3-8

「鈴護、見て下さい」


 更に何日かが経過したある日。珍しくジュライが腕に兎を抱えず、鈴護の元を訪れる。


「どうしたの? ふーちゃん」


 兎はどうしたのだろうと辺りを見回してみると、よく見れば少女の足下に見慣れた白い毛むくじゃらが座っていた。

 その体にはまだ包帯が巻かれている。

 何を考えているのか解らない兎特有の無表情さで、ぼーっとどこか虚空を眺めていた。


「おおう。兎さん、動けるようになったんだね!」


 少女が抱かずともここまで兎が付いて来ていると言う事は、兎が己の足で動けるようになったという事を指し示している。

「はい」


 兎を傍らに従え、頷くジュライ。その顔にはどこと無く嬉しそうな表情が浮かんでいる。


「良かった良かった。ふーちゃんがつきっきりで看病してあげたお陰だね」

「そんな事は、ありません。兎の自然治癒能力が高かっただけです」


 凄い凄いと、自分よりも背の高い少女の頭を背伸びして撫でる鈴護。

 嫌がる事もなく少女は成すがままにされ、少しだけ羞恥に頬を染め顔を俯けるのであった。


「もう、この子を外に放しても大丈夫なのでしょうか」


 ポツリと、少女がそんな言葉を呟く。どこか、寂しそうな色合いを持った声で。

 兎との別れの時。野生の動物である以上、いつかは訪れるであろう瞬間。


「まだ早いかなあ。もう少し、怪我が完治するまではお世話してあげようよ」


 別れは等しく、何事にも何者にも必ず訪れる。それは兎であろうと人であろうと、同じ事。

 だけど、今はもう少しだけ少女が兎と接するのを見守りたい。

 もう少しだけ、この温かな日常を繰り返しても良いのではないかと、鈴護は感じていた。


「面倒を見ると決めた以上、人の都合で見逃したりしたら可哀想でしょう?」


 一度決心した事は、最後までやり通す。

 人として生きる以上、世渡りの為にも大切な事を、少女がこの生活から見出してくれる事を考える。

 兎の世話を通じて『世話を行う』と言う『責任能力』を培う事も、成長と言う面では大切な事であろう。

 当の少女が鈴護の意図する物を理解したのか、していないのかは解らない。

 今はただ、もう少しだけ兎と共に過ごせる事を嬉しく思っているのか、傍に座っている兎を抱き寄せ、その体温を感じている様であった。

 その時、本当に一瞬の事だったが、微かに少女が『笑った』様に頬を緩めた気がする。


(ふーちゃん、兎と接するようになってから、以前よりも表情が明るくなった気がするな)


 兎は少女に良い傾向を与えている。

 少女に兎を任せた事は、間違いなく彼女の成長に繋がっていた。

 やはり早い時期から動物を育てると言う経験は、色々な面でも良い傾向を与えるのかもしれない。


(そういえば、私の実家にも昔は――)


 少女と兎が触れ合う様子を眺めている内に、鈴護は己の幼少時の記憶を思い出していた。


(そっか……ジロー、か。何だか懐かしいなあ)


 かつて鈴護も犬を一匹飼っていた事がある。

 犬の名は「ジロー」。鈴護が生まれるよりも以前から木下家の庭番を任されていたジローは、彼女にとってまるで兄弟の様な存在だった。


(もう、随分昔の事なんだ。あの頃は私も『お母さんお母さん』って、いつも母さんにつきまとっていたっけなあ)


 兄弟の思い出。亡き母との思い出。

 あの輝かしい日々を今でも鮮明に思い出す事ができる。

 今はもう会う事のできない家族の記憶を辿り、鈴護は懐かしい想いに浸ると同時にどこか寂しさも覚え、少しだけメランコリーな気分に駆られていた。

 ほのぼのとした日常。そんな兎を含めた生活が彼女達の間で数日に渡り、繰り返される。


(こんな日常なら、ずっと続くと良いのに。ふーちゃんと言う子供が居て、私も親子の様に子供と接する事ができる。こんな生活がずっと続けば――)


 少女は日に日に人間らしさを増し、鈴護も少女との触れ合いから何かを学び、掴んでいく。

 だが、そんな日常も唐突に終わりを迎える事となる。

 川が滝へと差し掛かるかの様に、流れは最悪の展開を持って終焉を迎えるのだった。

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