魔王からの招待状⑥



 感覚、心、本来持つ力を開く――。


 翌日、下校の電車に揺られながら要はタマの言葉を考えていた。


(アニメ風に言うと、あたしの解錠《アンロック》みたいな……!?)


 いやいやいや、と自分にツッコみを入れる。

 そんな問題ではない。昨日の夜中までかなり深刻に考えていたのに、一周回って変な思考に入ってしまった。そんな問題ではないのだ。


 大事なのは、いつの間にか自分が以前の自分ではなくなっていた、ということだ。


 なる、という強い気持ちさえあれば、ドリームピンクに変身できてしまう。

 そんな日常生活では確実に一生涯使わない能力を持たされ、なんの予告も相談もなしに五感を開かれてしまった。


(嘘、そんなの絶対嘘に決まってる! だってあたしは何も変わってないし……!)


 いくらタマが要の力を解放したと言っても、実際にステッキなしで使える力などない。視力も聴覚も嗅覚も、何もかもが普段どおりだ。

 だから大丈夫だと思いたいのに、タマの妙に真剣な声がこだまする。


 ――魔障はあなたを狙ってくるかもしれない。


「って、なんの呪いだよ!」


 脳内のタマに手刀を食らわせると、隣に座っていた綾香がびくっと肩を揺らせた。


「なにっ!? どしたの、要?」


 心の中で毒づいたつもりが、言葉に出ていたらしい。夕方の帰宅ラッシュで、電車内はそこそこ混み合っている。

 二人の前で吊革に掴まるサラリーマンからチラリと視線をよこされ、要は慌ててごまかすように咳払いした。


「いや、なんでもない。ごめん」

「もう、私の話聞いていた~? パフェ食べに行くのどうするって聞いたのに」

「ごめん、聞いてなかった。今日はちょっと帰るよ、遅くなったし」


 いつもなら綾香とカフェに寄ったり本やCDを見に行くところだが、とてもそんな気分になれない。

 普段どおり平和に学校生活を送り、委員会もこなし、その後友達としゃべり帰途についたが、結局一日中タマの話を考えていた気がする。

 疲れた顔の要に、綾香は目を丸くした。


「要、今日はずーっとぼんやりしてたね。授業中も目開けたまま寝てるのかと思ったよ~」

「いや、ちょっと呪いを受けてね……」

「呪い?」


 タマのアレは注意勧告ではない、もはや呪いだ。気にしないように努めても、どうしても反芻してしまう。


(大丈夫、大丈夫なはずだ。だってあたしがステッキを持たなくなってから何日経つ?)


 美優に奪われ、今日で四日目。その間、自分は平穏無事に暮らしてきた。

 あんなことを言われるとどうしても気にしてしまうのだが、タマが言ったのはあくまで可能性だ。それに、ステッキを持つのだけは絶対に嫌だった。


(受け取ったら、なし崩し的に手伝わされるに決まってる!)


 短い付き合いだが、タマの強引な手法は簡単に想像がつく。無理強いはできないと言っていたから人質を取られることはないだろうが、ステッキという関わりのある物体を所有することによって、否応なしに巻き込まれる可能性は大だ。


(そりゃあ……光明こうめいが大変そうだなとは思うけど)


 昨日の力を開いたという話には、彼も衝撃を受けたことだろう。少なくとも要は、不思議な力はステッキから送られてくるものであり、自身にはなんの関係もないと思っていた。


 それなのに、違った。

 不思議になってしまったのは自分の方で、ステッキはおまけだったのだ。


(光明、それ以外にも心配事がたくさんあるだろうに……。大々的ニュースにもなってる事件だし)


 事情を聞いただけの要ですら、話を聞くだけ聞いてさよならした罪悪感……とまではいかないが、申し訳ないという気持ちを持ってしまうほどの不憫さだ。


 ため息をつき、要は綾香と並んで駅の改札を抜けた。


 隣接した大きな商業施設である駅ビルの前は大勢の人が行き交い、車の通りも多い。寄り道せずに駅を出た要と綾香は、少し離れた駐輪場へ向かう。

 外へ出ればもう太陽は沈み、西の彼方に少しオレンジ色を残すのみだった。


「日が長くなったよね~。もうすぐ六月だもんね」

「だね。もうすぐ夏服だなー」


 あと数日で制服の移行期間に入る。会社帰りや学校帰りの人々が行き交う歩道を歩き、まだ春の名残を感じる空を見上げたときだった。



 視界の端を、赤い何かが通り過ぎた。


(え!?)


 ドキリとして、要は足を止めた。

 突然振り返った要に、綾香は不思議そうな声を掛ける。


「どうしたの、要?」


 炎――。


 が、視界をよぎったように見えた。

 見間違いかと周囲に視線を巡らせた要は、ある一点を見つけ悲鳴を呑み込んだ。


「なに、あれ……!?」


 駅に面した四車線の大通りには、多くの車が信号待ちのために停車している。

 その中を、大きな、人の背丈ほどもある巨大な炎がふらふらと揺らぎながら漂っていたのだ。


 目の錯覚ではない。燃え盛る火焔の熱で辺りが陽炎のように揺らめき、道路を挟んだ向かいの歩道を歩く人々の姿が滲んでいる。


「あれって?」


 だが声が震えた要に反し、綾香はきょとんとしていた。

 慌てる様子もない綾香に、要は炎から目を離さないまま指を差す。


「あの火だよ! あの道路のど真ん中にある!」

「道路の真ん中?」


 怪訝そうな綾香が何かを言おうとしたそのとき、車道を漂う炎が倍の大きさに膨れ上がった。


(なに!?)


 炎は、まるで空気を入れ過ぎた風船のようにどんどんと大きくなっていく。

 息苦しいほど動悸が早まり、血の気が引いた要は警鐘のような自分の声を聞いた。


 ――――割れる!


 予感したとおり、膨れ上がった炎が一気に弾け飛んだ。


 四方八方に飛び散った炎は礫のように歩道へ向かってくる。要は考えるよりも早く綾香の腕を引き寄せていた。


「綾香!!」

「きゃっ! ど、どしたの!? 要?」


 バランスを崩した綾香が倒れ込むのと同時。

 飛んできた炎の直撃を受け、二人の側にあった電柱が火を噴いた。

 歩道に転がる二人の側面で激しい火柱が上がり、拡散された炎によって辺りが真っ赤に照らし出される。


 誰かの金切り声と車の甲高いブレーキ音、激しいクラクションが続けざまに鼓膜を打ち、きつく目を閉じていた要はむせ返るような熱風を浴びて目を見開いた。

 とたんに視界が赤く染まる。


「ひっ……――――――――――ッッ!!」


 何が燃えているかを理解したときには絶叫していた。


 黒い制服が燃えている。


 要の視界を染めていたのは、半身を炎に包まれた綾香の姿だった。

 叫んだはずの声が自分で聞こえない。恐慌に陥ったように辺りが騒然とし、凍りついた要を突き飛ばし綾香の火を消そうと人々が殺到する。


「誰か、女の子が!!」

「火を消せっ!! 早く!!」

「救急車を!」


 人だかりに阻まれ、綾香の姿が見えなくなる。


「綾香ッ――」

 

 押しのけられ、なんとか近づこうと立ち上がったとき――。


 要の頭上を金色の流星が走った。


 通常の天体現象ではありえない。

 あまりに強い光に、要は引かれるように空を見上げた。それなのに、歩道にひしめき合う人々は、誰一人としてその光を見上げようとしない。


 流星は夕暮れも終わろうとする、オレンジと藍の融合した空の一点へ打ち込まれる。

 矢のように空へ刺さった黄金の光は、四つに分かれ、巨大な駅ビルを囲むように東西南北四方向へ落ちていく。



 直後、大地から天空へ突き刺さるような光の柱が噴き上がった。



 音も何もない。


 駅ビルの裏側から、二車線道路の前方、後方の彼方から、向かいのビルの後ろから。


 立ち上った四本の柱は互いにスクリーンのような一枚の透き通る壁で繋がり、巨大な方形の空間を造り上げる。


(これは――――!?)


 息もできずに見守る要の視界が一変した。


 夕暮れの街並みが、突然陽が陰ったように薄暗くなったのだ。

 激しい耳鳴りがし、思わず耳を押さえた要の目から人や鳥、生き物の姿が一斉に消え去る。


 要の側にいた綾香や火災に巻き込まれた人々、集まってきた大勢の野次馬、渋滞する車の中の人々、歩く犬や街の上空を飛んでいたカラス――――。


 絶え間なく聞こえていた電車の音や街の喧騒、街路樹を揺らす風の音、その全てが聞こえなくなったのだ。


「なにが……」


 建造物と無機物だけが存在する空間に一人取り残された要は、わけも分からず耳に手を当てたまま辺りを見渡した。


 景色だけは何も変わらないのに、全ての動きが止まっている。

 身じろぎしなかった要だが、ふと前を向いて悲鳴を上げた。


「ひっ……!」


 先ほど、道路を漂っていた炎がこちらを見つめている。


 それはもう炎の塊ではなかった。

 隆々と盛り上がった筋肉に裙を身に着けた半裸の鬼で、赤黒い肌が熱に揺らいでいる。


 逃げることも忘れた要の前で、鬼の全身を包む炎が風を受けたかのようにみるみる膨れ上がった。裂けた口がカッと大きく開き、すくみ上がるような咆哮と共に要へと一直線に向かってくる。




(死ぬ――――!!)


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