第2話 企画会議

 2016年4月15日(金)、品川に本社がある富士開発株式会社では、社長以下、役員、部長クラスが一堂に会し、年に1回の企画会議が執り行われていた。

まず、事前に社長命で案出するよう指示されていた事業企画案を出席者全員が一通り披露した。それをもとにブレインストーミングが実施されたが、これといって今期の目玉になりそうなアイデアは出ず、会議は停滞していた。

「どうなんだ、山崎。他に何かないのか」

 社長の稲垣が執行役員の山崎を名指しで指名した。山崎はその異色の才能を買われ、執行役員という肩書きとは別に「クリエーター」、「イノベーター」などと社内で称されている。「困ったら山崎」という標語を幹部連中がよく口にしているほどだ。

 山崎は満を持して椅子から立ち上がり発言した。

「今日ここまでのアイデアの羅列では、既存延長線の技術、製品、事業、サービスしか生まれません」

「じゃあ聞くが、君には何か新しい提案でもあるのか。評論家は要らんのだよ」

「あります。企画書も別途このとおり用意しています」

 山崎はパワーポイントで作成した20,30頁に亘る書類を右手で高々とかざし、机上に置いた。事務局の中里が山崎の企画書を受け取ってコピー機に走るのを横目に見ながら山崎は続けた。

「この企画の内容についてご説明する前に申し上げます」

 山崎はコホンと咳払いして続けた。

「この企画が了承された暁には、プロジェクトメンバーの選定を私に一任していただきたい」

 山崎からの唐突な申し出に、会議室全体からどよめきが起きた。山崎は構わず続けた。

「このプロジェクトに携わるメンバーは社内外問わず、私がかき集めてみせます。このプロジェクトは大手デベロッパーである当社のリソースどころか、複数企業のコラボレーションでも成し遂げられません。より幅広い業種横断的なアプローチで社会的課題を解決する試みなのです。そして何よりもこのプロジェクトへの強い『共感』と『情熱』が必要になります。組織の壁を越えて戦う集団を私は創り上げたいのです!」

 山崎の主張に耳を傾けながら、いち早く配布された企画書に目を通したばかりの稲垣社長はまだ腹落ちしていないようだ。

「不特定多数の企業と連携して事業開発するというのか?」

「はい、いわゆる『オープンイノベーション』のようなイメージです。社会的課題の解決に向け、参画する各社の得意分野を結集させます」

「社会的課題というのは?」

「その紙にある通りです」

 出席者全員分のコピーを終えた中里が息を切らせながら、稲垣社長以外のメンバーにも順番に資料を配布している。

「『神成』ねぇ……。紙面からは君の意図が十分に読み取れないな。具体的に説明してくれ」

 山崎は自信に満ち溢れた表情を崩さず、稲垣社長と向き合って趣旨を説明した。

「地域社会における課題は多岐に亘ります。我々は型にはまったオーダーメイドのサービスを世の中に向けて提供するばかりでなく、地域特性や需要形態に応じたサービスをテーラーメイドにつくっていく必要があります。顧客は地域によって千差万別。そういう柔軟な思考と技術的素地を持ったメンバーをまずは一地域、すなわち今回は『神成』に集結させ、そしてここで成功すれば一気に面展開していきます。従来型の都市開発の枠を超えた街づくりと将来の社会的リーダー育成を同時に推進する企画です」

 企画書につぶさに目を通した伊勢原専務取締役が口を開いた。

「よりによって、『神成』の件を蒸し返すことはないだろう。それに事業収支が現段階ではまったく弾けないようだが。当社へのリターンは一体何なんだ」

「社会的価値の提供、それに付随したレピュテーション向上、更には次世代人材の育成です。本企画を実施することによる当社へのリターンはご指摘のとおり結果次第。現時点で評価するのは早計に過ぎます。また、伊勢原専務が懸念されるように、『神成』は当社にとっての汚点といっても過言ではありません。そこに立ち向かってこそ新しい何かが生まれると私は思います。今回敢えてフィールドとして『神成』を選んだのはそういう理由です」

 山崎は強い語調で即答した。

「如何でしょう。従来通りの事業開発の議論であれば、この煮詰まった状況では如何ともし難く、また別途場を設けた方がよいと思われます。この場では、新たな社会価値提供の形、いわば『イノベーションプラットフォーム』の創造ということで、この企画を前に進めるご了解をいただけないでしょうか」

 目を瞑ってしばし黙考していた稲垣社長を会場の全員が見守った。そして稲垣は目を見開くと「よし、わかった。本件は私に一任していただこう。いいかな、皆さん」と場の全員を諭すように言い放った。その言葉に会場はどよめいた。出席者の多くは「神成」に対して根強い抵抗感を持っているようだ。

「山崎くん、このあと私の部屋に来たまえ。もう少し具体的に話を詰めようじゃないか」

 稲垣社長はそう言うと、椅子から立ち上がり、会議室をひとり後にした。


 社長室のソファーで対面になり、さすがの山崎もやや緊張の面持ちだ。

「相変わらず山崎くんは威勢がいいな。しかし、今回はまだ生煮えの企画のように思われるが」

 秘書が淹れたコーヒーを啜りながら社長は笑みを湛え、山崎に探りを入れてきた。

「はい、確かに社長の仰るとおりです。ただ、この事業開発手法は対象地域が決まり、そこに於ける如何なる課題に対してどういうアプローチで迫るのか、プロジェクトを通じて全員参加型で見出すものなので、現段階で先が見えている方がおかしいのです」

「要は今までの当社の都市開発のスタンスが予定調和的だという訳か。君はそこに一石を投じた訳だな。敢えて『神成』をぶつけてきた、と」

 さすがは社長、読みが鋭いと思いつつ、山崎は返す言葉を急ぎ探した。

「はい、あくまで候補地ではありますが、かつて当社が都市開発を手掛けた神成市が本企画にとって最適だと私は思います。10年前当時、市との協議や事前調査を尽くした上で開発に挑みましたが、現在は人口減少、高齢化による財政難、地場産業の衰退、観光客の伸び悩み、また各種インフラの老朽化等、様々な課題を抱えていると耳にしています。同種の課題を他都市も抱えており、神成市での課題解決に成功すれば同様のアプローチでの面展開が可能になると思われます。また、当社は神成市長はじめ市関係者、地元企業、市民団体等との接点が他都市と比べて強く、第1号案件としては神成市がうってつけかと」

「君はつくづく痛いところをついてくるな。確かにそういう面もあるが、一方であそこは私も君も一番触れたくない場所じゃないか。確かに市との関係は決して悪化していないが、あの開発プロジェクト自体が不成功だったのは誰の目にも明らかだ。君もどうせ同じことを言うのであれば、そう気を遣わずストレートに言ってはどうだ。神成市開発プロジェクトは低予算の中、仕様の範囲内でとりあえず形にした。要は神成市に対する当社の提供サービスは不十分だったと。今回はそれを補完することで包括的な地域づくりのパッケージ化を目指すということではないのか」

「はい、まあそういう見方もできるのかもしれません。当社の新規事業開発は机上で議論するのではなく、顧客から真に求められているものを実地で把握して形にしていくのが近道だとそう思うのです」

「それに対しては私も同感だ。あの企画会議の場では小手先の議論しかできないだろう。そのレベルのものは費用対効果や事業採算性さえ確認できれば好きにやらせておけばよい。それに対して山崎くんの今回の提案は下手をすると散々持ち出しした挙句、アウトプットを何も得られず、という可能性もある。深追いした挙句、大怪我をする可能性もあるぞ。誰も痛い腹を探らせたいと自分からは普通思わないだろう。それについては君、どうする?」

「成果は責任を持って私が出します。ただし、企画検討段階では事業採算性等について本件は目をつぶっていただきたいのです。先ほども申したとおり、本プロジェクトは金銭面以外のメリットを主眼としています。多額の直接経費が発生する企画実行段階になりましたら、神成市からの事業費拠出や参画企業への出資要請等で賄いたいと考えています」

「とはいえ社員を遊ばせておく訳には行かないぞ、山崎くん。百歩譲って当社はいいとして、参画企業に対しては無理強いする訳にも行かないだろう。では、こうしよう。通常業務を8割従事、要は週4日勤務とし、残り2割をこの事業開発に充てる。不足する時間は人材育成の意味合いも兼ねてOff-JTで頑張ってもらうんだな。週末に神成を訪れるなど大いに結構。趣味と実益を兼ねるくらいの意気込みで臨むほうが、当事者にとっても遣り甲斐があるだろう。そういう気概のある人選を頼むぞ、メンバー選定は確か君の役割だったよな」

 グウの音も出ない社長の論法に舌を巻きつつ、山崎は覚悟を決めた。当初大上段に振りかざした希望通りの形ではないが、とりあえず社長のゴーサインは出たのだ。メンバー候補は既に頭の中にある。社内外の根回しが十分とは言えない中、更にハードルが上がってしまったが、もう後には引けない。社長室を後にしながら山崎はちょっとした焦りを覚えていた。

 廊下の窓ガラスから外を眺めると、葉桜が雷雨に打たれ耐え忍ぶ姿が見て取れた。俺が目指す神成再生もあの葉桜のような感じだなと自らの状況をだぶらせながら、山崎は次なる一手を考え始めていた。

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