5-9

 そう。鈴護だって人間――生物だから。生命あるモノは皆、いつかは死に、消える。

 それは生きる者達にとって、定められた――逃れる事のできない運命。

 少なくとも少女より年を重ねた鈴護は、彼女よりも先に逝去し世界から立ち去る事になる。

 鈴護はその言葉に対して何も言わない。事実であるから否定はしない。


「世界は必ずしも綺麗な物ばかりじゃあない。鈴護が見せてくれた世界とはまったく違う物が外にはありました。現に私の存在――造られた命である私の存在がそれを証明しています」


 鈴護は答えない。少女の語る言葉は全てが世界の真実だから。

 世界は鈴護が少女に教えた様な、綺麗事だけでは済まされない。


「結局、鈴護は私の何も解っていない。信じるという事に値する物なんて、現実ではありはしないのですから!」


 少女の主張に、段々と嗚咽が混じり始める。叫びつつジュライは――泣いていた。


「私は受け入れてほしかった。そんな『宇宙人』としての私を知っても……鈴護は、私を受け入れてくれると思っていました……!」


 少女の心の叫びから鈴護は彼女の真意を知る。受け入れて欲しかった。宇宙人としての自分を。それがきっと、少女の行動の全てを物語っていた。

 クローンの少女。宇宙人と自らを称した少女。カケラの傍で宇宙人になると言った少女。

 宇宙人と鈴護に言われて、拒絶された事で怒りを覚えた少女。

 その全ては……鈴護に――鈴護という大切な人間に、宇宙人としての自分の一面を理解して貰いたくて、受け入れて欲しくて行っていた事だったのだろう。きっと少女は宇宙人と言われた事に対し怒った訳ではなく、己の存在が否定された事に怒っていたのだろうと。


「私は宇宙人。だから鈴護は私を受け入れてくれない。宇宙人だから、拒絶したんです!」


 宇宙人という言葉が二人の溝を大きくする。結局、全てはその言葉が始まりなのだから。


「そう、私は人間じゃあない。生まれた時から最後には宇宙人になる運命なのだから――最後には何もかもを失って、泡沫の様に私は消えるのですから!」


 遠慮も無く、己の想いの内を全て吐露する少女。


「もう、家族なんていりません。感情なんて不確かな物は理解ができない。でもそれでいい。私は……私は今日この場所で、本当の宇宙人になるのだから!」


 ジュライは叫び、全てを否定する。鈴護の存在も、己の存在も――。

 彼女が理解できないと叫ぶ、『怒り』と『悲しみ』の感情と共に生まれる矛盾。少女自身もそれに気が付けない程、酷く取り乱していた。

 少女を抱きしめていた腕を緩め、鈴護はその両肩に手を置く。


「ふーちゃん。もう、宇宙人って言うのはやめにしよう」


 鈴護は静かな声で告げる。最早迷いなどは無い。奇妙に落ち着いた静謐さの中には、少女に対する『厳しさ』があった。

 無意識の中でその雰囲気を感じ取ったのか、鈴護を振り払おうとした少女の動きも止まる。

 時には厳しく。子供と接する為にはそれも必要な事。


「宇宙人って言葉は、もうやめようよ。それが、ふーちゃん自身とお話するのになんの関係があるの?」


 その凛とした女性の姿に、少女も自然と言葉を無くす。


「宇宙人……。確かに、地球の人達から見れば、異星から来た人は『宇宙人』になるのかもしれないね。でもそれは、その人達にとっても同じ事なんだよ」

「どう言う、事ですか……?」

「私達、地球人も彼等にとっては『地球』と言う星に住む異星人――宇宙人なんだから。そう言う意味では、私もふーちゃんと同じ、宇宙人になるんじゃあないのかな」

「それは……!」


 少女は何かを反論しようとするが、結局何も言えずに口を噤んでしまう。


「でも……でも、鈴護は私を裏切りました! 鈴護は私を、捨てたんでしょう!?」


 己の肩に置かれた女性の手を振り払う少女。数日前とはまるで違う少女の反応が、全てを知った彼女の変化を如実に表していた。そこから見て取れるのは少女の戸惑い。彼女の中には今も深い傷跡が残っている。鈴護に捨てられてしまったと言う事実が根付いているのだろう。


「私、確かに一度は逃げたよ。でも、何故私はこの学校に戻ってきたの?」


 鈴護がそんな少女の困惑を真っ直ぐと受け止めるかの様に、少女の瞳をしっかりと見据えながら立ち上がる。膝を抱えたジュライは、目の動きだけで鈴護の動作を追いかけていた。


「まだふーちゃんに伝えていないもの。私の、本当の気持ちを」


 草原に、花畑に風が吹く。色とりどりの花びらが舞い上がり、二人の身体を包みこむ。

 思えば今までも、二人の間にはいつも風が吹いていた様な気がする。初めてあった時も、カケラの事を少女から教えて貰った時も。必ずどこからか不思議な風が吹いていた。


「鈴護の気持ちなんて、全て嘘です……!」

「そう、かもしれないね……。私は、本当の気持ちを恐れて、発作なんて弱味に逃げ込んでしまった臆病者だから。だから、嫌なら全部聞き流してくれても良い。これから話すのは私の独り言。だから、貴方は無理をして私の言葉を聞く必要はないわ」


 嘘だと言われても良い。それでも良いから今度こそ伝える。もう『発作』は恐れない。少女に対しては発作は起きないのだと、釈な事だがあの老人も言っていたのだから。


「私は、子供が怖かった。正直に言うと、ふーちゃんと付き合う中でも、表面では平静を保っていられたけれど、心の奥底ではきっと、いつ起こるか解らない発作に怯えていた。自分の中に潜む暗部が、自分自身が怖くて。今まではその恐怖の一番の原因だった子供の全てを拒絶していたわ。私のトラウマによって、私と関わった子供にまで新しいトラウマを植え付けてしまう。そんな未来が恐ろしくて、私は向き合う事もせずに逃げていたの」


 空を見上げる。神秘的なまでに透き通る美しい蒼。だが、雲だけが浮かぶその空の先にはきっと何も存在しない。この場所に存在しているのは鈴護と少女の二つだけ。それ以外はきっと全てが『カケラ』という幻灯機が創りだした偽物なのだろう。


「でもそれも、もうお終いにする。これからの私には、もうトラウマなんて逃げ道は必要ないんだ。そんな事よりも、私が本当に望んでいる事に気が付いてしまったから」


 そんな空の下、二人が言葉を交わす。偽物の世界で、お互いの本音を言い合う。


「ふーちゃん。貴方の事は、全て教えて貰ったわ。私にはとても想像のつかない様な時間を、ふーちゃんは今まで過ごして来ていたんだね。……酷い事をする人も居た物だって思ったよ。でもそれは、貴方を言葉と言う暴力で傷付けてしまった私も、きっと同じなんだよね」


 少女の小さな身体に課せられた重荷。その重さの苦痛を更に増やす要因を作ってしまった。


「でも、貴方の真実を知ったからこそ、今は言える。例え貴方の起源がどんな物であろうとも貴方にどんな役割があの人達から与えられていようとも、そんな事は関係無く――私は、貴方を一人の女の子として、ふーちゃんと言う一人の人間として見ていたい」


 だからこそ、逃げ出す訳にはいかない。一度は少女の元から離れようと考えたが、やはりそれではいけない。上に立つ大人がそれでは、後に続く人間の道標が崩れてしまう。あんな老人達の所に少女を置いておくのは、間違いなく彼女に不幸な未来を与える将来しか見えない。そんなのは幾ら何でも悲しすぎるから。


「だから、宇宙人なんて言葉は終わりにしよう。宇宙だとか地球だとか、そんな小さな事に拘る必要は無いの。貴方は自分が思うままに、自分が居たい自分で在り続ける事が出来るんだ。それを阻む事は他の誰にもできないんだよ」


「でも、貴方と私は分かり合う事が出来ませんでした。……交わる事無く、こうして対立する事になってしまった。――この世界では同種族による争いが絶えない物だと、この星の記録から私は知りました。例え宇宙人や地球人等と言う考え方が関係ないと言えども、私達はたった一度の行き違いから対立しています」


 それまで鈴護の言葉を聞いていたジュライが、鈴護の顔を見上げながら言葉を投げかける。


「そんな状況で再び以前の様に関係が改善する可能性が見い出せるとは、とても思いません」


 先程までの困惑も少し熱を冷ましたのか、言葉の雰囲気が少しだけ冷静になっていた。

 だが、鈴護を突き放そうとする感情だけは未だ少女の中に残っている様だ。


「でも私達はこうして、まだ同じ場所に立ってお話しができている。相手にお互いの言葉を伝える事ができる。お互いをより深く知り合う事ができる。その事実に変わりは無いでしょう」


 だが、鈴護も逃げ出す事はしない。少女に対し、逃げを行う事はもうしたくはない。


「ふーちゃんの言う通り、時には行き違いもあるかもしれない。でもそれが当前なの。何故なら私にも貴方にもそれぞれに別々の考え方や意識があって、全ての人間が全く違う物を持っているから。だから意見の衝突が起こるんだよ。それは人が自分って言う物を持っている限り、自分だけの意識や意見なんかを持っている限り、必ず起こる物なんだ」


 だからこそ、鈴護は少女の意見に対し、自分もまた己の考え方を示す事で彼女に想いを伝える。この先、少女が鈴護を突き放し、拒絶する事があろうとも、それが彼女の選択ならば鈴護に否定する事はできないだろう。


「嘘つきの私から――貴方に一つだけ伝えておきたい、本当の事があるの」


 空から視線を少女へと戻す。自分の中に眠っているこの言葉を少女に伝える事――それがどの様な結末をもたらすのか。それは解らない。

 だけど、止める訳にはいかなかった。

 この後に及んで卑怯な言葉なのかもしれない。だが、伝える事をせずに少女と別れてしまう事も、お互いに気持ちの良くない結果となりそうだったから。


「私ね、ふーちゃんの事が本当に好きなんだって、解ってしまったから」


 そうして鈴護の口から放たれた突然の告白が場の空気を変える。

 少女の事が好き。


 ――恐れから語る事を拒んでいた、鈴護の中に眠る本心。


 拒絶の色に染まっていた少女も、その言葉には反応を見せた。

 呆気に取られたかの様に、目を見開いて鈴護の顔を眺めている。


「ううん、それだけじゃない。私は――」



 ――ソイツハコドモダ。オマエハソレデイイノカ。



 また、『見失い』そうになるけれど、それは自分が弱いから。

 何時までも過去を振り払えず、先に進むのが怖かったから。私は何時までも進めない。


(もう、迷いたくない。私は、この場所で――)



 ――オマエハコドモヲキズツケル。コドモモ、オマエヲキズツケル。



 自分の弱い部分が何かを主張している。しかし、それには耳を傾けない。


(もう、過去にばかり囚われたくない。これからの事を考えて生きたい。素直に、自分の気持ちを伝えたい)



 ――コドモト、トモニスゴストイウノカ。カコヲ、ワスレルトイウノカ。



(ううん……過去を忘れるわけじゃない。あの子の存在は、今も私の中に生きているから)



 ――コドモトツキアウコトハ、フコウヲヨブ。オマエハソレヲ――



(ああもう! うるさい!)


 鈴護は己の中の五月蝿い声を一喝し、邪魔な葛藤を止める。

 もう、自分に『トラウマ』なんて必要ない。そんな逃げ場なんて必要ない。

 これからの彼女に必要なのは……この少女の存在なのだから。


「私は、ふーちゃんのお母さんになりたいんだ!」

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