4-5

 少女の手を取りながら、狭い山道を進む。

 散歩の時は大体海に行くか、学校裏の山を毎日ローテーションで歩く事にしていた。

 今日は山道が散歩道。海から施設までに広がる林道とは違い、深森の中を伸びる道である。

 山道は殆ど一本道になっているらしい。地図によると山頂付近に湖があるらしいのだが、流石にそこまで歩く気力は無かった。

 歩くとすれば、一日をかけてピクニックでも行わない限り無理であろう。

 少女は細身な外見からは想像できない位に、意外にもタフである。

 幾ら子供であるとは言え少女の体力とは思えない程に長い距離を歩いても全く動じない。

 鈴護が少し息を切らしたりしている物なら、知らない内にずいずいっと遠くを歩いているなんて事も珍しくはなかった。

 そんなジュライが何かを思ったのか、突然歩みを止め、その場に立ち止まる。


「鈴護」


 名を呼ばれ、鈴護はすぐ後ろに立つ少女の方向へと向き直る。


「ん? どうしたの、ふーちゃん」


 何だかいつもと様子が少し違う少女に、鈴護は不思議そうにその顔を眺める。

 少女は暫しの間、鈴護の顔を見つめ返したまま停滞していたが、やがて何か考えがまとまったのか、意を決した様に口を開いた。


「今日の散歩は、いつもとは少し違う場所に行きたいです」


 眼前の少女が言い放った言葉はそんな内容の一文だった。

 少女が自ら行きたい場所を希望してきた事に驚く。


「違う場所に?」

「はい」


 散歩道は大体決まったコースを歩いている。そこから外れて、違う道を歩きたいと言う気持ちも解らないでもない。

 しかし、違う場所とは一体どこの事だろう。まさか、このまま山頂付近の件の湖まで脚を伸ばそうと言うのだろうか。

 そうなると、とてもじゃあないが準備が足りない。

 現在の時刻は午後三時過ぎ。今からでは山頂にたどり着く頃には夜になってしまう。


「ふーちゃん、でもどこに行きたいの? もう時間も遅いからそんなに遠出はできないよ?」

「大丈夫です。遠い場所ではありません」


 遠くはない場所。この周辺はそれなりに歩いた様な気もするが、目を引く何かは存在していなかった様な気がする。

 だが、折角の少女の提案を無下にする訳にもいかない。


「そっか。それじゃあ今日の行き先は、ふーちゃんにお任せしようかな」


 取り敢えず今日は少女が言う通り、その違う場所とやらに足を運んでみるのも良いだろう。


「はい」


 ジュライは嬉しそうに微笑み鈴護の手を握ると、鈴護の手を引っ張るように、先導して山道を歩き始めた。

 そうして暫くの間、見知った道を歩いていたのだが、唐突に少女は歩みの方向を変えた。

 明らかに道が存在しない、木々の間に広がる雑多な草原。人間の手が加えられていない野生の道に苦労しながらも、歩み続けたその先。

 やがて、永遠に続くかと思われた森も、忽然と終わりを告げる。

 空間の境目に立った時、まるで学校周りの広場の様に、一気に目の前の空間が開けた。


「着きました」


 先行していたジュライが立ち止まる。

 この一帯を円周状に広い草原があたり一面に広がっている。山中とは到底思えない様な、広大な草原だった。

 だが、驚くべき事は他に存在していた。


「え……? こ、これって」


 鈴護が眼前に視線を向けた時、草原の真ん中に拡がる何かが視界の中に入り込んでくる。

 それは大きな大きな、半球状の穴。地面が抉れた様に、ポッカリと綺麗に穴ができている。

 所謂、『クレーター』と言う物であろう。

 そして、そのクレーターの内部。中心点とも言えるべきその場所に。

 『日常』という名の世界から隔離された、異様なモノが存在している事に気がついた。


「な、何あれ……!?」


 それは、一言で言えば獣が頭に備えている様な『ツノ』。

 その形は不規則で、奇怪で歪な姿を持っている。

 高さは見上げても先がやっと把握できる程。二十メートル近くと言ったところだろう。

 それがかなりの異質な物であると言う事が、鈴護にも十分理解できる。

 思わず絶句してしまう。これと同じ様な物を最近どこかで見た様な気がした。

 そう。就任初日に少女と出会い、少女を外へと誘う切っ掛けとなったあの宇宙船部屋。

 あの部屋に備えられていた培養器。あの中にあったオブジェの様な何かも、確かにこんな見た目だったと思い出す。

 形、大きさこそ違いがあれど、あの怪しげな物体と同じ物だと言うには十分過ぎる類似性。

 威圧的に、何か得体の知れない圧力の様な物を放っているのも同じだった。


「あれは一体、何なの? ふーちゃん」


 物体が放つ異様な圧に気圧されて、腰が引けてしまう。

 少女はあの威圧感を何とも感じぬかの様に、平然と物体を見つめている。


「カケラ、です」


 そうして何事も無く少女が口にした答えは、そんな一言だった。


「か、けら……? カケラって、何の?」


 少女が話す『カケラ』とは何なのだろうか。

 あんな大きな物体が、一体何のカケラだと言うのだろうか。

 少女の言葉の意味が理解出来ない。

 果たしてあれは、地球上の人々の概念で語ることができる物なのだろうか?

 得体のしれない感覚に身を襲われながらも、鈴護は少女の隣に立ち続ける。

 心なしか物体を眺める彼女の表情からは、何故か多少の優しさの様な物が滲み出ている様な気がした。

 解らない。あの培養器のオブジェと同じ様な物がクレーターの中にあると言う事。少女がこの場所に鈴護を連れてきた事。その全てが解らない。

 唐突過ぎて理解が追いつけない。眼前に拡がる『世界』が鈴護の知るそれと余りにも違いすぎて、訳が解らない。


「三年前。宇宙からカケラが、この場所に落ちてきました」


 落ちて、きた。

 その言葉を言葉通りに理解するならば、あの物体は宇宙から飛来し、この場所に落下した?

 隕石と言う事か? だが、これを隕石と言うには、余りにも形が生物的だった。

 こんな巨大な何かが、この島に落下していた。しかし、この三年間でそんな話は聞いた事が無い。

 船で訪れる事ができる位には市街から近いであろう島。そんな場所にこんな謎の物体が落下したとなれば、少なくともテレビやネットなどで報道されている筈なのだが、そんな騒ぎも聞いた事が無かった。


「えっと……。ごめんね。よく、解らないや」


 突拍子も無い話に、ますます理解が追いつかなくなってしまう。


「ははは。私、バカだからなあ」


 取り敢えず笑っておくしかなかった。他に何を言って良いのか検討がつかない。

 これ以上、己の理解を超える事柄に関して、考えが及ばなかった。


「それで、此処は一体どう言う場所なの?」


 話を変え、少女にこの場所の説明を求める。

 カケラと呼ばれるあの物体が、一体何なのかは別に解らなくても良い。

 それよりも、少女がこの場所に鈴護を誘った事の方が気になった。


「ここが、私の始まりの場所です」


 少女は鈴護の隣から歩を進め、クレーターの中へと足を踏み入れていく。

 急な斜面では無いとは言え、少女が転ばないかと心配になり、鈴護もその後を追った。

 眼前に大きな異質が迫ってくる。

 目の前に近付くと、只でさえ大きな物体が更に強大で、巨大になるかの様な錯覚を覚えた。


「始まりの場所って、どう言う事……?」


 歩を進めながら、前方を進む少女の背中を見つめる。

 やがて、物体を見上げなければその全貌を確認できない程の近距離まで辿り着いた所で、少女は足を止める。鈴護もそれに倣って足を止める。

 彼女は頭上の物体を見上げ、その小さな身体で慈しむ様にカケラを眺める。

 綺麗な緑色の髪と、学校の制服のスカートが風に揺らいでいた。


「私がこの場所に存在する意義。私の、役割」


 まるで何かを決意するかの様な視線で、じっと歪な物体を眺めている。


「私はこの場所で、宇宙人になります」


 そうしてジュライは、鈴護には全く理解できない単語を呟いた。

 告白した少女の顔には笑みが浮かんでいた。笑みのまま、少女は不思議な言葉を口にした。

 今の少女の姿からは、初めて出会った時の彼女の姿を彷彿とさせる。

 鈴護は今度こそ、気絶する事も無く、確かにその言葉を聞き届ける事となった。


 ――宇宙人。


 間違いない。少女は確かにそう言った。宇宙人、と。

 一陣の風が、鈴護とジュライの間を通り抜け、それぞれの髪を撫でる。

 この風は、以前にも感じた事がある風だった。


「ふーちゃん。それは一体、どう言う」


 そんな事実を伝える為に、ジュライは鈴護をこの場所に案内したのだろうか。

 ジュライは一体、その告白から何を伝えたいのだろう。

 少女は本当に宇宙人だとでも言うのか。いや、少女の言葉を信じるのならば彼女はいずれ宇宙人とか言う存在になってしまうのだろうか。

 そんな考えは馬鹿げている。少女はどう見ても普通の人間だ。

 普通に考え悩み、感情も持っている。そんな得体の知れない物な訳が無い。

 だから例えその視線が本気の色を帯びていたとしても、そんな突拍子も無い話は信じられない。

 少女は何も答えなかった。それ以上の返答が訪れる様な空気は、この場所には存在しない。


「鈴護、そろそろ戻りましょう」


 やがて、視点を上から下へと戻したジュライが鈴護の方へと振り向き、そう述べる。

 鈴護としてはこの場所から一刻も早く立ち去りたかっただけに、ありがたい提案だった。

 宇宙人になると言う少女の一言が、未だ頭の中を回っていたが。

 意味としては実にシンプルな一言。冗談だと一蹴すればそれまでの言葉。


(教えてよ、ふーちゃん。ふーちゃんが何を考えているのか、私には解らないよ)


 例え少女の言葉が性質の悪い冗談だったとしても、その言語は鈴護がジュライの存在をどこか遠くの場所に感じてしまうのには十分過ぎる要因であった。

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