歩んでいった後もずっと、彼女の支えで居てあげて下さい。私にはもう――その役割を担う事はできませんから』


 変わらぬ笑顔で少女はさらっとそんな事を述べる。その笑顔は余りにも自然で、気持ちの良い物であったのに――逆に、何故だろうか。

 鈴護はその笑顔の中に、どこか寂しさに似た何かを感じ取っていた。


「あ、貴方……」


 鈴護は少女の言葉の意味するところに、一早く気が付いた。今まで輝かしく見えたカケラの少女の微笑の中に、どこか儚げな決意が秘められていた事にも、気付いてしまう。


『悲しまないで下さい。私は最初から、この結果の為だけに全てを行って来たのですから』


 何かを悟りきった、少女の笑顔。流石の文月も鈴護が感じていた雰囲気と同じ何かを少女の笑顔から感じ取っていた様だった。不安と寂しさが入り交じった表情で、もう一人の自分の姿を捉えている。

 その笑顔には悲しみも苦しみも、後悔すらも無く、本当に喜びだけが見て取れた。

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