5-7

(ふーちゃん。ふーちゃんの身の上がこんなにも残酷な物だったなんて……)


 走る足を止めずに、老人が語った少女に関する真実を思い返す。


(私は何も知らずに、あの子にあんな酷い事を言ってしまった)


 無知だった自分が本当に嘆かわしい。結局の所、自分は何一つ少女の事など理解してはいなかったのだから。

 少女はあの時、鈴護に宇宙人と言われた事に対し感情をあらわにして怒っていた。

 怒りを少女に植えつける程に、彼女にとってはショックが大きい事だったのだろう。

 少なからず心を許していたであろう相手に拒絶された事。確かに解らなくもない。

 「うそつき」と、あの時少女の呟いた一言が、鈴護の心を苛む。


(謝らなきゃ。今度こそ、ちゃんと謝らないと)


 鈴護は走るスピードを上げ、自分でも信じられない程の脚力と速度で山道を駆け上がる。無駄に張り切ってこなした過酷な業務の成果だろうか。若さが身体に戻ってきたかの様な感覚であった。


(でも、ふーちゃん。一体、貴方は今どこにいるの?)


 その後、数十分程かけて学校へとたどり着く。息を整える事もせず、すぐに屋内へと上がりこみ、少女の姿を探して施設中を走り回る。しかし、どこにもその姿は無い。


(他にふーちゃんが行きそうな場所は、どこだろう)


 少女が最後に言っていた「本当の宇宙人になる」と言う言葉。宇宙人になると言う言葉が意味する所は『カケラ』から訪れると言う、本物の宇宙人と『コンタクト』を行うと言う事。

 コンタクトに関係する場所。そんな場所がこの施設の中に存在していただろうか。

 散歩に行った時、少女が宇宙人になると言った場所。『カケラ』と呼ばれたあの物体が埋まっていたクレーター。あの老人が言っていた「クレーターの中の物体は『カケラ』のほんの一部」と言う言葉。そして彼は「大元の本体は、地下に存在している」とも言っていた。

 宇宙人を目指す少女が向かうべき場所は、あの物体が設置された場所。

 クレーター以外で『カケラ』と関係のありそうな場所を模索する。

 そう、鈴護はこの学校に訪れてすぐに、異質な物体をその目でしっかり見ていた。

 オブジェ。宇宙船部屋にあった、培養器の中の謎の物質。


「そうか、きっとあの場所……!」


 長い長い廊下を走りぬけ、鈴護は全ての元凶とも言える、あの場所へと訪れる。

 思えば最初に気が付くべきだった。この場所が以前から一番怪しいと考えていた筈なのに。

 重い鉄の扉を突き飛ばすように押し開け、内部へと侵入する。

 室内。壁中に設置された機械は、二ヶ月前から変わる事なく作動している。

 件の『カケラ』の一部が収められた培養器を中心に部屋を見回すが、少女の姿は無い。


「ここにも居ないなんて……。一体どこにいってしまったの、ふーちゃん」


 消沈を隠せない鈴護は、その場に座り込んでしまった。

 空虚が意識を巡り、消失感が身体を包んでいく。

 途方にくれ、どうした物かと部屋を見渡すその視界が――室内の微かな変化を読み取る。

 落ち着いて観察すると、鈴護は大きな変化に気が付いた。


 ――そう言えばあの培養器、前と場所が違う、気がする?


 あの不気味な培養器の位置が変わっている。

 以前は部屋の中央に設置されていた培養器の位置が、一メートル程真横に移動していた。

 間違いない。あそこに何かがある。

 蜘蛛糸を掴む様な思いで立ち上がり、部屋の中央へと移動する。

 培養器が置かれていた位置に、ポッカリと円形の穴が開いている。内部を覗き込むと――人が一人通れるかどうかと言う位の幅の穴の中に、長い階段が奥深くまで続いていた。

 紛れもない、地下へと続く入り口。この場所がきっと、あの老人が言っていた『カケラ』の本体とやらが安置されている場所へと続く道なのだろう。

 暗くて内部はよく解らないが、覗き込んだ階段の先はかなり奥まで続いている様だった。

 一体、どこまで続いているのだろうか。この階段の先は、まだ調べていない。後戻りはできない。何があっても、逃げる訳にはいかない。

 少女の部屋で見つけた沢山の絵。あの絵が伝えてくれた、少女の素直な気持ち。

 今度はその思いに自分が答えなくてはならないから。

 目指すは先の見えない奈落の底。そんな、地獄へと続くかの様な道であろうとも、今の彼女には進む選択肢しか残されていないのだから。


「今、行くよ。ふーちゃん」


 奥の見えない暗闇の先。

 鈴護は、恐怖という感情すら忘れ、一つの思いに突き動かされてそこへと進んだ。

 長い長い螺旋階段。手すりもなく一歩踏み間違えれば先の見えない地の底まで真っ逆さま。

 一応の照明こそ備え付けられているものの、それらの殆どは正常に機能しておらず、ほぼ暗闇を歩いているのと変わらない。

 段を踏みしめている感覚だけが全て。階段の感触と空間に反響する音だけを頼りに、下る。

 やがて、その視界の先に小さな灯火が見えてくる。

 青緑色の、鈍く、ぼんやりと輝く――何かの光源。明らかに自然光では無い、不気味な色。

 暗さに慣れた目には、段々と拡がっていく淡い輝きすらも眩しく感じられた。

 光を辿り、下り続け――やがて、長きに渡った永遠回廊も終わりを告げる。

 最下層と思われる、開けた空間。鈴護はその中へと足を踏み入れていた。

 前方には、例の青緑色の光が拡がっている。

 鈍い輝きを放つそれは、周囲を照らす事は決して無かった。爛々と怪しく明暗している。

 姿をはっきりと捉える事ができない。だが、次第にその全貌が見え始めてくる。

 鈴護の目に映ったその異質な存在の正体は――。

 生き物の様な外観を持ち、圧倒的な質量と威圧感を持つ『巨体』だった。


「な、何、これ……。嘘、でしょう……? まさか、これが……」



 ――それは生物の一部の様でした。何かから分断された外見より、我々は『カケラ』という名をその物体に付け――


 ――貴方が見たカケラはほんの一部。本体は地下に埋もれて存在しているのです。



 老人の言葉を思い出す。生き物。青緑色の淡い光を放つ、生物の様な異質な物体。

 非現実的に威圧的な大きさを持つ、この物体こそが――『カケラ』だと言うのか。


「……そ、そうだ。ふーちゃん。ふーちゃんは、いないの?」


 物体に呆気に取られそうになるが、何とか本来の目的を思い出す。

 取り敢えずあの物体に少しだけ近づこうと、歩みを進める。現在の立ち位置から物体までの距離は五十メートル程。視認は十分に出来る範囲だが、それでも詳しくその全貌を認識する事はできない。

『カケラ』がどんどん近づいて来るにつれ、その巨体もはっきりと浮かび上がる。

 巨体等と一言で言い表すには余りにも足りない。この星の地下に、自然物ではない異質な物体が存在している。正しくサイエンスフィクションの世界が目の前に展開されていた。

 歪な枝を所々に伸ばす、円錐状の生物の角の様な姿形。ゼロ距離と言っても良い程距離を縮め、高層ビルを地面から眺めるかの如く圧倒される高さが鈴護の平衡感覚を麻痺させる。


「よ、よく解らないけれど……東京タワーとか、スカイなんたらよりも高いんじゃあ……」


 その高みを臨む彼女の視線が、ある一点でストップする。

 地上から七メートル程の高さの場所。その一部分だけが透明質な材質で覆われている。

 その内部に――鈴護が探し求めていた存在の姿を見つけ出した。

 少女――ジュライの姿が。まるで赤子の様に膝を抱えて丸まり、『カケラ』の内部で宇宙を遊泳するかの如く漂っていた。


「な……っ!」


 信じたくはない。こんな光景、現実だと思いたくはない。

 彼女がカケラと一つになっていると言う事は――もしや、既に『コンタクト』とやらは終わってしまった後なのだろうか。鈴護がよく知る少女の存在は消えてしまったと言う事なのか。


「ふ、ふーちゃん!」


 信じない。故に、鈴護は少女に向かって叫ぶ。声が反響し、空間中に響き渡る。

 しかし届かない。鈴護の声は――余りにも脆弱でちっぽけな存在の音は、威容を誇るとでも言うべき存在には届かない。

 遠い。目の前に見えているのに、こんなにも少女との距離が遠い。

 一週間前まで少女との間に存在していた何かは、今やその影形すら存在していなかった。


「……ふーちゃん! お願い、返事をしてッ!」


 力の限り叫ぶ。届いていないならそれでも良い。届くまで声を大きくするだけだ。

 己が少女に与えた苦痛の分だけ、鈴護は腹の底から臓器を絞り出す様に叫ぶ。

 許してなんて言わない。いや、許して貰えなくとも良い。

 これは、けじめだから。少女の心を傷つけてしまった事に対する贖罪なのだから。


「ふーちゃぁんッ!」


 己が名付けた少女の愛称を、喉が張り裂けそうな程の声量で呼びかける。

 嫌がらずに認めてくれた、七月の意味を持つ少女の名を。

 何度叫んだのかもそろそろ解らなくなっていた。それでも止める事はできない。

 あの少女がまだ『ふーちゃん』である事を信じて。木下鈴護は叫ぶ。

 変化が起こったのは、その時だった。


「きゃっ……!」


 巨大な物体の放つ淡くぼんやりとしていた光が、いきなり増し始めたのだ。目の眩む程の光量が視界を殺し、鈴護は思わず腕で顔を覆ってしまう。


「な、何、この光……眩しい……ッ!」


 鈴護はその光に包み込まれてしまう。

 視界が閉ざされ、現状がどんな事になっているのかを把握できない。

 段々と人間が耐えられる光量の限界を凌駕し始めている光に耐えられなくなり、鈴護は目をつむった。それでも容赦の無い光は、目を閉じようともはっきりと感じ取る事ができる。

 まるで太陽を直接目で凝視する様なものだ、と鈴護は感じた。


「い、一体何なの……? やだ……痛、い……ッ!」


 更に、続いて頭に痛覚が現れ始める。奇妙な頭痛。我慢が出来ない程に、痛い。

 まるで、意識を何かに引っ張られる様な感覚が全身を巡る。

 光に紛れて襲い来る頭の痛みに、いつしか全身の感覚は殆ど消え入りそうになっていた。



 ――そうして世界が、カケラを中心に、その属性を変える。

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