5-3
「お手をどうぞ」
老人が屈みこみ、鈴護にその手を差し伸べてくる。紳士的にそんな気遣いを向けられても、怒りが収まる事は無い。鈴護は涙を隠す事もせず、老人を睨みつける。そのシワだらけの手を掴むのは何となく躊躇いがあった。
「結構です。貴方みたいな人の手なんて、借りたくありません」
鈴護は老人の手を借りず、己の力で立ち上がる。
老人は少し驚いたように目を見開いたが、直ぐに表情を戻すと、その不要になった己の手を素直に引っ込めた。
例えこの老人が己の雇い主であろうとも、この老人に心を許すことは出来そうにない。
少女を蔑ろにした、彼女の本当の保護者には。
鈴護は真っ向から老人と向かい合った。半分睨みつけるように、目の前の男性を見据える。
その鋭い視線にも、老人は少しも臆した様子はない。
「確かに、私はあの子の保護者失格でしょう」
やがて老人は口を開くと、悪ぶれもなくそんな事を淡々と言い始めた。
「目先の事に目が行き過ぎる余り、私はあの子の内面を気遣うまでには至らなかった」
何を言い訳じみた事を今更――と、老人の言葉を頭の中で一蹴する。
「ですが厳密に言えば、私はあの子の親ではありません」
この期に及んで言い逃れをするのか、この保護者は。再び頭に血が上るのが解る。
鈴護の苛立ちなど知った風もなく、老人は更に話を進める。
「それどころか、あの子にはこの世界に親と呼べる存在すらいないのですよ」
そして老人は――ジュライの保護者と名乗ったこの人物は。
鈴護には到底理解のできない、何か不思議な言葉を、吐き捨てた。
この世に、親と呼べる存在が――いない。少女には生みの親がいない、と。
聞き間違えじゃあなければ今、この男性はそんな巫山戯た事を言ったのだろうか?
「貴方、何を言っているんですか? 私を、からかっているんですか?」
冗談なんかでこの場を紛らわせようとしているのか。
「言葉通りに取って頂ければ。それが真実です」
老人の顔は至って真顔。とても冗談を言っているようには見えない。
そもそもこの老人の真意すら鈴護には見抜けそうに無かったが。
「ふ、巫山戯た事を言わないで……ッ!」
激昂する。最早敬語なんて必要ない。この男は敵だ。
「あの子も人の子である以上、必ずご両親はいる筈でしょう! 尤も、こんな得体の知れない学校にあの子を一人ぼっちで置き去りにするなんて、ロクなご両親ではないでしょうけど」
老人の本心のわからないその態度もだったが、そんな冗談で言い逃れをしようとするなど許されたものではない。
「人の子、ですか。果たしてそうと言い切れますかな」
「あの子は人間です! この二ヶ月間、ずっと近くで過ごしていた私には解ります。貴方達の実験動物でも、宇宙人なんかでもない!」
「いいえ、違います」
「な、何が違うと言うんですか!」
「コードネーム・ジュライは、私どもが誇る研究機関が、『ある人物』から提供された情報を基に、総力を上げ作り出した人工生命体」
老人が発した言葉。鈴護の理解の範疇を大幅に超えた発言を、何の躊躇も無く、準備も覚悟も持ちあわせていない鈴護に対して話し始める。
「え? 人工……?」
「彼女が生まれたのは試験管の中。ある物質のゲノム情報から構築され、遺伝子の細部にわたるまで完璧に再現した、ある存在のクローン体。それがあの少女、コード・ジュライの真実」
捲し立てるように老人は理解できない単語を混じえて語る。
「彼女は、この星で言うところの尋常な人間ではないのです」
真実を知らない鈴護に。現実と言う名の、残酷な凶行の一端を。
「普通の人間じゃあ、ない? ふーちゃんが、クローン?」
クローン。あの少女は、只の人間じゃあ、ない。
突然言われても信じられるわけがない。冗談にしか聞こえない。この老人は自分をからかっているのだろうかと、鈴護は老人の言葉を己の中で事実に昇華する事を良しとしなかった。
「良いでしょう。貴方に全てをお話しします」
老人は一度言葉を区切る。
そして、空の大きさをヒトの短き腕の長さで表現するかの様に、腕を広げた。
「お教えしましょう。彼女の出生の秘密。この島に作られた、あの『学校』の真実。そして、この島の正体を」
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