神成の落日

小杉匠

第1話 passion、情熱

 師走を駆け抜け、大晦日からようやく年末年始モードに入った。1月3日までは自宅付近で家族とオフタイムを過ごす。2016年元旦。今年はどんな一年になるのだろうか。

 山崎は毎年恒例となっている明治神宮への初詣を終え、全国各地から届いた年賀状に目を通しながら、残り365日を切った2016年に自分や家族の身に起こるであろう、すべてのことに思いを馳せる。


 そんな1月1日の朝方に米国パロアルト在住の「マサ」こと山本真樹からメールが届いた。


“Cheers to 2016! ザキ、USAは熱いぞ!”


 山本は今から10年前に渡米し、シリコンバレーで起業した。何度か挫折を繰り返した末、5,6年前に人工知能関連のベンチャーを米国人エンジニアとともに立ち上げ、ようやく経営が軌道に乗り始めたと聞いている。新聞や雑誌でも時折活躍ぶりが紹介されており、ヤツの動向には注視している。

 山崎と山本は帝都大学社会科学部の西内研究室が一般公募していたリーダーシッププログラムで15年前に出会って以来の付き合いだ。そのプログラムは”LPSI”(Leadership Program for Social Innovation)といい、西内教授、後の帝都大学総長が日本全国の異才を集結させ、社会の変革を図るとともに、次代を担うリーダーを育成するという壮大な企画だった。多数の応募者の中から残ったメンバーは西内教授に厳選された、各界で活躍する15名の幹部候補生達。山崎と山本は同じチームに所属し、「日本の食を変える!」と息巻いて、農産物の生産から消費に至るバリューチェーン改革を目指した。高邁な理想の下、メンバーと議論を尽くす一方で、全国通津浦々の農業生産者や関連企業・団体を行脚し、日本の素晴らしさ、農作物の美味しさを再発見する旅に明け暮れた。思えば何故毎週末を潰してまで日本全国を駆けずり回ったのか今となってはよくわからないが、一言でいえば自然に湧き上がる情熱、何より二人で夢を語り合うのが楽しかった。

 当時の「夢」といえば、食に関わるベンチャー企業を創り、山崎がCEO(最高経営責任者)に、そして山本がCOO(最高執行責任者)に就任するという算段だったはずだ。随分と現実味のない夢物語を描いていたものだが、今ヤツは、「食」から「人工知能」にテーマを換え、当時の夢や理想を現実のものとしている。将来を約束されていた大手重電会社での研究者としての道を捨ててまで、何がアイツをそこまで駆り立てたのだろう。当時ずっと傍にいた山崎にもその理由はまったく分からない。


 山崎は山本に返信メールを打とうとしたが、途中でやめ、久しぶりに国際電話をかけてみた。たまにはアイツの声も聞いてみたい。何度かのコール音の後、程なくして、山本の「hello!」という澱みない英語の返事があった。

「そっちはまだ大晦日だろう」

「大晦日! 懐かしい響き。日本が恋しいねえ」

「よく言うよ。お前全然帰って来る気ないくせに」

 図星だったのか、電話の向こうからカラカラと笑い声が聞こえる。

「ビジネス、調子よさそうじゃないか」

「何言ってんだよ。常に食うか食われるかだよ。いや、まだ食われる肉体を持ってるだけマシなのかもな。身ぐるみ剥がされることもこれまで何度かあったことだし」

 アーリーステージにある企業の目利きをするベンチャーキャピタルや投資家はシリコンバレーでは投資にアグレッシブと聞くが、実際のところその視線はかなりシビアでビジネスライクだそうだ。ダメならあっさり切られるし、順調に成長軌道にあれば潤沢な資金を供給してくれる。IPOしなくても資金調達できる企業が増え、経営の自由度に安定性が増しているのもシリコンバレーの昨今の潮流だ。山本が経営するベンチャー企業も御多分に洩れず、ある有力な投資家の支援を受け、着実に規模を拡大しつつあるようだ。

「ザキ、お前も変われよ。今が安泰なのかもしれないけどさ」

 山本が唐突に山崎にけしかけた。

「あぁ、でもお前みたいな鋼の心臓を持ってないんでな、こっちは」

 山本は山崎の返事を鼻で笑うように、「要は”passion”だよ、”passion”。情熱」と返し、こう続けた。

「お前がもし日本を変えたら、久しぶりに帰ってみようかな」

「無茶言うなよ」


 久々の山本との会話だった。電話を切ったあと何時間経っても、山本の発した”passion”という一語が山崎の耳に残って離れない。


  ”passion”、情熱ねぇ……。


 新聞に目を通しても、テレビの年始番組を見ても、家族と会話しても、山本の発した言葉が山崎の頭から離れることはなかった。止まらない何かが堰を切って溢れ出てきそうだ。


「おい、明日はどこに行くって言ってたっけ?」

「たまには子供達のショッピングに付き合って、表参道のあたりをブラブラしようって言ってたじゃない」

 妻の明子がキッチンで食器洗いをしながら、リビングにいる山崎にカウンター越しに返事をする。

「表参道か……」

 山崎は逡巡しつつ、家族と過ごす時間と自分自身の時間を天秤にかけた。どちらも振り切れないほど重いことはよくわかっている。しかし、このときは「情熱」が他の何もかもを上回った。

「明日急遽行かなきゃならない場所ができた。家族皆で行けなくもないが、表参道のほうがお前達は楽しいだろう。申し訳ないが明日は単独行動してくるよ」

「あら、お仕事?」

「まあ、そんなところだ」

「私達は別にいいですけど、いやあね、正月早々」


 翌日、山崎は愛車のアウディA4を2時間弱走らせ、ある小都市に着いた。この地は神成(かみなり)と言い、10年前に山崎が勤務する富士開発株式会社が開発に携わった地域だ。15年前に帝都大学西内教授の”LPSI”を通じて、柔軟な発想法、仮説構築力、実践力、異業種ネットワーク等を磨いた山崎は着実に出世街道を歩んだ。そして、今からちょうど10年前に開発推進部の次長に抜擢され、神成市開発プロジェクトの現場責任者という重責を担った。


 ーー随分さびれたもんだ……。


 市中心部の神成駅前には人っ子一人いない。市役所前にも商店街にも人影はまばらだ。山崎は車で市内を廻りながら10年前の開発当時を回想した。


 都市開発ブームだった当時、神成市も遅ればせながら中核市の仲間入りを目指すべく、鉄道整備により東京都心部への交通アクセスを格段に向上させ、分譲マンション建設、レジャー施設の設置等、様々な施策を矢継ぎ早に打った。ただ、山崎の目には決定的な何かが欠けているような気がしていた。当時、その懸念を市の担当に告げ、何度もディスカッションを重ねた。しかし、結論的に神成市としてはこれ以上の施策は不要ということで山崎の懸念は市側に響くことはなかった。

 事実、開発完了の式典をした後の一年間は東京近郊からの来訪客も多く、分譲マンションの売れ行きも好調だった。傍目には順調な滑り出しに見えた。しかし、綻びはその時点から現れ始めていた。交通アクセス向上による東京都心部への労働生産人口の流出、更には東京近郊への移住等。この都市開発は神成の魅力を増すというより、魅力的な東京を神成の人々にとってより身近なものにするという皮肉な結果をもたらしたのだ。そこからの神成の没落は語るまでもない。今や労働力を東京都心部に送り込む機能すら衰え、中途半端に東京から離れ、寂れた地方の小都市というのが誰もが神成に対して持っているイメージだ。


 ーー俺にとっての神成市開発プロジェクトはまだ終わってないんだよな……。


 決して強がりではない。当時の懸念、危惧がもう少し具体的に見えていれば市に対してもっとこうすべきだ、と強く主張することができたであろう。その後、社内でのポジションが上がろうと、神成市開発プロジェクトを成功させることは未だに山崎の悲願であった。そのきっかけを探ること10年、ようやく手掛かりを得たような気がする。


 ーー要は”passion”、「情熱」だよな、マサ!

 

 山本はこの10年間でシリコンバレーでの自身の地位を確固たるものにした。俺は俺で自分の限界を試してみたい。山崎は神成の現状を目の当たりにし、強くそう思った。そのためには神成を自律成長する地域に再生、変革しなければ前に進めないような気がする。


 山崎はすっかり寂れ切った市内の隅々を感慨深く見て回った。そして、市のはずれにある神成高原の温泉旅館で汗を流し、これから先の自分を景気付けるべく英気を養った。


 ーー期の変わり目、この春が勝負だ。誰が何と言おうとやってやる!


 気が付くと旅館の露天風呂から見下ろす神成の街に陽は落ちて、深い夕闇に包まれていた。外はさながら真冬の嵐の様相を呈し、間近で雷鳴が轟いていた。それはまるで神成の地が山崎の再挑戦を受けて立つとでも言っているかのようだった。

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