4-6

「実はね。後一週間で任期終了、なんだ」


 あの奇妙な体験から学校へと戻り。鈴護は自分があと一週間で用務員の業務を終え、帰ってしまうという事を告白する。

 夕食も食べ終え、いつもなら夕涼みと言った感じでまどろむ様な時間帯。

 このタイミングで、鈴護は己の嘘を告白し、謝罪しようと考えていた。

 事実を聞き届けたジュライの顔は、かつての表情に乏しい物ではなく、どことなく寂しそうな色合いに染まっていた。


「黙っているつもりは無かったんだけど、言い出しづらくて。ごめんね」


 少女との共同生活は別れの期日を忘れさせる程に、鈴護にとっても有意義で、価値のある物へと変化していたのだろう。

 そんな大切な時間を、たった一つの嘘で崩してしまう。それだけはどうにか避けたい。

 あの嘘さえなければ、何の苦痛も無く残りの時間を過ごせた筈。

 だが、どこまで行っても嘘は嘘。真実を偽り続ける事は、少女の為にも鈴護の為にもならない。

 今日この時、全てを告白する。最後は少女と笑いながらお別れをしたいから。

 寂しい事だが、この少女は鈴護の『本当の子供』ではないのだから。

 どんな物事の中にも、別れはいつか必ず訪れる。それを、少女にも『正しく』教えないといけない。

 沈黙が二人の間に訪れる。押し黙っていた空気に耐えきれず、少女に何かフォローを入れようと思い悩むが、こんな時に限って何も言葉が浮かばない。


「知って、いました」


 沈黙を破ったのは鈴護ではなく少女の方だった。俯いていた顔を上げ一言、そう告げる。


「え?」

「鈴護が、帰ってしまうのだと言う事を」


 少女は鈴護が告白せずとも知っていた。鈴護がこの島からいなくなってしまう事を。


「私は、この学校の管理者です」


 言われてそうだったと考え直す。

 毎日慌しく動く少女との生活の波に押されて忘れていたが、彼女は学校の生徒としての顔の他にも、学校の管理者としての役割も持っていると言っていた。

 そんな少女が鈴護の就任期間を知らない筈がない。だがそれを知っていながら、少女はいつもと変わらぬ様に日常を過ごしていた。

 鈴護が帰ると知っていたのにも関わらず、わざとあんな風に振舞っていたのだろうか。


「ふーちゃん……」

「帰る前に、鈴護に余計な気負いをさせたくありませんでした。いつも通りの私でいる事で、鈴護が帰る時に安心してこの島を出られる様にと。私なりに、考えた結果の行動です」


 少し俯きがちに少女は答える。


「鈴護は私に色々な事を教えてくれました。知識は実体験からこそ素晴らしさを得られると言う事。その事実を知ることができたのは全て鈴護のお陰です」

「そ、そんな事ないよ。私はきっかけを教えただけだから」


 手をぶんぶんと左右に振って、自分は大した事はしていないと主張する。


「実際に色んな事を経験して、そこから何かを得ていったのは、全てふーちゃんが自分自身で成し遂げた事なんだよ」


 全ては少女自身が経験し、成長していったのだと鈴護は少女に教えた。

 自分はその手段を少女に教えただけ。結局の所は少女が自分で成し遂げ、その事実に気が付いたのだから。

 そこで鈴護は一度言葉を止める。

 話すならば今しかないと、鈴護はここから自分の嘘を告白する為に、一つの昔話を少女に語る事にした。


「ねえ、ふーちゃん。少しだけ、私の話を聞いてくれるかな」

「話、ですか?」

「うん、そう。私が今、この場所にこうして立っている理由とも言える昔話をね」


 あの『嘘』の真実を教える為の助走。自分の経験を通して、少女に『死』と言う概念を教える。それが、鈴護から少女への最後の教えだった。


「ふーちゃんは私達、『生命』の終わりがどんな風になるのかは知っている?」

「生命機能の停止、という知識はありますが、実体験が無いので理解できません」


 知識はあるけれど、実際に経験したことの無い事は理解できないと少女は言った。

 半ば予想していた事であったが、少女はやはり『知識』だけしか知り得ていない。


(実際の経験はないから、か。当たり前、だよね)


 全ては自分の嘘が原因だった。

 酷な様だが、少女に真実を教える事。それこそが、この場所を離れる前のけじめに他ならない。

 胸が締め付けられる様な想いに駆られるが、仕方がない。これは言わば、嘘をついた事に対する贖罪とも言えるべき行為なのだから。


「三年前の事だよ。私にはね、本当なら初めての子供が出来る筈だったの」


 鈴護の昔話――それは今から三年前、生まれてくる事なく自分の子供が生命の灯火を消してしまった事や、二度と子供が作れなくなってしまった事に関する話であった。

 勿論、直接的な表現は避けて。少女には少し荷が重すぎる話だと考えたが故に。


「落ち込んだよ。この手に抱ける筈だった生命が、知らない間に消えてしまっていたなんて」


 女性としての全てを失ってしまい、二度と自分は『母』になる事はできないのだと、その事実が鈴護に突き刺さり、彼女は立ち直る事ができなくなっていた。


「一年。ずっと私は塞ぎ込んでいたの。家から出る事も無く、殆ど引き篭もり同然だった。私の旦那さん――英ちゃんって言うんだけどね。彼にも相当迷惑をかけたよ」


 このままではいけないと心配した夫が、自分を励ましたり、外に連れ出そうと気を利かせてくれた。

 だが、外出先で子供の声や姿を確認しただけで、もう駄目だった。

 子供と相対した事で、決まって最後には『発作』が起きてしまう。

 『発作』は鈴護の子供に関するトラウマが起因となって引き起こる、心因性の物である。

 子供に少しでも近づくだけで、その姿を亡者の様に追い求め――やがては癇癪を起こし、泣き叫ぶ。

 日が経つ毎に状況は悪化の一途を辿る。

 己の中の異常性。親になれなかった母親の末路。幾重もの罪悪感を重ねようとも、赦される事の無い無限獄。

 幾人もの子供、その親にも迷惑をかけ、そんな日々の流れが更に鈴護を壊す決定的な要因となった。

 子供が嫌いなわけではない。むしろ好きだと言うのに近付く事ができない。

 それでも親身になって傍にいてくれた夫のお陰で、日常生活に支障が無い位には立ち直る事ができた。

 だが、どんなに取り繕うとも一度抉れた傷跡が完全に消える事は決して無い。

 今でも自分は壊れているのではないかと、そんな風に考えてしまう事もある。


「今だって時々子供を目の前にすると、具合が悪くなったり、酷い時なんて吐いちゃったりもするんだ」


 子供に近づく事。

 いつしか鈴護の中では、その行為その物が禁則事項となってしまっていた。


「おかしいよね。後ろを振り返ると、凄く嫌な気分になる。私、そんな自分が嫌だった」


 少し一方的に重い話をし過ぎてしまっただろうか。少女の表情は何とも言えない、微妙な雰囲気に包まれていた。

 やはり、少女にこんな話をするのは、まだ早過ぎたのだろうか。


「だからね。少しでも立ち直る為にお仕事をしようと思ったの。そして私はこの場所での用務員のお仕事を見つけて、この島に――学校に訪れた」


 そこから現在の、二ヶ月前の話へと繋がる。

 自分を変えようと考えた末に、仕事を始めた事。

 その結果、鈴護は学校へと訪れ、少女・ジュライと出会う事ができた。


「ふーちゃんを初めて見た時ね、実は凄く怖かった。また自分を見失って発作を起こすんじゃないか、って」


 仕事を始める前から、己の発作がまた全てを壊してしまうのではないかと。

 この学校を訪れ、少女と出会った瞬間の怯えや恐怖といった感情は、並々ならぬ物であった事は記憶にも新しい。


「でもふーちゃんは、ふーちゃんにだけは発作が起きなかった。それが何故かは解らないけれど、私自身もそれに凄く驚いた」


 だが、少女に関してだけはその事態が引き起こされる事は無かった。

 発作が起こる事の無い子供――それがこの少女だったのだ。


「私はこの場所なら、ふーちゃんと一緒なら、きっと何かを見出せるって思ったんだよ」


 少女に様々な事を教える内に、考える事になる子供を持つ親の心境。

 家族とはこう言う物なのだろうかと、今まで発作が原因で目を向ける事ができなかった事を沢山考える事になった。

 子供とはこんな存在だったのだと、もう二度と自分には理解できないと思っていた事が少女と関わっていく事で理解ができたのだ。

 自分はまだ子供と共に生きる事ができる。トラウマも克服できるのかもしれないと、そう思えるまでに、鈴護の心境にも変化が現れていた。

 全ては少女との間に培った信頼のお陰。それが少女との生活を経て、鈴護が得る事のできた物の一端。

 鈴護は今まで『発作』と言う『枷』を無意識の内に恐れ、あえて少女との生活をそういう方面に考えないようにしていたのかもしれない。

 だが、これこそが鈴護の本心。少女との生活の中でいつしか彼女を本当の子供の様に見ている自分が確かにいたのだ。

 この学校で体験した事の全てが、鈴護にとって二度と体験できないと思っていた事だった。

 ジュライと言う一人の少女のお陰で、鈴護が得る事ができた物。

 自身も少女と生活する内に、沢山の物を与えられていたのだと言う事に気が付く。

 この少女。そう、他ならぬ『子供』のお陰で。


 コドモ。


 ――自分の子、供じゃないコドモの、お陰。


「私は……きっといつの間にかふーちゃんの事を、ね……本当の――子供の様に」


 ホントウノ、コドモ。そう、本当の、コド、もの、ヨウニ。


 あれ――? おかしい、な。


 ここからあの兎を拾った時に思い出した、ジローの話に繋げて――それで。


 

 それで、何が言いたかったんだっけ?


 

 私は、これから……このコに、ナニヲ言オウトシテイタノダロウ?


 何故か、鈴護は言葉を止めてしまっていた。

 それっきり彼女は押し黙ってしまう。

 しかし、鈴護と向かい合った少女はその空気の変化に気が付かない。

 鈴護の告白を聞いた少女は、己の口をもごもごさせ何かを言おうとしてはそれを口の中に戻すのを繰り返している。

 一体、少女は何を言おうとしているのか。


「ならば私が、鈴護の子供になります」


 やがてジュライは己の中で決心がついたのか、そんな一言を呟いた。

 鈴護の『変化』にも気付かずに。


「ふーちゃんが、私の、子供?」


 鈴護の声が、何故か低くなる。表情にも影が差し込む。

 少女は未だ、明らかな変化に気が付かない。

 ジュライが呟いた一言は、場合によっては二人が『本当の家族』になるきっかけとなっていたのかもしれない。

 だが、その少女の一言は決して触れてはならない物だったのだ。

 木下鈴護と言う名の一人の女性に対しては、禁忌の言葉だったのだから。

 本人すらも、現れぬ『兆候』に安心しきって忘れていた。

 今まで『ソレ』が現れなかった、鈴護の、少女に対しての最後のリミッター。


 カチッと、鈴護の頭の中で何かが切り替わる音が響く。


「私が鈴護の子供になれば、鈴護にも自分の子供ができます」


 少女の言葉は、彼女の決意の表れ。

 一体どんな気持ちで少女はその言葉を口にしたのだろう。

 だが、鈴護――いや、一人のその『女性』にとって、その言葉は。


 もう、止められそうに無かった。


 開かずの間の蝶番が、カツンっと音を立てて鈴護の頭の中で弾ける。


 その瞬間、木下鈴護と言う名の役者は、表舞台から姿を消した。

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