魔王からの招待状⑦



 覚悟を決めて目をつぶった瞬間、ものすごい叫び声が聞こえた。


「細川さんッ!」


 聞き覚えのある声に、かなめは恐怖を忘れ目を開いた。


 眼前で黒い衣が翻り、五色の縄が要に襲いかかろうとした鬼に絡みつき、その動きを止める。漂った香の香りに息を呑めば、要の前には山吹の袈裟けさをまとった光明が立ちはだかっていた。


光明こうめい!?)


「要さん!!」


 呼ばれると同時にふわりと身体が浮き上がる。

 見上げれば茶色い瞳の青年が険しい顔で要を抱きかかえていた。

 黄金の光に囲まれた薄暮の空間をものすごい速さで上昇し、タマは端整な顔を歪める。


「私の認識が甘すぎました! あなたはどうやら私が思う以上に力を持つようだ!」


 タマはすぐさまその左手に、長い棒を出現させた。淡い桃色の光を放つそれはドリームピンクのステッキだ。


「変身してください、要さん! 新しい力です!」

「ま、待って、綾香が!!」

「すでに外界で病院に運ばれてます! 早く変身してください!」

「ちょっ!」

「早く! 死にますよ!」


 言うなり中空に放り出され、要は新しいピンクのステッキを握ったまま悲鳴のようにワードを叫んだ。


「ピンクドリームエクスチェ――――ンジッ!!」


 落下しながら、要の全身が光を発する。


 眩いピンクの光の中で着慣れた黒い制服が溶けて消え、身体にぴったりと沿うピンクのコスチュームへと変わっていく。剥き出しの腕や足に風を感じ、変身を終えると同時に落下速度が緩やかになる。


 軽やかに小さなビルの屋上へ着地した要は、激しく脈打つ心臓に手を当てた。


(ま、間に合った―――――!)


 あやうく墜落死するところだ。


 命が懸かると人間なんでもできるものらしい。腰が抜けそうになったが、すぐさまタマが隣に降り立つ。


「タマ、ここは!?」

「光明さんの張った結界の中です。あの金色の光が見えますか? あれが境界です」


 タマが指すのは、空へとそびえ立つ透き通る巨大な壁だ。


「時空を切り取ったんです。一瞬、いえ、刹那せつなですね。刹那を切り取り、時間を止める。その空間は次元から切り離され、切り離されたからには経年変化を受けない空間になる。要するに平行世界として独立するんです。もちろんあなた方や外の時間は流れますが」


 結界内を見渡し、要は光明と戦う化け物に目を留めた。


「まさか、あの赤い鬼が魔障ましょう……!?」

「そうです。光明さんにはあれを捕縛し、不動明王の神格を与え直してもらわなければいけません」


 と、どこからか「要!」という鋭い声が聞こえた。


 突如、周囲を舐めるように紅い波が広がり、炎に包まれたと気づいた時にはタマと要は輝く楕円形の障壁に守られていた。

 二人の前に立ちはだかった光の壁へと、次々に襲い掛かる炎が轟音を上げて激突する。


 要はタマに抱かれて大きく後方へ退避させられ、そのすぐ側へ光の盾で二人を守った美優みゆが降り立つ。


「ぼーっとしないで!」

「美優!」


 鏡のような光で要を守ってくれたのは、ドリームピンクとして変身した美優だった。

 美優はそのまま屋上から飛び降り、一人魔障と対峙する光明の援護へ向かう。狂ったように吐き出される炎を美優が光の障壁で防ぎ、光明が魔障を拘束すべく何度も羂索を振るい巻きつけていく。


(光明!)


 美優を追って飛び下りようとした要だが、素早く背後から腕が回り腰を捕らえられた。


「いけません!」

「タマ!?」


 驚いて振り仰げば、険しい表情のタマがいる。


「あなたの技では魔障と接近戦になる! 手伝えと言いましたが、まずあなたがどれだけ戦えるか確認してからです! 今ではない!」

「でも!」


 まだもがく要を抱く手に力を込め、タマは怖ろしいほどの剣幕でどなり返した。


「何かあってからでは遅い! あなたを魔障の前に立たせるわけにはいきません!!」


 強い口調に要が言葉を失ったとき。


「光明ッ!!」


 美優の切迫した声に、タマと要が同時に眼下へ目を落とす。

 光明は魔障の腕や脚部はおろか、頭部まで羂索けんさくで覆い尽くし動きを封じていたが、その拮抗状態が今まさに破られようとしていた。

 驚異的な力で羂索を断ち切った魔障は、咆哮を上げ、狂ったように光明に向かっていく。


(危ない!!)


 タマが急降下しようとするよりも早く。

 美優が光の盾を出すよりも早く。



「光明――――――――ッッ!!」



 要は迷うことなく手にしたステッキを投げつけていた。

 直感だった。距離や速さの計算など間に合わない。

 魔障がどの辺りに来るかも考えず、光明のほぼ足元めがけ、ビルの屋上から眼下へとステッキを叩きつけた。


 要の手を離れた力は五鈷杵ごこしょへと姿を変え、黄金に輝きながら真っ直ぐに落ちていく。


 だが、それは魔障の進む軌道からはわずかにずれている。


(当たらない――――!?)


 脳裏をよぎった考えを、要は打ち消すように叫んだ。


「いいや、当たる!!」


 言葉が発された瞬間、五鈷杵が光を帯びた。

 その様子に、タマが愕然としたように激しく全身を震わせる。


「要さん……!?」


 タマだけではない。五鈷杵を投擲とうてきした要ですら目を見開いた。

 直線の軌道を描いていた五鈷杵が、要の声に応えるように旋回したのだ。


 それは大きく弧を描いて魔障の体を貫通し、ほんの刹那、燃え盛る火焔を掻き消した。それだけではなく、ブーメランのように空を舞い要の元へと向かってくる。


 炎を分断し、回転しながら戻ってきた物を受け止め、要はぎょっとした。


 五鈷杵だったそれは、いつの間にか掌大の円形の武器――法輪に形を変えていたのだ。


 車輪のような輪は八本の刃が中心から外側へ伸び、それを囲む大きな円から八方向に突き出ている。


「光明さん! 今です!!」


 タマが叫ぶより早く、動きを止めた魔障に向けて光明が羂索を振るっていた。


 真っ直ぐに襲いかかった五色の縄が魔障の全身に絡みつき、幾重にも巻きついていく。暴れまわる炎を抑え込むように、光明が唇を噛みしめ力を込めた。


(捕らえた!)


 ギリギリと羂索が軋みを上げる。光明の顔が苦しげに歪み、その腕に力が込もっていく。

 だが光明が力を込めていくのと反比例するように、魔障の身体はますます膨れ上がっていった。


 締め付けているはずなのに、逆に魔障の全身に力が漲っていくような、不気味な波動が辺りに満ちる。


 不意に、ゾッと肌が粟立った。


 要の全身に悪寒が走る。

 ほんの少し前に見た光景が甦る。限界まで膨れ上がった炎が許容量を超えたとき、どうなるのか――。


「光明!!」

「――ッ!」


 要が身を乗り出した瞬間、網が綻び、槍のような火焔が羂索の隙間を縫って噴き出した。


「光明さんッ、結界を解きなさい!!」


 タマの大喝だいかつに、呪縛を解かれたように光明の全身が揺れる。

 大きく飛び退ると同時に羂索が消え、両手が解界の印を結んだ。


 刹那、結界内が金色の光に溢れた。


 降り注ぐ光の中で、上方からドミノのように景色が変化していく。

 

 薄暮の空間は一気に色彩と生き物たちの音が響く世界へと戻り、そびえ立っていた金色の壁は大地へと消えていく。


 それは瞬きするような時間だった。

 完全に結界が解かれると同時に魔障の姿が消えた。


 いや、正確には鬼の姿形が消え、ひとつの巨大な炎へと変わったのだ。

 囲いのない、色彩の戻ってきた世界の中へ自由になった魔障が飛び去っていく。



 燃え盛る炎が暗くなった夜の中へ消えていくのを、誰も追うことができなかった。

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