5-6

 老人は告げる。コンタクトの日はもう間近なのだと。

 膝に置いた鈴護の手がわなわなと震える。隙さえあれば今すぐにでも老人を殴り飛ばしたい衝動に駆られていた。自分を備品扱いされた事に怒りを覚えているのではない。それはむしろどうでも良い。少女との生活の裏に、そんな思惑があったという事もどうでもいい。あの生活は、その中で得た様々な物は、鈴護の中に残る、確かな本当の出来事なのだから。

 ならば、何故。自分は一体、何に対して怒りを覚えているのか。


「今のジュライは身体的にも精神的にもこの星の人間と殆ど大差はない。しかし、あの娘の体はカケラの遺伝子情報からその大半が構成されています」


 そう、それはきっと――。


「来るべき時が訪れれば、あれはカケラとのコンタクトに応じた後に、知識を受け止めるための寄代となる。言わば彼女の存在は『カケラの人』を受け止める『器』の様な物。全てを受け入れた後、模造品であるジュライは、正しく宇宙人として生きていく事になるのです」


 少女に対する、老人の考え方に対してだ。

 老人の発言には、少女個人の意思を尊重する為の言葉が一つもない。老人はあの少女の事を完全に『物』として扱っている。それが許せないのだ。


「もしかすれば、そこでジュライ本来の人格は消えてなくなるかも知れませんが、それも、当初から検討済みです。彼女もそれは心得ている。ジュライは、最後には本当に人間ではなくなり、正に本物の宇宙人となるわけです」


 人格が消えると言う事は、少女の存在が実質消えてしまうのと同義。彼女自身もその事実を受け入れていると言うのか。


「全ては本日、日付が変わると同時に解る事。それで全てが終わりを。いえ、ここから全てが始まるのです」



『私は、宇宙人です』


『私はこの場所で、宇宙人になります』



 少女が言っていた不思議な言葉は冗談などではなく、紛れもない真実だったと言う事。

 コンタクトを成功させ、己を失い異星人の知識や技術やらを得る為だけに、少女は生かされていると。

 そんな戯けた現実を。少女を消し去る、死に追いやる未来を。この男は誇らしげに語っている。


(何よそれ。何なのよ、この馬鹿みたいな話は)


 少女が言った、鈴護の子供になりたいという一言。

 役割を受け入れ既に諦めている人間に、果たしてあんな言葉を発する事ができるだろうか。


(ふーちゃん。貴方は一体、私に何を伝えたかったの?)


 少女は何故、鈴護を落下地点のクレーターへと誘い『カケラ』を見せたのだろう。

 何故、わざわざ『宇宙人になる』なんて事実を鈴護に教えたのだろう。


(私は貴方に、どの様な答えを向ければ良かったの?)


 少女は何故、宇宙人と言われてあんなにも感情任せに怒り、叫んだのだろう。

 自ら宇宙人になると主張しておいて、何故それを指摘されて起こったのだろうか。

 メッセージに刻まれた想い。少女の言葉にはどんな意味が含まれていたのだろう。

 解らない。あと一歩で何かが浮かび上がりそうだが、言葉が出てこない。

 でも、それでも一つだけは、確かな事がある。

 日付が変わると同時に、少女は本物の宇宙人になってしまうかもしれない。

 目の前の老人は、そんな馬鹿げた事をあの子にやらせようとしている。

 その為に創りだされた存在だと彼等が言おうとも、既に一人の人間として確立している少女の存在は、決して他人が蔑ろにしても良い物ではないのに。


「以上が彼女、コードネーム・ジュライに纏わる起源と計画の全てです。この結果を導き出す為の要となって下さった貴方にはどんなに感謝をしてもしきれません」


 老人の表情を眺めて見る。初めて見た時に感じた紳士の様な雰囲気は相変わらず。最初からどこか胡散臭さを感じていたその顔に、今は只々怒りを覚えるだけであった。


「それでは、これが貴方に与えられる二ヶ月分の給与です。今日まで本当にお疲れ様でした。帰りは街の港まで送らせて頂きますので、このままテント内でお待ち下さい。直ぐに行きと同じクルーザーが参ります」


 老人が纏うスーツの内ポケットから封筒を取り出し、鈴護に差し出した。封筒には「給与」の二文字が見て取れる。

 この場所に就任した際の当初の目的。それが今、鈴護に手渡されようとしていた。


「……受け取れません」

「は?」

「このお金は受け取れません」


 だが鈴護は、男性が手渡そうとしたその封筒を受け取る事なくそのまま老人へと突き返す。


「何を――」


 老人も鈴護のこの行動は予想外だった様で、意表を突かれた様に表情を固めていた。

 我慢の限界だった。老人の説明、態度――給金を与える事で全てを済ませようとしている事が、その全てが気に入らない。


「貴方は、ふーちゃんを……人間を、何だと思っているんですか」


 次の瞬間鈴護はテーブルに手を叩きつけ、もう片方の手で老人の胸倉に掴みかかっていた。

 老人の戯言、文月に関する真実を聞かされたとしても解った答えは唯一つ。

 コンタクトだろうが何だろうが、あの子がこんな事をしているのは、全てこの老人達に命令されているからなのだと言う事だけだった。


「け、形式上の保護者とは言え、あの子にはそれなりの感情をもってはいます。ですが、私達には成さねばならぬ事がある。地球と言う、一つの星の未来の為に」

「その為ならば、一人の子供の意思も、運命も――簡単に切り捨ててしまうと言うんですか」

「それが成さねばならぬ事ならば。必要な、犠牲です。犠牲の下に繁栄があり、私達の世界は成り立っているのですから」


 その老人の一言が、鈴護の中の何かを完全に吹っ切れさせた。


「よく、解りました。もう、これ以上貴方と問答する必要性は無さそうです」


 つかんでいた老人の胸倉を離す。苦しそうに咳き込む姿が見えたが、こんな人間に対しては同情する気にもならなかった。


「仮にも貴方も一児の親だと言うのならば、生み出した子供の責任を最後までとって下さい」


 吐き捨てる様に静かな威圧のある声で言葉を投げつけ、鈴護は椅子から離れた。


「ど、どこへ行くのですか」


 そのままテントの入り口へと歩む鈴護の後ろ姿に、老人が語りかける。


「私、帰りません。このまま、学校へ戻ります」


 もう顔を見るのも嫌な相手に、振り向く事もなく鈴護は述べる。


「貴方達にあの子は任せられない。あの子は私の大事な……大切な――」


 最後の言葉を濁らせたまま語らず、鈴護は走り出した。

 目的地は決まっている。勿論、あの学校へ。

 終わっていない。少女との物語は、まだ終わってはいけないのだ。

 間に合うかどうかは解らない。もう一度。今一度、あの少女に会わなくては。

 発作の所為とは言え、彼女の目の前で否定した自分達の関係を取り戻せるとは思えない。

 だが、自分の想いは――少女への本当の想いははっきりとしている。

 一緒にいたい。もっと沢山、少女と触れ合いたい。

 まだ迷いはある。でも、逃げる事はもう出来ない。ここで逃げたらもう逢えない。

 駆ける。辺りはもう完全な闇に包まれていたが、閉ざされた視界も気にせずに走る。


(コンタクトを止めないと。二度とふーちゃんと話す事も、謝る事もできなくなっちゃう)


 現在の時刻が気になる。コンタクトまでのタイムリミットはどれ位なのだろう。

 携帯電話を取り出す暇も惜しい。そんな事をしている暇があるなら前へと走る。

 まだ少女が『宇宙人』と化してしまっていない事を祈るしかない。

 一刻も早く、少女の下へ辿り着かなくては。


 走り去った女性の後ろ姿を眺める老人の姿が浜辺にあった。

 その顔に卑屈な笑みが浮かんでいたのを、木下鈴護は最後まで気づく事が出来なかった。

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