3-2

 六月中旬、某日。とある日曜日。

 日本全国、果ては世界の大半が休日として一日を過ごすのが日曜日であり、木下鈴護に至ってもそれは例外ではなかった。

 幾ら毎日が過酷で修羅道真っ青な用務員業務であろうとも、お暇はきっかり与えられている訳である。

 そんな休暇の一幕。ひょんな事から鈴護は、少女が受けている授業に立ち会う事になった。

 少女が行う授業は、休日だろうと何だろうと関係無しに行われる。

 『学習カリキュラム』と呼ばれる作業を行う為の機械群。たった一人の生徒に対し、フルオートで行われる学習。

 ジュライが持つ知識の全てはこの機械が与えた物なのだそうだ。

 人の感情を持たぬ機械。求めれば求めただけの正しい答えを返す教師。

 そこには疑問も、挫折も、矛盾すらも存在しない。

 知識を直接脳へと与えられ活用する事も無く学習は終了する。

 人間性の欠如。機械的な反応。その全てに納得の行く理由がこの場所には存在した。

 少女の感情面が希薄な意味も、ここに繋がっている。

 教えるべき人間が存在しないという異常性。全てを機械と言う一方通行な存在に与えられ、生きてきた少女。

 そんな中で放置された少女の生き方その物が『機械化』するのは当然の事だろう。

 少女は理解出来ない。周囲に己以外の人間が存在しなかったが故に。気付く事ができない。

 機械、システムの中枢になったかの様に、その一部として身を委ねている少女の姿が、酷く悲しい物に見えてくる。


(あの子は、何を考えてあの場所に座っているんだろう)


 機械の妖精と化した少女を眺めながら、鈴護は彼女がヘッドセットの下に見る光景がどんな物なのかを模索していた。

 この様な授業を止めさせようと思えば止める事もできる。

 だが止めた後に起こる事象が想像できない。

 何かデメリットがあるのではないか。そう考えると行動に移す事ができなかった。

 暴走特急にしては珍しく、彼女は己の行動に躊躇していた。

 原因は判明している。それなのに見守る事しか出来ない。

 黙ってこの光景を見守り、苦い想いで耐えるしかできない状況に、歯痒さを覚える。

 それと、最近になって『授業』以外にも気になる事柄が現れ始めた。

 少女は時々例の宇宙船部屋に赴いては、謎の培養器の前に暫く佇んでいる事がある。

 何をするでもなく、黙しているジュライの姿。

 一体何をしているのか。遠くから眺めているだけでは理解出来そうになかった。

 海で誓いを交わして以来、鈴護と共に『どきどき探し』を始めてからは、知識補間の為に映像を見る事も少なくなった少女。

 映像を見ている訳でもない。なのに少女があの部屋にいる必要性が解らない。

 本人に確かめようにも何となく聞き辛い事柄故に、気になって仕方がなかった。


 ある日、鈴護は業務で清掃に訪れたこの授業部屋の中で、謎の一端を目の当たりにする。

 何だかんだで気になって、以前閲覧したファイル郡を詳しく調べてみたところ、部屋に存在する全てのファイルの内容に「Project E.T」と言う謎の一文が記されている事に気が付く。

 例によって文章は英語で記されているので、言葉が何を示しているのかは把握できないが。

 イー・ティーとは何だろう。海外の映画で有名な、あのキモかわいい宇宙人の事だろうか。

 その時は何だか怖くなって部屋を立ち去ってしまったが、詳しく調べれば少女について何かが解るのではないだろうか。

 もしかしたら、全ての答えに対する解に成り得るのかもしれない。


(まだ、私の知らない何かが、この学校とふーちゃんの間にはあるんだ)


 真実を知ってしまえば、きっとこの生活は確実に変わってしまうだろう。

 それどころか知り過ぎてしまえば、後には戻れなくなるのではないだろうか。

 少女に対し疑いを持つと言う事。鈴護はその事に対し、少なからず自己嫌悪を覚えていた。

 彼女について解らない事は多い。だが少女が目の前で見せてくれている彼女の成長は本物。

 不明な点が多くとも少女と接する事はできる。分かり合える事だってできるかもしれない。

 思えば最近、頭の中で考えている事はいつも少女の事ばかり。

 まだ一ヶ月程の付き合いだと言うのに、鈴護の中で少女の存在はかなり大きな物へとなりつつあった。

 少女に対して何か特別な感情が生まれつつある様な気がする。

 確かではないが、強いて言うならばそれは家族の様な――母と子の様な、そんな感覚だ。

 しかし鈴護は過去の苦い体験から無意識の内に『発作』を恐れ、本人も気付かぬ内にその想いを己の中で封じ込めてしまっていた。

 何故か――理由は簡単だ。

 やはり鈴護の中に依然として存在し続ける『発作』の存在が大きい。

 今の所、その片鱗は現れていない。

 だが、もしも少女に対して特別な感情を抱いてしまえばどうなるのだろうか。

 幾ら少女に対して発作が起こらないと言っても、安心は出来ない。

 いつ再び己を見失うのかは解らないのだから。

 子供と接する事で呼び起こされる鈴護のトラウマ。

 鈴護が己を見失わない限りは、今の生活は保障されている。

 そんな葛藤と思考を遮るかの様に、目の前の機械が耳障りなブザー音を響かせる。

 どうやら本日分の学習カリキュラムが全て終了したらしい。

 少女は暫く機械の中に座っていたが、数分の後に立ち上がると、かぶっていたヘッドセットを頭から取り外し椅子の上へと置く。

 少女がこちらへと顔を向けた。

 相変わらず表情の変化は無かったが、それでも少女は以前の様に鈴護の存在を視界から外す事は無くなった。


「今日は、これでお終い?」


 鈴護も座っていたパイプ椅子から腰を上げ、少女に近づく。

 機械と同化していた彼女の姿を長く見ていたせいか、その顔を見て鈴護は安心を覚えた。


「はい」


 小さく頷き、鈴護の顔を見上げてくる少女。

 この後は鈴護の業務を観察する約束をしているのだ。

 業務観察が楽しみなのかどうかは解らなかったが、どことなく少女の表情から期待の色が見て取れる。

 この小さな表情の変化がジュライの成長を物語っているのではないだろうか。

 積み重ねがあって、人間と言う物は次第に『自己』を形成していく。

 少女の人間としての素体が形成されていけば、今よりも沢山の表情を少女は見せてくれるようになるだろう。


(この場所に居る間、ふーちゃんの成長を見守っていこう。今はそれで良いじゃない)


 ジュライの成長が見られれば今はそれでいい。

 彼女の成長を通じて、鈴護もまた新しい何かを得られていると感じていたから。

 だから彼女について解らない事があっても、深く気に留める必要はないのかもしれない。

 今はただ、ジュライと共にこの生活を続けられさえすれば、それだけで十分だ。

 少女に出会えて本当に良かった。

 この学校に来て正解だったのかもしれない。

 もう、諦めかけていたこんな生活。子供と一緒に居る事ができる。

 こんな些細な事でも、鈴護にとっては至上の喜びと言える。

 きっと最後には全てが上手くいくんだと、そう考える事ができたから。

 昔の自分を乗り越えて変わる事が出来るのかもしれない。

 少女と接していく事で、きっと。

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