3-7

 翌日から、学校に新しい家族が加わる事となる。

 その小さな家族は少女にとっては未知の存在。初めて接する人間以外の生物。

 ジュライは兎と言う動物に戸惑いながらも、一所懸命介抱を続けていた。

 朝にも関わらず早起きし、少女は鈴護の元に訪れ世話の仕方や分からない事を聞きに来る。

 そんな生活の一部を掻い摘んで紹介しよう。


 ――其の一・食物摂取――


「鈴護。兎の食事はどうすれば良いでしょうか?」

「そうだねえ、やっぱり王道にのっとって野菜が良いのかなあ。消化が良い物でも良いかも」

「消化が、良い……」


 ――数分後。


「ふーちゃん、これは……」


 ジュライが用意した兎の食事には、野菜類に加え明らかに人選ミスな御方が鎮座していた。


「うどん、です」


 兎の箱の前には、丼にこれでもか、と大盛りになったうどんの山が、でんっとその巨体を惜しみも無く晒している。


「いや、あのね。確かにうどんは消化が早いけれど……」


 唖然とする鈴護。

 確かに自分は消化のいい物が良いと言ったが、どう答えれば良いものか。


「兎の食料という根底条件を、忘れている様な気がするなあ」

「……?」


 うどんはその日の夕食として、二人で美味しくいただきました。


 ――其の二・衛生管理――


「鈴護。兎の包帯を取り替えたいのですが」

「それなら、あの棚に洗濯して、消毒した物が置いてあるよ」


 洗剤や代えのタオルなどが置かれた戸棚を指差す鈴護。


「解りました」


 ジュライはそこから包帯を持ち出すと、とてとてと兎のところに向かった。


 ――それから暫くが経過して。


「ふーちゃん。包帯は上手に巻け、た……」


 その日の業務も一段落した鈴護がジュライの様子を覗きに行くと――。


「どうかしましたか?」


 何か見慣れぬ白い物体が、少女の前に鎮座している。


「ふ、ふーちゃん。それは……」


 よく見れば、それは――包帯によってぐるぐる巻きにされた兎の姿であった。


「何か、変ですか?」


 怪奇・兎ミイラの出来上がり。


 ――其の三・躾――


「鈴護」


 少女が兎を抱えていつもの様に鈴護の下へと訪れる。

 またいつもの質問かな、と鈴護は察するが、なかなかジュライは話を切り出さない。


「ん、どうしたの?」


 声を発しないのを不思議に思い、どうしたのか聞き返してみる。


「トイレ」


 するとジュライは、一言だけそんな事を言った。


「え」


 それはどういうことなのだろうかと眼が点になる鈴護。

 ま、まさか。何か怖い夢でも見たからトイレに付いて来て欲しい、とか?

 子供とのお約束イベント発生キター?


「……兎が、です」


 ああ、兎がか。そりゃあそうだよねえ、などと鈴護が納得していると、どこかから洗濯の物とは違う、水が流れる様な音が聞こえてくる。


「ああああああ!」


 その音の発生源は、他ならぬ少女の腕に抱えられた兎。

 ジュライの服に広範囲にわたって『何か』によるシミが出来上がっていた。


「……おもらし」


 そして、事実をあくまで淡々と話すジュライ。


「ふ、ふーちゃん。それ、脱いで……。洗うからさ……」


 そんな状況に涙しながら、鈴護はジュライにそう指示した。

 トイレの躾は早い内に済ませてしまいましょう。野生に返す場合以外は。


 ――其の四・一つの布団で――


「鈴護。兎の体温が低い気がします」


 就寝時間も間近に差し掛かった頃、兎を抱いていたジュライがそう述べた。

 少女から兎を抱き寄せ抱いてみると――確かに、心なしか体温が低くなっている様な気がしないでもない。


「幾ら屋内といえども、夜は冷えるからなあ」


 夏とは言え、施設内では日の光が一切遮断されているので、熱を生み出す物が殆ど存在しない。その為、夜になると学校内の気温はそれなりに低くなる。

 設備を利用しない時は節電の為に空調が自動でオフになるからだそうだ。

 夏だからと言って、年中温度が適正に保たれている居住スペースではなく、少女が授業を行う教室で世話をしていたのが問題となったのだろう。


「温度調整システムを手動で作動させれば、真夏並みの気候を常に保つ事ができますが」


 さり気無く、とんでもない事を提案する少女。


「そ、それじゃあかえって悪影響になるんじゃないかな。兎だけじゃなく私達にも……」


 蒸し風呂同然の密閉空間と化した情景を想像してみる。


 ――……実に暑苦しい事この上ない。


「そうですか?」


 少女はその恐ろしさを微塵も理解できていなかった。

 真夏の熱気や湿度と言う物を、身をもって体験した事が無いのかもしれない。


「え~っと……。あ、そうだ。ふーちゃんが夜一緒に寝てあげればいいんだよ」


 我ながらいい考えだなあと、どこか確信犯的な雰囲気が漂う鈴護の提案。


「私も、この箱の中で?」


 そして、斜め明後日の方向に提案の意味を曲解する少女。

 真剣な顔で兎が寝床にしているダンボール箱を見つめながら、彼女は何かを思索していた。


「い、いや、それじゃあ入らないし。そうじゃなくて、ふーちゃんのベッドで兎と一緒に眠るの」


 体格の小さな鈴護ならともかく、少女の身長だととてもダンボールには収まりそうにない。

 少女はしばしの思考を重ねる。数秒の後、頭の上に電球でも浮かべたかの様にはっとすると漸く鈴護の提案を理解したようだった。


「どうかな?」

「構いませんが、寝返りで潰してしまいそうな気がします」


 微妙に冷や汗を浮かべながら、深刻な表所を浮かべて悲劇の可能性を述べるジュライ。


「あ、あははは……。それなら一緒に寝なくても、ふーちゃんの部屋で面倒を見るとか」


 居住スペースの部屋ならば、気温も常時快適に保たれているし、それならば兎も安定した環境の中に置く事が出来る。


「それは、良い提案です」


 腕に抱えた兎を眺めながら、少女は提案を受け入れる。

 その日から、兎は少女の部屋の同居人となった。


 ――そんなてんやわんやな兎との生活を経て、少女は少しずつ兎に対して心を開いて行く。

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