3-5

「鈴護」


 その日の夜の事である。

 業務終了後、少女が話しかけてきた。

 風呂上りに食堂で涼んでいた鈴護は突然の出来事に驚く。

 幾ら少女とコミュニケーションが取れる様になったとは言え、それは鈴護が何かをしている時が多い。

 即ち彼女が疑問に思う事象が目の前で繰り広げられている時が殆どで、こうして業務時間外に少女が話しかけてくるのは大変珍しいのだ。


「来て下さい」


 理由も言わず、鈴護を何処かへと即すジュライ。

 こちらの服の袖を、弱い力で掴んでくる。

 断る理由も無いので、そのまま少女に引っ張られ鈴護は食堂を後にする。


「ふ、ふーちゃん? どこに行くの?」


 鈴護がそう聞いても返答は無い。

 ジュライは沈黙を守ったまま鈴護を引っ張り続ける。

 やがて、少女に連れ出された先は施設の外だった。

 広い敷地を持つ施設。敷地を一歩でも出ればそこには森林が広がっている。

 前にも一度感じた事だが、上空からこの一帯を眺めると森中にぽっかりと出現したミステリーサークルの様に見えるのではなかろうか。

 そんな所まで宇宙的なんだなあと、鈴護は軽い苦笑いを浮かべる。

 施設の目印とされている、例の大きな一本杉の下に鈴護は連れてこられる。

 少女によって誘われたその場所に、実に小さな生き物の姿があった。


「これは――野生の、兎?」


 島に生息しているらしい、野兎が地面に力なく倒れ伏していたのである。

 少女はこの兎を見つけて、鈴護をこの場所へと誘ったのだろう。

 鈴護も弱々しく地面に伏せた兎の状態が気になり、その小さな体に触れてみた。


「そうか……。この子、怪我してるんだね」


 足に傷が確認できる。

 傷口は結構深くも見えるが、明るい場所で確認しない事にはその度合も把握できない。

 昨日まで島では止まずの雨が降り続いていた。

 今日になって雨は止んだものの、その影響で何かが倒れたか、落下したかで巻き込まれてしまったのかもしれない。


「よし」


 鈴護は兎の体を両手で掬い上げる様に優しく持ち上げると、その腕に抱え込んだ。

 兎の体は思っていたよりも弱っている様で、小刻みに震えているのが服越しでも解る。

 体温はそれほど下がってはいない。動物特有の温かみが感じ取れた。

 素人目では何とも言えないが、怪我をしてからあまり時間は経っていないのかもしれない。


「どうするのですか?」


 兎の姿を見ながら、少女は初めて生で目の当たりにするであろう、人間以外の生物の姿に驚きを隠せない様子だった。

 鈴護の後ろにくっついたまま離れようとしないが、それでも興味有り気にチラチラと鈴護の腕の中を覗き込んでは、抱えられた兎の様子を観察している。


「このまま放ってもおけないでしょ? 連れて帰って手当てしてあげなきゃ」

「野生の動物を軽々しく扱うのは……」


 後ろを振り向くとジュライが何とも言えぬ顔をしている。

 彼女は野生動物に接触すると言う行為を快く思っていない様だった。

 一般的な観点やその後の事を考えると確かに余り良い事ではない。


「困ってる時はね、助け合い。それは人間だろうと動物だろうと変わりは無いんだよ」


 なるべく刺激を与えぬよう、兎の身体を優しく撫でる。


「助け、合い……」


 何か新しい物に触れるかの様に、鈴護の述べた言葉を繰り返すジュライ。


「ふーちゃん、怖くないから。兎を抱いてみて」


 少女の様子を見ながら鈴護は彼女にそう提案する。


「私が、ですか?」


 鈴護が抱いてみるよう即しても、ジュライは鈴護の背中に引っ付き隠れ、怖がって兎に近づこうとはしなかった。


「ほらほら、早く。この子の手当てもしてあげないといけないし。ね?」


 それらしい理由をつけて、鈴護はジュライに兎を抱かせようとする。


「……はい」


 それで観念したのかジュライは恐る恐るといった風に鈴護から兎をゆっくりと抱き寄せた。


「どう?」

「動いています。それに……」


 ――あたたかい。


 一度抱いてしまえばジュライの遠慮は消え失せていた。

 少女はまるで大事な宝物を抱くかの様に、兎をその胸に抱えている。

 微かに温かい兎の体温は、ジュライにはどんな風に感じられたのだろうか。

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