第五話 女神様の都合
転移五日目 大荒野 最初の拠点 久我 貫
スープで腹が落ち着いた難民達を広間に案内して寝かせる。最初は警戒したりマットや毛布を汚すことに躊躇したりしていたが、皆疲れ果てていたのですぐに眠ってしまった。もとの世界では見たことがなかったり、空想の産物だったりする姿の人達が寄り集まって眠っている姿に異世界だということを実感させられる。
シエラ様にも必要なら休息をとるよう勧めたが、まだ平気だというので俺の家に設置したシャワーを浴びるよう提案すると、今度は素直に応じてくれた。俺としても聞きたい事はたくさんあって気も逸っているのだが、泥だらけで痛々しいシエラ様の恰好を放置したまま話をするのが心苦しかった。それに、きちんと身支度を調えた美女というのを見てみたい下心があったのも否定はしない。
ちなみに、ジェネレーターと動力ポンプが繋がっていると、お湯の出るシャワーが使えるのだ。キッチン関連や洗面台などの設備は作れないので、お湯の出る設備はシャワーだけだったりする。そしてシャンプーやボディソープは、無事なシェルターなどから入手できるのだが、なぜここまで入浴回りが充実しているかは大人の事情だと察して欲しい。
風呂上がりのシエラ様は予想以上だった。
濡れて煌めく銀の長髪、艶やかな褐色の肌、バスローブ越しに分かる均整のとれたスタイル、細く整った顔立ちと琥珀色の瞳、一つ一つのパーツは艶めかしいのに、シエラ様という形に収まると、明るく溌剌とした表情や颯爽とした仕草に良く似合っていて爽やかな印象に落ち着いている。
その美しさにぼんやり眺めている俺の前で、シエラ様は恥ずかしそうに俯きながら向かいのソファに座った。
「じゅ、十分に禊ぎをさせてもらった。これでわたしは、いつでもそなたと眷属の契りを交わすことができる」
「いやいやいや、そういうつもりでシャワー勧めたんじゃないから」
「な、なに!? し、し、しかし! ここまでしてもらっておいて、わたしには返せるものは他にないのだぞ?」
「というかさ、眷属になるってどういう意味なのかも分からないんだって」
「そ、それは……っ!」
そこまで言ってシエラ様は黙り込む。褐色の肌だとよく分からないが、表情から察するに顔を赤くしているようだ。なんて人間くさい女神様なんだろう。一旦落ち着いてもらうために水を差し出すと、一口飲んで落ち着いてくれた。
「すまぬ、そなたはマレビトであったな。鋼の体なのかと思っておったが、あれは鎧であったか。その黒い目と髪、そなたもチキュウ、というところから来たのか?」
「チキュウ? 地球を知っているのか!?」
「うむ。そなたが森に現れる十日ほど前、変わった服を着た女がわたしの隠れ里に現れた。ひどく混乱しておってな、保護したのだが、チキュウへの帰り方を教えて欲しいと何度も尋ねられた。その女も黒目黒髪であった」
やはり俺以外にもここに飛ばされてきた人がいたんだ。
「それで、その人はどうしたんだ?」
「そなたが食事まで用意してくれるとは思わなかったゆえ、森で食料を調達してから追ってくることになっておる。そなたと違って鋼の鎧は持っておらんが、森では見ない魔獣をどこかから連れてきておってな、木の実や魚などの採集に長けておるのだ」
シエラ様の話からすると、マレビトというのはこの世界以外から流れ着いた人のことを指すようだ。もう一人のマレビトにも固有の能力があるということは、俺とは別なゲームを経由してこの世界に来たのだろうか。ここで待っていれば来るらしいから、詳しい話は当人から聞いた方がよさそうだな。
「その人のことは分かった。まあ、そういうわけで俺はこの世界のことはほとんど何も知らないんだ。できれば、それを踏まえて御身の事情を聞かせてくれないか?」
「それは是非とも聞いてもらうが、その前にその『御身』というのはやめてくれ。わたしのことはシエラと呼んでくれて良い。さて、そなたがチキュウから来たというなら、神々のことから話した方が良いだろう」
そう前置きしてから、シエラは自分の事情を話し始めた。
「この地の神々は、そなたらの神と比べて地上の営みにとても近いところにあり、この地の様々な土地や現象、動植物などを司っておる。わたし達には位階があり、低位の
つまり俺達の世界で言うところの、精霊や仙人、そして神話の神々に至るまで、全部ひっくるめてこの世界では神と呼んでいると考えれば分かりやすいか。そう考えながらうなずくと、シエラ様は話は続けた。
「わたしは、魔の森の外れに力を及ぼす狩猟神だった。狩りをする獣や狩人達がわたしの眷属であり、領域を同じくする他の現神と話し合って均衡を保ってきたのだ」
「なるほど、テディがシエラの眷属だったというのは、そういう意味か。で、眷属というのは具体的にどういうものなんだ?」
「神が神以外の者を眷属と呼ぶ場合は、加護を与え影響下においた者のことを言う。だが、神が神や人間の眷属になるというのは、その神や人間の支配下におかれることをいう。神同士もさることながら、様々な理由で人間の下に降る神もいるのだ。わたしが今、望んでいるように」
日本で言うところの眷属と同じ意味で良いのかな。尋ねてみると、先ほどのやり取りを思い出したのか、目を逸らしながらやや早口で教えてくれた。
「いや、その話はこの話が一区切りついてからにしようって」
また蒸し返されそうなので、軌道修正する。そりゃ、こんな美人な女神様が支配下に入ってくれるってのは魅力的な話だけど、どう考えても分不相応な話だし、手放しで喜ぶわけにはいかないだろう。
「では続けよう。わたしのいた森の外れというのは、人間を加護する神々の領域と人間を加護しない神々の領域の境となる。そこで森の恵みを分け与え、人間が森に深入りしないよう導いていたのだが、最近、森の近くに人間の集落ができてから事情が変わってきた」
そこまで言ってから、シエラは悲しそうに眉を寄せ、手に持ったコップの水を一口飲んで溜息をついた。こうして避難してきているくらいだ、よほど良くないことがあったのだろう。
「新しい集落の住人達は、頻繁に森に入って狩りや採集を行うようになった。それがわたし達のうちの一柱の不興を買い、話し合いで保ってきた調和が崩れてしまった。そして、緩衝地帯としての森の外れを不要と考える神々の介入を招いたのだ。わたしは、森に捨てられた人間の子供を隠れ里で保護していたので、ずいぶん攻められたよ。あの子達の身も危なくなったので、しばらくは隠れ里に立て籠っていたのだが、そのせいでひもじい思いをさせてしまった」
破れた耳たぶをさすりながら、悲しそうに笑うシエラ。俺はとっさに何を言おうか迷ってしまった。
「今度は、人間を加護する神が介入し、森の外れは一時的ににらみ合いの状態になった。そなたが現れたのは、ちょうどそんなときだ。わたしは里の者を連れて森を出ることを考えておったのだが、そなたが力を貸してくれなければもっと遠くの地へ行かねばならなかっただろう。あの子達が、それに耐えられたとは思えぬが……」
その間にシエラの表情は再び明るい笑顔に戻り、話を続ける声にも興奮したように力がこもり出した。
「そなたは大したことをしていないと思っているようだが、この大荒野はいかなる神であっても力を及ぼすことができなかった土地。ひとたび森との境を越えれば、あらゆる力を奪われる。この乾ききった大地に、ヒト族の幼子のような有様で放り出されてしまう。あの境は、森の神々の力の限界を示す線なのだ」
マズい。うっかり大それたことをしていたようだ。冷静なつもりでやっぱり調子に乗っていたんだな。冒険者ギルド、こっちではユニオンっていうんだっけ。そこに行って冒険者登録をして、新人イビリに遭遇したり、なんて考えていたことが俺にもありました。
「分かるか? この地に住まう限り、わたしもあの子達も、そなたの庇護が必要なのだ。そしてそれは、そなたの好意だけで受け取れるほど、軽々しいものではない」
いつの間にかシエラがテーブル越しに身を乗り出している。これって要するに、24人の子持ちに結婚を迫られているような状態じゃないか。転移五日目の初心者には難易度高過ぎるだろう。
「何度も言うが、ここに来て五日目のヤツにそんなことを言われても困るんだ。せめて少し考える時間をくれ」
俺は、そう言って逃げるように家を出るしかなかった。
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