第二章
2-1
――あなたはあの時、いったい何を見ていたのかな。
私が見てきた『何か』と、貴方が見てきた『何か』。
それは、まったく違うものだったのかな。
それとも、まったく同じ『何か』だったのかな。
今となっては、その真意を確認する術は私には無い。
もし、貴方と私が見ていた『何か』が同じものだったのならば。
私も多分、貴方と同じ事を考えていたに違いない。
きっと、あの瞬間。あの時から。
私が今までどんなに望んでも、掴むことが出来なかった『何か』。
そんなかけがえの無い『何か』を、私は得られたのだろうと思います。
第二章『七月の名前』
◇
「私は、宇宙人です」
目の前の少女がそんな一言を発する。
すると、どうした事か。
緑の髪を持つ可愛らしい彼女の身体から、突如無数の触手が生え出したではないか。
不気味にうごめく触手達は、木下鈴護の身体目がけて一斉に収束する。
「じ、冗談だよね?」
ヌメヌメとした体表面を持つ、謎の触手。
鈴護の身体の至る所に絡みつき、その身体の隅々を這いずり回る。
「何ですかそれっ! ちょ、やっ」
女性の身体に纏わり付く、触手と言う光景。お茶の間では放送できない様な所にまで侵入しようとしてくる触手に対し、必死の抵抗を続ける鈴護。
だが、動けば動く程、それに比例して何故か身体から力が抜けていくのである。
(いやいや、待て待て。何なのよ、この状況は!)
「我々の秘密を知ってしまった貴方には――培養器の中で、地球に置ける我等が拠点基地『学校』の端末の一部になって頂きます」
ウネウネと蠢く触手が、最近体脂肪に少しばかり悩まされている鈴護の身体を抱きかかえ、そのまま緑色の液体で満たされた謎の培養器の中へと向かっていく。
端末? 培養器? やだ、なにそれ。こわい。
「らめぇっ! 私には故郷で帰りを待ってくれている愛しの旦那様ががががが」
未知との遭遇が迫る。新しい出会いと世界の終わりに向かって。
「アッ――――――――!」
木下鈴護と言う一人の女性の人生は、こうして呆気なく幕を閉じた。
ちゃんちゃん♪
――……
「って、納得できるか……あぇ?」
ガバッと言う擬音が実際に聞こえそうな位の勢いで、木下鈴護は閉じていた意識の中から回復した。
「んー……?」
見た事の無い光景。
辺りを見回すも、自分がどこに居るのか解らない。
記憶に無い場所だった。
「ここ、どこだっけ?」
とんでもない夢を見ていた気もするが、検閲がかかる前に目が覚めて良かったと安堵する。
取り敢えず視線を下に向けると、己が包まっている小奇麗な布団に、病院で使用されている様なパイプベッドが目に映った。
当然これ等の物品にも全く覚えが無い。
見知らぬ部屋の間取り。
少なくとも、旦那と二人で暮らしていたアパートの一室とは違う。
「何で私、ベッドの上に」
覚醒前とはまったく別の光景。
何故自分が知らない部屋で寝ていたのかを頭の片隅から引っ張り出すように記憶を辿る。
(そうだ。私、用務員のお仕事で学校に来て。それで、女の子と)
段々と昨日の出来事を思い出してきた。
無人島の中の学校の事。
そこで出会った少女の事。
宇宙船の様な内装の部屋の事。
そして――。
「宇宙、人」
意識を失った瞬間の寸前までの記憶が蘇る。
(あれは夢、じゃあないんだよね、やっぱり)
あの不気味な部屋で少女が言い放った言葉。
それがまるで呪いの様に鈴護の脳裏に刻み込まれていた。
(知らない部屋で寝て起きたって事は、少なくとも私はまだあの学校の中に居るって事か)
状況把握も出来ぬままに周囲を見渡す。結果、確認できた物は、質の良い生活設備が整う部屋の内装だった。豪邸とまではいかないだろうが、ブルジョワな生活環境とはきっとこう言う場所の事を指すのだろう。
「ここが、私の部屋って事? でも、一体誰がここまで運んで」
「目ガ、覚メタカ」
「うひぃッ!?」
疑問符を頭の上に浮かべ、状況を整理していた鈴護に向かい、突然何かが語りかけてきた。
機械的な音声。
明らかに人の物ではない声が、鈴護が横たわるベッドの横から響いてくる。
「だ、誰ですか? 一体どこから?」
「コッチダ。入口側ノ壁ヲ見ロ」
言われて視線を音がする方向の壁へと向けると、壁に設置されていたモニターが音声に同期するように明暗していた。
音声はそのモニター脇の小さなスピーカーから響いている。
鈴護はベッドから起き上がり、壁のモニターへと近づいた。
モニターに表示された顔文字の様なイラストが音声に合わせて動いている。
「私ハコノ施設デ貴様ノ行動ヲ監督スル役割ヲ与エラレタAIシステム」
無骨な機械音声。
果たして彼と呼んでも良いのか解らない謎の存在が、この学校に置ける業務の現場監督なのだと言う。
「早速ダガ、貴様ニ業務ヲ命ズル」
「いきなりですか! まだこの場所についての説明とか、何も受けていないんですけど!」
「貴様ニ与エラレル指令ハ全テコノ端末ニ表示サレル。ソノ指令通リニ業務ヲコナセバイイ」
「待ってください! この場所には、あの女の子以外に人はいないんですか? 先生は? 他の用務員の方々は?」
「質問ニ答エル事ハデキナイ。詳シイ施設ノ利用方、規則ナドハ端末カラ施設情報ノへるぷふぁいるヲ参照シロ」
気になる事柄を一通り問いかけてみるが、反応は機械らしく実に素っ気ない物だった。
「端末ハ施設内ノ全テノ部屋、廊下ニ設置サレテイル。逐一内容ヲ確認スルノダ」
「あ、ちょっと、消えないで! もっと色々詳しく教え……」
鈴護の必死の抗議も聞き届けられず、モニターから顔文字イラストは消えてしまった。
(ほ、本当に大丈夫なのかな、この仕事)
業務が始まる前から得体の知れない不信感だけが募っていく。
それでも仕事は仕事。始まる前から諦めていては元も子もない。
全ては自分を見つめ直す為。そして高額なお給金の為。そに為ならば、幾分かの無茶も厭わない。
次いで、モニターに新たな文面が表示される。
無骨な明朝体で画面に表示されたメッセージは、業務内容と思わしき指示の数々。
かのAIの言葉を信用するならば、ここに提示された内容こそが、木下鈴護の用務員として初の仕事となる業務の様であった。
◇
「ち、ちょっと待てぇええ!」
最初に言い渡された業務は高所にある、機械群の清掃。
「何これ? 何なのこれ? 命綱は? 生命線は、ライフラインはどこなの!」
まさか用務員と言う仕事を通じて、ビルの外壁清掃員の気分を味わうとは思わなかった。
「用務員って。用務員って一体何だぁ!」
一般的観念に基づいた、学校の用務員が行う業務からはかけ離れた仕事内容。
早くも鈴護に挫折の色が見えてくる。
「いいじゃないの。こうなったらとことんやってやるわよ!」
と思いきや、どこかで変なスイッチが入ってしまったのか、この女性は逆にテンション倍増で突っ走る勢いを見せ始めた。
「よ、用務員魂ィイイイ!」
成人女性の奇怪な雄叫びもとい雌叫びが、周囲に響き渡る。
納得のいかない想いに駆られながら、勢いと根性だけで律儀に仕事をこなしてみせる。
したくもない飛び降り寸前体験をさせられ、何とか恐怖にも抗い、鈴護は立ちはだかる鬼畜業務の壁を乗り越える事ができたのであった。
(……部屋に戻って、一度下着を交換しよう)
恐怖から何かが濡れた感覚を下半身に感じながらも、これは汗だ、汗なんだと必死に心の中で取り繕う。
そう、決してチビ――た訳ではないのだ、そうなのだそうしよう。うん。
勢いとは対象に、実に情けない用務員魂なのであった。
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