3-4

 外気が入り込まない施設内とは言え、扉の外に出てしまえば当然外の空気が広がっている。

 この一週間はずっと雨が続いていたのだが、今日はそんな長い雨が去り、久々の快晴だ。


「今日は天気が良いねぇ」


 島の所々に夏の色が見え始めてきている。

 刺す様な太陽の光を遮る様に、空いた片手を日除け代わりに額にかざす鈴護。

 その隣で日射光に繭一つ動かさず、涼しい顔で鈴護の傍に立つ少女。

 彼女が「ふーちゃん」と呼ばれる様になったあの日から、鈴護は『授業』の合間を見ては、少女を外に連れ出している。

 彼女も外に出る事を嫌がる事はなく、むしろ積極的に外の世界へと足を延ばしていた。

 特に時折行う散歩が少女のお気に入りの様で、遠出をする時は自分から率先して外に出ようとする。

 二人は施設の裏側に即席で作られた物干し竿の前に立っていた。

 鈴護は、洗い立ての洗濯物が沢山押し込まれた洗濯籠を片腕に抱えている。

 少女は鈴護が次の行動に移るのを待っているらしい。

 端から見ればぼーっとしているようにしか見えない様子でこちらを観察していた。


「天気が良い日位は、ちゃんと日干しにしないとね」


 普段は洗濯物の乾燥は施設内の乾燥機で済ませてしまうのだが、この日はいつにも増して天気がいい。

 因みに物干し竿は施設内の倉庫にあった木製の棒を使い、鈴護が作った物である。


「何故ですか?」

「太陽の下で乾かした服は、凄く良い匂い――お日様の匂いがするんだよ」

「お日様の、匂い……?」


 どことなく胡散臭そうに、じとっとした視線で鈴護を見つめる少女。


「不可解です」


 この光景が漫画か何かならば、今の少女にはきっとデフォルメ処理がかっているであろう。


「むむ。ならば後で乾いた洗濯物の匂いを嗅いで驚くがいいぞよ」


 少女にとってあくまでこのやり取りは、彼女の知識を増強させる為の行為なのだろうが、それでも何気ない会話には他ならない。

 最近、少女の表情が微細ながら変化するようになってきている。


 ――表情。


 普通の人間ならば知らぬ間に身に付けているそれすらも、少女は最初、出す事を知らなかった。

 彼女はここ最近、自分で意識しているのか無意識なのかは解らないが、困った顔、不満そうな顔等々、些細な物だが色々な表情を見せてくれるようになった。

 少女の表情から微かだが確かに見て取れる事ができる成長。

 自分が一児の親だったら、こんな気持ちで子供の成長を見つめていたんだろうなあと、鈴護はしみじみと考える。

 しかし、未だその中には『喜び』や『悲しみ』と言った、所謂、『喜怒哀楽』と言った感情は現れてはいなかった。


(いつか、ふーちゃんの笑顔を見る事は出来るのかな)


 未だ見ぬジュライの笑顔を想像し、鈴護は少女がそういった感情を理解できる日が来る事を望むのであった。


 それから更に時が経過し、午後を過ぎた頃。

 物干し竿に干される洗濯物によって作られた布地のカーテン。

 それに囲まれるかの様に、洗濯物の回収をする鈴護。

 午後の授業を終えた少女も、自分から作業に付き合ってくれている。


「ほらほら、ふーちゃん。ふわふわだよ? 匂いも嗅いでみなよ」


 物干し竿から下ろしたばかりの洗濯物の一枚を、長年かけて完成された至高の芸術品を披露するかの様に、鈴護は少女に見せつけた。

 手渡された洗濯物を暫くの間見つめる少女。

 半信半疑といった風に洗濯物に顔を近づける。

 そして、彼女は言われた通りに衣類の匂いを嗅ぐ。

 暫くの間彼女はそうしていたが、やがて少女は何かに気が付いた様にパッと顔を上げる。


「確かに、乾燥機を用いた時とは異なる匂いを確認できます」


 応える声は淡白な物だったが、少しだけ驚いた表情を見せる少女。


「これが、お日様の匂い、ですか?」


 すっかり気に入った様子で服を放さない少女。胸元に衣類を抱えたまま再度確認してくる。


「うん、そうだよ」


 鈴護はそんな少女の姿に和みながら、微笑みで彼女の問いに答えた。


「ね、不思議でしょう? 理論や知識だけじゃ体験できない事だって、この世の中には沢山あるんだから」

「その主張は多少ならば、肯定できます」


 でも、そういう事を否定せずにちゃんと認めてくれるのは良い傾向の現われだと、鈴護はしみじみと感じるのであった。


「良い、匂い……」


 少女は乾いた洗濯物の優しい匂いに顔を埋めながら、静かにそう呟いた。

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