2-7

 翌日から数日、鈴護は何とか少女とコミュニケーションを取ろうと奮闘していた。

 業務の合間を縫って、何でもいいから取り敢えず少女との話のきっかけを掴もうとする。

 最初の接触の失敗を生かしながら、粉骨砕身で少女にアタックを仕掛ける。

 しかし状況は何の変化も起こらず、少女とのコミュニケーショの成功はただの一度もない。


「結局、初日から何も進展は無かったし……」


 失敗の連続で落ち込む敗者は、力が無い足取りで自部屋への帰路に就く。


「もう駄目なのかな。早くも挫折ムードだよ、これは」


 少女に対し一体どの様なコミュニケーションを取ればいいのか。既に万策尽きていた。


(私も、トラウマを克服できる良いチャンスなんだけれどなあ……)


 ここで諦めてしまっては、自分の決意はそこまでだったと言う事になってしまう。

 そもそも学校への滞在期間はまだ始まったばかり。

 諦めてはそこで試合終了だよ、と言う偉大な先人の言葉に従ってみる。


(そもそも考え無しに突撃してしまったのが悪いのかな。あの子の都合も考えずに)


 鈴護はそんな事を考えながら、無意識のうちに施設の中を徘徊していた。

 ふと知らぬ内に、自分がいつの間にかこの数日間、ただの一度も近づく事のなかった場所へと足を運んでいた事に気が付く。

 だが、この場所を見るのは初めてではない。

 何故だろうかと思考し、きょろきょろと周りを見ながら歩みを続ける。


「えっと、あの部屋は確か……」


 そうだ。この場所は、鈴護がこの施設の中で一番始めに連れて来られたあの『別世界』だ。

 どこかで見た事があると思っていたら、ここはあの宇宙船艦橋の様な謎の部屋へと続く廊下ではないか。


(あちゃあ。よりにもよって、今この場所で一番見たくない場所へ来てしまうなんて)


 何だって無意識のうちにこんな場所へ……と、鈴護は顔を手で覆い虚空に向けて嘆息する。

 なんとなく恐怖を感じながらも、その方向を眺めてみると部屋の扉が、開いていた。

 まるで入って来い、とでも言わんばかりの雰囲気が出ている様にも思える。

 冷たい冷気の様な何かが体の下から上へ通り抜けていく感覚。

 見なければ良かったと心の底から死ぬ程後悔を覚えた。


(で、でも扉、閉めなくちゃ。私、用務員だし、戸締りも仕事の内。うん)


 自分はこの学校の用務員だからと理由を付けて鈴護はあの怪しい部屋へと近付いて行く。

 微妙に体が震えているのは気のせいでは無い。

 怖いわけではない。ただ、初遭遇時のインパクトが強すぎただけなのだ。

 金属製の取っ手に触れる。

 何の変哲もないドア。扉だけを見ればどうって事無い、至極普通の空間。

 問題はその扉の奥に広がる、部屋の中身であって……。


「……ッ!」


 ふと、扉を閉める拍子に部屋の中を眺めてしまった。

 部屋の照明は当然だが消されている。

 お陰で部屋の中は全く知覚できないが、それこそ視覚が機能しない漆黒の空間。

 下手をすれば初日に見た時よりも、数倍恐ろしさが増しているように感じる室内。

 その部屋の内部の一部分だけがボウっと淡い光に照らされている事に気がつく。

 そこには、まるでこの場所に存在するのが当然であるかの様に。


 ――件の少女が、存在していた。


 あっ、と声を上げそうになって鈴護は思わず口を手で封じる。


(中、真っ暗なのに、こんな部屋で一体何を)


 気づかれても問題はないのだが、何となく無意識の内にそうしていた。

 少女は初日にそうしていた様に謎のオブジェが収められた培養器脇の机に座っている。

 寸分違わぬ再現度で、あの情景が再び目の前に構築されていた。

 今日は精神状態もまともなので、少女の様子を普通に眺めていられる。

 こちらに背を向けているので少女が何をしているのかここからではまったく把握できない。

 そもそもなんで学校にこんな不可思議な部屋があるんだろうか。

 あの異様な形を持ったオブジェにしろ、怪しい機械類にしろ……いったいこの部屋は何を目的とした空間なのだろう。

 例の授業部屋よりも、この場所は更に謎に満ちている。

 少女は一体、この部屋で何をしているのだろうか。

 もう少し、前に動き、近付く事ができれば、確認できそうな気もするのだが。


(あの機械に隠れれば、気付かれずに観察できるか、な?)


 部屋に入ってすぐの場所に、何かのコンソール類の様な機械が並べられていた。

 そこならば上手い具合に隠れられるかもしれない。

 そう考えると鈴護は、音を立てぬようにそっと、一ミリ先の足元すら把握できない深闇の空間の中へと忍び込んだ。

 ゆっくりと機械の陰に隠れこむ事に成功し、少女の方へと視線を向けてみる。

 少女の視線を追ってみる。

 どうやら彼女の視線は机の上に乗せられた、初日に鈴護の問いかけに対し返答するのに用いていたノートパソコンへと向けられている様だ。

 相変わらず距離は遠いが、十分に視認はできる距離でもある。

 少女の見ている物――正面から見据えない液晶は、色が変わって見え辛いが、あれは――


(海の、映像?)


 少女がボーっと画面の中に眺めていた物。

 それは、海の風景が記録された映像だった。

 蒼く透き通った、都会では絶対に拝見できない、文字通りキラキラと輝く海。

 音声は流れていない様だが、その波間の流れを見るだけで砂浜の音すらイメージできる様な、リアルな映像。

 地上で恐らく、最も『生命』と言う物を間近に感じ取る事ができる場所。

 少女は小さなモニターに映る海の映像を、楽しむでもなく感動するでもなく、ひたすら無感情な眼差しで見つめていた。

 暗闇に隠れてその顔色ははっきりと読み取る事はできないが、少女はかすかな動きを見せる事もなく、モニターの映像に顔を向けている。

 鈴護は少女が海の映像を眺める光景を、室内に立ち並ぶ機械の影から暫く眺めていた。


(あれ、待てよ。もしやこれって、コミュニケーションの切っ掛けになるんじゃあないかな)


 少女の変わらぬ表情を眺めている内に、鈴護の脳内にある一つの考えが浮かび上がる。


(そうだ。きっと、一発逆転の策になる事は間違いないわ! ふ、ふふふふふ……)


 自身の導き出したナイスな(と、本人が思い込んでいる)発案に、奇妙な自信を抱く鈴護。

 少女は変わらず映像と睨めっこを続けていたが、鈴護はその光景の終焉には立ち会わず、部屋から音を立てない様にそっと立ち去った。

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