第5話 重鎮との邂逅
ゴールデンウィーク明けの5月10日(火)の朝9時前、山崎は新丸ビル1階のカフェである人物を待っていた。山崎も執行役員という立場上スケジュールが立て込んでいるが、今日の相手はそれ以上に忙しい。無理を言って朝の時間帯を30分ほど空けてもらったのだ。
程なくして白髪の初老の男性が穏やかな視線を山崎に向けながら向かいの席に腰かけた。
「西内先生、ご無沙汰しております」
西内は帝都大学前総長で現在は名誉教授として名を残している。西内と山崎との接点は15年前の”LPSI”のみだ。しかし、過ぎ去った15年の歳月を忘れさせるほど、当時の熱狂ぶりは二人の胸に刻まれている。
「今日はご多忙のところ突然お呼び立てして申し訳ございません。本日の依頼内容はメールでも簡単にお伝えしましたとおり、……」
西内は山崎を制し、「メールは読みましたよ。しかし、『LPSI復活』とはビックリしました。もう15年近く経つんじゃないですか?」とコーヒーを啜りながら言った。
「はい、今年でちょうど15年になります。でも、あの時の先生の教えは古びるどころか、今まさに必要だと感じているんです。まさに時代を先取りしたプログラムでした。近頃は日本経済沈滞の影響か、気骨のある中堅・若手クラスが手薄だと感じるんです」
「私も大学で教鞭を執る傍ら、学生さん達の元気のなさ、というか、諦観のようなものを感じ、危惧しています。私達の世代のようなギラギラ感を求める時代でもないとは思うんですがね」
「私も現職で執行役員を務める立場上、組織の持続的発展に尽力していかねばなりません。とはいえ、この問題は当社だけの問題ではありません。我が国をこれから支えていく人材が活力を取り戻さなければ、私達も日本社会もろとも負のスパイラルに陥ってしまうように感じるのです」
「だから今”LPSI”だと?」
「はい、先生にはスーパーバイザーをお願いしたく存じます。今回は僭越ながら、私がプログラムディレクターを務めさせていただきます。今、かつての”LPSI”同期達に各社の有望な中堅どころを選抜してもらっています。思いの外、問題意識は皆同様でして、快く対応してくれています。おそらく各社から1名ずつ総勢15名集まるかと。今回は私達”LPSI”同期生が指導役に回りますので、先生のご負担は極力小さくできると思います。今回このプロジェクトに集う各社の精鋭達に西内先生のご指導を賜りますよう、何卒よろしくお願いいたします!」
深々と頭を下げる山崎に西内は目を細め、感慨深そうに15年前を振り返った。
「しかし懐かしいですね、”LPSI”。貴方のチームは確か三友商事の丸山さん、電報堂の上田さん、島田製作所の石本さん、それから……」
「あと、今は米国でベンチャー企業を経営している山本が頑張ってくれました。私達は農産物の生産地と消費地をITで繋ぎ、需要に応じた超精密農業を行うプロジェクトの実現に奔走しました」
「そうそう、『ジャスト・イン・タイム農業』とか言ってましたね」
「はい、トヨタの『かんばん方式』の真似と言ってしまえばそれまでですが、先生もご存じのとおり、実際あれに似た農業生産システムが今全国各地に導入されています」
「だからビジネスモデル特許くらいは押さえておくように言ったじゃないですか。具体的な成果が出ていれば、今になって復活させなくても”LPSI”は活動を継続できたかもしれませんからね」
山崎は深々と頭を下げながら、西内の言葉を噛みしめた。
「はい、本当に申し訳ございません。今思い起こしても苦い思い出です。社会に価値提供したのは事実ですが、私達はビジネスパーソンにも関わらず、発明に対する対価を得るという発想が乏しかったように思います」
「仕事の課外活動程度に捉えていたら、思いの外よいものができてしまって、そのこと自体に満足してしまったという典型例ですね。『価値提供』も確かに重要ですが、『価値交換』がビジネスの基本でしょうに。私達のような学者風情がやらかすのならともかく、企業人の貴方達が……。まったく高い授業料でした」
西内と山崎は過去を述懐しながら互いに笑った。
「いいでしょう。まあ私も年齢相応のことしかできませんけどね」
「本当ですか! 御快諾いただきありがとうございます。とはいえ、私どもこそ事業が軌道に乗らなければ相応の謝礼しかお支払できないのですが……」
「それは私に対するプレッシャーですか?」
「いえいえ、先生何を仰いますやら!」
西内は愉快そうに笑い、山崎は額の汗を拭った。
「あの当時、15年後に”LPSI”を再び実現できるとは夢にも思いませんでした。自身の教え子があのプログラムを再現してくれるというのも正に想定外です。私の教職人生の集大成になるようチャレンジしてみましょう」
「そのお言葉、大変光栄です。ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
山崎は席から立ち上がって深々とお辞儀をした。この借りは一生かかっても返せないと思ったが、そのことは胸のうちに秘めておいた。
山崎は西内と別れて携帯メールを確認したところ、当時の”LPSI”同期生15名のうち既に8名からメンバー確定の連絡が入っていた。4月の富士開発社内での承認を受け、「LPSI復活」に向けて、”LPSI”同期生達に社内調整から候補者選定までを依頼していたのだ。「LPSI復活」については、”LPSI”同期生全員から賛同を得ている。山崎が会社や社会に対して感じる危惧は、どの業界にいても共通のもののようだ。もうじき、”LPSI2016”の全容が明らかになる。”LPSI”卒業生の後輩達が15年ぶりに”LPSI”の熱狂を体感する。自分がメンバーとして参画する側に入らない立場であっても、「LPSI復活」の事実は胸を熱くさせるものがあった。
15年前当時、”LPSI”のオープニングセッションで「イノベーション」について熱く語った西内先生の言葉、それから定期的な合宿形式のセッションや非公式のミーティングでメンバーと議論を白熱させた日々を山崎は思い起こした。終業後、喫茶店やファミレスに集って終電まで連日語り合ったり、合宿研修ではプレゼンに向けて徹夜の議論をしたり、今考えてもあの熱気が何だったのか説明できない。経験した者にしか分からないのだ。指導できないのであれば経験させるしかない、これが山崎が出した答えだった。
こうして5月の最終週に、スーパーバイザー帝都大学西内名誉教授、プログラムディレクター富士開発株式会社山崎執行役員、異業種メンバー15名がリストアップされた。精鋭づくしの”LPSI”メンバーからの推薦だけあって、20代から40代までの各社の有望株が出揃った。
この結果を受け、山崎は6月8日(水)に神成市企画総務部長のアポイントを取った。そして、西内教授とともに神成市役所に出向き、”LPSI2016”の実践フィールドとしての協力依頼に伺った。部長の小林は帝都大学名誉教授の来訪に緊張の面持ちだった。
名刺交換の後、山崎から「神成市再開発プロジェクト」すなわち”LPSI2016”の趣旨を伝えた。要は、神成市が抱える諸課題の解決策を、西内、山崎らによる指導、監修の下、15名の異業種精鋭達が検討すること、その内容如何では市の正式な事業として採用してほしいということを依頼したのだ。更に、プロジェクトの実現には市の協力が不可欠であり、節目節目で市の視点から意見、感想をいただきたい旨を申し添えた。
小林部長は事前に山崎から電話相談を受けていたとはいえ、想像以上の熱の入りように痛く感心したようだった。そして打合せの終わりには「私が責任を持って上役の承諾を得ます」と、西内と山崎に対して確約した。
“LPSI”復活という山崎の悲願がようやくスタート地点の間際まで来た。富士開発での企画会議から約2箇月、遂にプロジェクトのスタート地点に辿り着く!
山崎が西内とともに市役所を出ると、神成の空には雷鳴が轟き、それはまるで今から始まる山崎の10年越しの挑戦に警鐘を鳴らしているかのようだった。
「ここからが本番!」と山崎は手綱を引き締め直した。
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