5-11
気が付けば世界は再び暗転し、鈴護は少女を抱いたまま、あの『カケラ』の前に座り込んでいる。果たしてあの光景は夢だったのか、幻だったのか。怪生の類に化かされたかの様な感覚が未だ残る中、夢うつつな感じに頭が軽く呆けていた。
だが抱きかかえた少女の存在、重さは紛れもない真実。少女はもうカケラの中には居ない。
腕の中の温かさ――肌を通じて感じ取れるこの体温を、自分は二度と離す事はないだろう。
「鈴護」
包まれた腕の中で、家族となった少女・ジュライが――いや、『文月』が、顔を上げた。
少女の愛称は、既に彼女の本当の名として昇華されたと言っても過言ではないのだから。
最早、そんな名前は二人の間には必要ない。だから、鈴護は改めてその名を呼んだ。
「何? ふーちゃん」
鈴護はその真っ直ぐな視線を受け止める。
「鈴護……鈴護ぉ……っ」
何度も何度も名前を呼ぶ文月。大切な存在を言葉に出す事ではっきりと確認するかの様に。
「ごめん、なさい。私は鈴護の事を……貴方をいらないと、言ってしまった……」
最早その涙を止める理由もない。今や少女の涙は、悲しみから意味を変えたのだから。
「でも、私……そんな事は、思っていません。鈴護は私にとってきっと、おかあさんみたいな人なのだと、そう思っていましたから。本当に、そう考えていたんです……」
そうして少女もまた、目の前の女性に伝えたかった事を、改めて内に秘めた想い口にする。
「あの時、鈴護が突然怒り出した時。本当はそれが鈴護が言っていた『発作』なのではないかと、少しだけ理解していました。ですが、私は――私が宇宙人だから、鈴護の子供になる事はできないと言われたのだと勘違いして、それで……」
先の言葉が続かない文月。だが、皆まで言わずとも彼女が言いたい事は全て伝わってくる。
「いいんだよ、ふーちゃん。貴方はもう、私にとっても大切な、家族の一員なんだもの」
少女だけではない。鈴護もまた、この触れ合いを経た事で過去の蟠りから漸く解き放たれ、念願だった新しい道を見つけるに至ったのだから。
最後に触れ合ったあの少年の顔。彼が消える間際に呟いた言葉を裏切らない為にも。
もう――迷わない。
「これからも、一緒に過ごしていこう。この地球の上で、ね」
そして暫しの時が流れる。二人は『カケラ』の下で暫く身を寄せ合っていた。
沈黙とも違う静寂が周囲を包み込んでいる。初めて相対した時には畏怖を感じた『カケラ』の光が、今は女性と少女を温かく包み込んでいる。
「兎は……もう、いないんですね」
兎の死。思えばそこからきっと、二人の試練が始まったのかもしれない。
嘘と言う鈴護の罪を経て二人は争った。だがその争いを経て二人はお互いの本心を知った。
「そんな事はないよ」
「え……?」
「私達の記憶からも追い出しちゃう理由は、無いと思うんだ」
例え、目の前から居なくなったとしても、兎と過ごした数日間は無かった事にはならない。
「私達の中の、兎の記憶……」
「そう、ふーちゃんが忘れない限り、いつまでも生き続けるよ」
記憶となって生き続ける存在は、今も少女の中に。ずっと、彼女の中で生き続ける。
文月はその小さな手を己の胸にあて、瞳を閉じた。
「……はい。……忘れません」
兎との思い出を記憶に刻み込むかの様に。そうして何かを感じている。
何もかもが終わりを迎え、二人の間にあった問題は全てが解決したかの様に見えた。
だが、まだこの場に置ける、少女の最後の役割が残っていたのだ。
その時、カケラの間に変化が現れる。
巨大な地鳴りを伴い突如地面が揺れだしたのである。
「じ、地震!?」
カケラの間を襲った突然の地震が、二人の立つ空間を振動させる。
立っている事もできずに、二人はその場に座り込んでしまった。
「す、凄い揺れ……! ふーちゃん、掴まって……!」
「大丈夫……。恐れる事は、ありません」
だが、文月はその振動を恐れる事もなく、じっと、カケラの姿を眺めていた。
「あの人が、来ました」
一言、そう呟く。カケラの人――彼女の元となった存在。宇宙人が来る、と。
時刻は零時。日付が変わり――今日は、七月二十一日。例のコンタクトの、期日。
時が迫っていた。少女の運命を決定づける、選択の時が。
「ふーちゃん……」
鈴護は心配そうに声をかける。
「やめる事は、できないの?」
無駄だと解っていても、少女を止めずにはいられない。
「……それは、できません」
文月は小さく首を振る。彼女はその顔に、実に穏やかな表情を浮かべていた。
「実を言うとコンタクトを行う事自体は、私自身も望んでいた事なのです。あの人と会う事は私にとっても大切な事ですから」
「でも、ふーちゃん……! コンタクトに成功すれば、貴方は宇宙人に……!」
宇宙人に、なってしまう。その言語が意味するところは――文月と言う人間が、消えてしまうかもしれないと言う事。
「彼女の問いに正しい応えを述べれば、確かに私は……」
文月自身も当然知っていた。知らない筈が無かった。
彼女は『そうする為に』生まれ、この時の為に知識を得てきたのだから。
「ですが、鈴護は言いましたよね。例え宇宙人だろうと、私は私だと。それに――」
『カケラ』を見ていた文月が、鈴護の立つ方向へと振り向く。
「私は、今の私を――貴方の子になれた私を、捨てる気はありませんから」
そして鈴護に負けない様に、顔一杯に笑顔を浮かべ、鈴護に微笑んだ。
「ふーちゃん……」
先刻己が言った言葉だと言うのに、既に少女に教えられている情け無さ。
そうだ。文月が例え今の文月ではなくなっても、彼女が彼女である事に変わりは無い。
「わかったよ。でも、……でも必ず、帰ってきてね」
――貴方が帰ってくる場所は、ちゃんと、あるんだから。
「はい。……おかあさん」
――もう、私達は本当の家族なんだからね。
三年の歳月を経て。ついに、約束の日が――『コンタクト』が始まる。
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