2-2

 部屋に戻った鈴護は、すぐさま恥ずかしい過去を洗濯機の中にダンクシュートで投入。

 着替えを終えた後に件の端末を確認すると、新たな業務の指示が届いていた。

 また次もあんな無茶な業務が待っているのか。そんな恐怖に身震いしながらも、鈴護は何とか気力を振り絞る。

 そして、渋々と次の業務を行う為の指定場所へと向かうのであった。

 既に節々が痛み始めている体を、何とか動かしているのはご愛嬌。

 広すぎる上に、異様な静けさを保った施設内を移動するのは肝が冷える。

 奥が見えない程の長さを持つ廊下ではあるが、この道にも終焉は存在する。

 相変わらずこの場所は、鈴護以外の生きた存在は確認できない。

 昨日の少女とも、目覚めてから一度も顔を合わせていない。


 これから二ヶ月間、この場所で働かなければならないという事実。

 鈴護は既に、先行きどころか己の人生にすら不安を感じていた。


 新しい自分の出発点の先に鈴護を待っていたのは、拷問同然の用務員業務。

 だが、ここから逃げ出すわけにはいかない。

 これは、自身を変える為に決意した事なのだ。

 故に、意地でもやり通さないといけない。

 そうでなければ、文句も言わずに送り出してくれた夫に申し訳がたたない。


「私、負けないよ。見ててね、英ちゃん」


 夫の姿を想像しつつ、脳内ビジョンで苦笑いを浮かべる彼に、ガッツポーズを決めて見せる。

 何で苦笑いなんだよアンタと心の中でツッコミたかったが、虚しそうなので止めておいた。


 それはそうと、昨日はどうやらあの後気絶してしまったらしい。

 ある一点から記憶が途切れてしまっていて、目覚めたらいつの間にかあの部屋――どうやら自室として宛てがわれたらしい部屋のベッドの上に寝かされていた。

 あの様な奇妙な光景と状況を見せられて、さらに少女の口から放たれた一言がとどめの一撃となったのであろう。

 それまでの恐怖感や精神状況も相成って気絶するのも無理はない。


(それにしても、今ひとつ実感が沸かないんだよなあ)


 昨日体験したあの出来事が、全て現実だとは思えなかった。思いたくもなかった。

 あんな物は全て己の妄想が生み出した産物なのでは? と考えてしまうのも仕方がない。

 先程は息つく暇もなく殺人的業務に追われていた為、深く考える事も、殆ど気にする事もなく仕事を行う事ができたのが幸いだった。


「あれは……」


 件の人物を、たまたま通りかかった部屋の中に見かけてしまっては。


(昨日の女の、子)


 第一次遭遇とでも呼ぶべき昨日の出来事が、鈴護の脳裏をよぎる。


 件の少女との出会い。

 己が相対しても『発作』が起きなかったイレギュラーな少女。


 なすがままに連れて行かれた、真っ白な部屋。

 培養器の中の奇怪なツノ——骨の様な何か。

 少女が鈴護に言い放ったコトバ。


 その全てを思い返し、恐怖に身震いする。


 ああ。あれはやはり本当にあった出来事なのか。

 あの少女は、鈴護が生み出した空想の産物などではなかったのだ。


 安易な妄想は、崩落も一瞬だと相場が決まっているのだろう。

 恐怖は未だに残っている。しかし、怖い物見たさで少女が部屋の中で何をしているのかが気になってしまった。

 気付かれないように、そっと部屋の中を覗き見る。


(何をしているんだろう。こんな何も無い部屋で)


 室内には、空間の実に半分をも占める大きさの機械類が置かれている。

 昨日訪れたあの部屋とは違い、やけにメカメカしい内装である。

 何に使うのかも解らない謎の機械群や端末。

 少女は部屋の中心に備え付けられた、少し大きめの椅子に座っている。

 小さな頭全体を覆い隠す大きな『ヘルメット』の様な物をかぶっていた。


(かわいくないなあ、あのヘルメット)


 まるで機械の一部となったかの様に、少女はその場に停滞している。

 

 彼女が持つ透き通る白い肌は、そんな空間の中にあっても違和感を覚えない。

 周囲の機械と融合するかの如く少女の様子は、何とも言えない気味の悪さを感じさせる。


 ――私は、宇宙人です。


 そこで、昨日の少女の言葉が蘇った。

 同時に、今朝見た寝起きの悪い夢の内容も再び浮かび上がってくる。

 あの発言は、流石に何かの冗談だと思いたい。

 とは言え、目の前に存在するのは鉄の塊と一体化した不思議少女。

 そんな彼女の姿を見せ付けられては、件の言葉も冗談とは思えなくなってくる。


 少女は本当に宇宙人なのだろうか。

 そんな疑念が鈴護の中で渦巻き、消えない。

 まさかとは思いつつも、自分の中の想像を一概に否定する事ができなかった。


 鈴護が知る宇宙人と言えば、小さな身体にグレーの皮膚を持っていたり、タコ足で光線銃を持っている様な連中が主である。

 それらは総じて、空想の産物であると言う事も知っている。


(どう見ても、見た目は普通の女の子なのに)


 少女の姿は、鈴護が持つ宇宙人像からはかけ離れている。

 髪色、瞳の色などを除けば、地球人の姿と大差もない。

 その身に纏う得体の知れない雰囲気を除けば、の話だが。


(あの子が触手を出したり、突然ドロドロになって変身したり、モザイク無しには語れない様な宇宙的な何かになったりするなんて、とても思えない)


 心の底から沸き上がる、未知に対する恐怖は相変わらず存在していたが。

 少女が宇宙人かどうかの真相は、ひとまず頭の片隅に置いておこうと思い直す。


(そうだよ。問題はそこじゃあないよ。あの子に出会った時、私は――)


 今の鈴護には、それ以上に少女に対して気になる事があった。

 己の精神面。子供に対する『トラウマ』に起因する切実な問題である。


 何故、少女と相対しても鈴護は己を見失う事がなかったのか。

 その事実だけが、どうにも腑に落ちないのだ。


(何で。どうしてあの子は平気なんだろう。解らない)


 今まで散々苦労させられてきた発作。それが起きないという事は、喜ばしい事なのかもしれない。

 だが同時に、突然発作が起こるかもしれないと言う不安を増長させる要因にもなってしまっている。

 今は少しばかり距離は離れているが、これだけ少女に近付いても変化が現れる事は無い。

 かすかな期待が、泡沫の夢などではないと言うのならば。

 鈴護はこの場所で、子供とコミュニケーションを取る事も――。


(何を馬鹿な事を考えているんだ、私は)


 そこまで考えた所で、頭を左右に振って思考を否定する。


(でも。今は平気なんだし、暫く様子を見る位なら大丈夫じゃあないかな。うん)


 根拠はないが、現在の状況を信じてみようと己の中で結論付ける。

 本当に少女に対して発作が起きないのならば、それはきっと自分のトラウマ克服の第一歩になるだろうから。

 そんな相手がこの世の中に存在していた事が、正直な所嬉しかったのだ。

 故に鈴護は少女と少しでも接近する為に、積極的に話しかけてみようと決心する。


(せっかくのチャンス。ここで恐怖を克服せずして何が大人か、成人か!)


 根拠のない自身を抱き、鈴護は室内へと突入するのであった。

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