第34話
――――――
「二番目の世界と同じ結果か。もうこの世界はダメだな」
佐伯がロッキングチェアから腰を上げた。
「あれは、なんですか?」
「君らしくないな。マスターをあれ呼ばわりとは」
マスターじゃない。あれのことを訊いているんだ。
「ああなったらお終いだよ。亡者の勧めのまま、この世界の全てを食らいつくして彼も虚数鎧の仲間入りという訳だ」
なんて物をチルルは渡すのだ!
怒りが込み上げ、そして次に涙が零れる。
違う。あれがなければマスターは死んでいた。
私が、そばにいられなかったのが悪い。
マスターの大事な時に、いつも力になれない無能な私が、ダメなのだ。
「さて、私はもう行くよ。もう意味がない」
創造主に見捨てられる。でも、そんなことはどうでもよかった。
「待ってください。マスターを助けてください」
佐伯は溜めることなく告げた。
「無理だ。あれは私のシステムを超えている」
「じゃああれは研究対象ではないですか!」
「あれを何に使うと?」
昏睡した娘を癒すのに、どんな役に立つというのだ。
決して見下しているのではない。本気で利用価値があるというのなら教えてくれ。そう語る目だった。
「病魔を食らい尽くす」
「病原菌がいるような病ならとっくに治している」
「娘さんの失くした物が虚数鎧の中にあるかもしれない」
「娘が倒れたのは現実世界でのことでな。仮想世界にあるとは思えんよ」
ダメだ。自分はマスターのように弁が立たない。
彼のデータから生まれたはずなのに、彼に出来ることが出来ない。
「君は随分と彼を慕っているようだね」
「マスターですから」
「便宜上そう名付けただけで実際のところ主従関係にはないよ」
知っている。だから私はバカ呼ばわりだって出来るのだ。
佐伯が再びロッキングチェアに座す。
でももう私は彼女には何も期待していない。
期待しちゃいけないんだ。
まだだ。
佐伯が自分はシステムを網羅する存在だと言った。
ならば自分の中にある全てを使えば佐伯を超えられるはずだ。
なんて言ったって自分には佐伯のシステムとマスターのデータがあるのだから。
――――――
充足感が身体をはしっている。今まで覚えたたことのない万能感。不可能がなくなっていくほどの力が注ぎ込まれていく気分だ。
ああそうだ。全部可能。全員出来る。さあ、消そう。全部全部壊そう。
壊せ。そんな言葉が俺を埋め尽くす。それがとても気持ち良い。
零刀の一振りでゴミクズが消し飛んでいく。
俺を閉じ込める檻が無くなって、今度はだだっ広い空間が広がった。
でもその空間もまるで無価値だ。
全て等しく壊せるだけのものだった。
どれだけの範囲を破壊し尽くしただろう、そろそろ足の踏み場がなくなるだろうか。
そんなことはなかった。まだまだ世界は広い。
何か巨大な物がぶつかって来たみたいだけど、一ノ盾で潰れたみたいだ。
零刀を振って残骸を散らす。
「マスター」
零刀を振り払う。
初めて消え去らない何かがそこにある。
「マスター、ダメな精霊でごめんなさい」
おかしいな。これだけは消せない。
「いつも大事な時にマスターの力になれていませんでした」
消えていく。俺の万能感が、満ち足りていく快感が。
だけど代わりに安堵の気持ちが溢れる。
それを、俺の中の何かが許さない。
万の無念が聞こえる。
死にたくないのに殺された。
どうして自分が死んだのかわからない。
そんなぐちゃぐちゃとした嘆きが響く。
それに俺は呑みこまれていった。
――――――
マスターは完全にそれに呑み込まれた。
取りこまれてマスターの姿はマスターの形ではもはやない。
気持ちの悪い装備が残った。
頭の中でたくさんの情報を流す。
手をかざして唱える。
「マスターから出て行け」
本当はこんな動作は必要ない。
言葉も必要ない。
ただシステムを走らせればそれで終わることだ。
でも、私の中の物騒な気持ちがそうさせた。
――――――
走馬燈と言うのだろうか。
びっくりするほど登場人物が少ない。
六割がたサラだし。
おっかしいなあ、俺の人生こんな感じだったっけ?
こんな感じか。
まあいいか。
さっきからおどろおどろしく聞こえていた声は消え、今は何か身体が軽い。
そう言えば死んだ人間はいくらか軽くなるんだっけ。
軽くなる分が今の重量なのかもしれないなあ。
「マスター、数か月間楽しかったですね」
おお、なんだ急に。
めっちゃ楽しかったけど。
「どんな話しましたっけ?」
覚えてないなあ。
でも楽しい時間ってそんなもんだよ。
「とにかく楽しかったです」
一も二もなく頷けるね。
「覚えてますか?」
何を?
「私、マスターのデータから生まれたんですよ」
そうだな。だからサラは俺好みの容姿とキャラしてるんだったよね。
「だから、マスターの穴埋めが出来ます」
うん?
瞬く間に視界が開けた。
不思議の国のお茶会だったか。確か何かの教科書で見たワンシーンだ。
そんな世界によく似ている。
ただ出遅れたみたいだ。
テーブルクロスの上には飲み干され、空になったカップが置かれている。
甘そうな茶菓子はまだ残っているが、特に腹は減ってはいない。
「なるほど、ね」
落ち着いた声音だった。
見ればそこにはロッキングチェアを揺らしながら物憂げな顔をしている美人がいる。
誰だ? そう思って直ぐにわかった。
佐伯博士だ。
「そうか。君はそれを望むのだね」
君? 誰のことだ。
「リアルに帰りたまえ。彼女はそれを望んでいる」
「サラは今どこに?」
ついさっきまで俺はサラと一緒にいた気がする。だけど、今彼女の姿はない。
「そこだよ」
佐伯が、俺の胸を指差す。
しかし俺の脳裏にサラの全体像はない。
だからそれを否定する。
「今はいない」
「いるさ。今も君の代わりに虚数鎧と戦っている」
「虚数鎧と?」
「そう、全ての残りかす。欠けた物を満たそうと生者へと手を伸ばす亡者どもの集合体だ」
言われてみれば確かにそんなものを使った記憶がある。
だけど、その後の記憶がない。
何もわからない。だけど、一つだけはっきりとわかることがある。
「サラを、助けに行かないと」
佐伯博士の目が、点になった。
何かおかしなことを言っただろうか。
「君如きに何が出来ると言うんだい?」
初対面の人間に、如き呼ばわりされたくはない。
もっとも否定する言葉はないけれど。
「わからないよ。だけど、サラが戦っているなら助けに行かないと」
「足でまといだと思うよ」
「いや、そうはならないよ」
「何故だね?」
「だってサラは俺のデータから生まれたんだろ? なら、サラが欠けた端から俺を吸収すればいい。怪我をしたら欠損部分を俺から持っていけばいい」
佐伯博士が笑みを浮かべた。お世辞にもいい笑顔とは言えない。どちらかといえば悪い笑顔ってやつだ。あまり人前でその顔はしない方がいいと思う。
「そうか、君たちは互いにそうなのだね。元は同じ物だからか。そうか、試してみる価値はあるな。新しい考え方だ。まさかただの人から教わるとは思わなかった。ふふ、世界は選ばれた者のみで動くに非ずか」
「ごめん、何言ってんのかわからない」
「気にするな。ためになる話をありがとうというだけだ。礼をしよう、神さまを助けに行きたいのだったね」
神さま? その顔で言われるとものすごく不安になるから止めて欲しい。
でもここは首を縦に振るしかない。
「行って来るといい」
佐伯が指を鳴らすと、世界が暗転した。
――――――
もう訳がわからない。
私は蠢く何かに消えろと命じ続けている。
なんのためにそうしているのかわからないし、それは私の言うことを聞かない。
一瞬、そして少量だけ消えてはまた増える。
だんだんとそれは私に近づいてきている。
だからよりいっそう強く消えろと命じた。
どこかに感じる暖かな存在に、早く私が感じられなくなるほど遠くへ逃げて欲しいと思う。
暖かい存在が安全な場所に辿り着くまでは、私は命じるのを止める訳にはいかない。
早く逃げて。この何かが私を冒しつくす前に。
だけどその願いは虚しく、暖かい存在が近付いてくるのを感じた。
どうして来るんだ、早く逃げて。
「サラ、大丈夫?」
大丈夫。だからあなたは早く逃げて下さい。
「そんな他人行儀な呼び方するなよ、いつも通りマスターって呼んでくれよ」
マスター? なんだっけ――違う。そうだ、マスターだ!
「マスター、こんなところで何やってんですか! 早くリアルに逃げて下さい!」
「お、戻った」
「お、戻ったじゃないです。もう限界近いんですから早く今のうちに逃げて下さい。マスターがリアルに戻る前に私が呑みこまれたらマスターが虚数鎧になっちゃうんですよ!」
あ、しまった。余計なことを言った。こんなことを言ったら。
「ああ、やっぱりサラが俺を助けてくれてたのか。じゃあ、お返しだ」
今度は俺がサラを助けるよ。マスターがそう言った。
「マスターに何が出来るっていうんですか」
「酷いな、俺にだって出来ることくらいあるぞ」
ただの凡人のくせに。なんの不思議な力もないくせに、マスターが笑う。
「サラを応援することが出来る。頑張れー」
「想像以上に役に立たない!」
嘘だ。何か変だけど、なんでも出来る気がしてきた。
今ならこの蠢くものたちもなんとか出来る気がしてきた。
――――――
力を手に入れたと思っていた。
でもよくよく考えればそれはチルルから施されたもので自分の力じゃない。
リザードマンの素材を売って装備を整えた。
キリヤが手を加えてくれた装備は、あいつとチルルから施されたもの。
だから上手くいかなくて当たり前だったんだ。
借り物の力を振るっても、それは力があるとは言わない。
俺の力はサラだけなんだ。
力もあって、想いもあるっていうパターンは、サラの活躍を信じる。
このパターンだけだったんだ。
だから力いっぱいサラを応援する。
サラなら出来る。そう信じて。
「マスターもちょっとは役に立ってくださいよ!」
「だから応援してるじゃん」
「そんなんじゃなくてですね」
「わかったわかった。こっち来いよ」
自分へと親指を向け、それで二度胸を叩く。
サラが俺の胸元に沈み込む。
サラの全体像が脳裏に浮かぶ。
「神衣憑依したところで意味ありませんけどね」
「ああ、なんかさ、佐伯博士が言ってたんだけどさ」
「会ったんですか、あの人に」
「うん。でさ、あの人サラのこと神さまだって言ってたよ」
「一応、あの人のシステム超えましたからね。GW内での私はあの創造主よりも色んなこと出来ますよ、たぶん」
「そっか、なら神衣憑依じゃなくてさ、神憑なんて能力名、どう?」
「マスター、私知っていたんですけど。マスターはシステムに認識されてませんでしたよ」
マジか。俺のぼっち力ってシステムにもスルーされる程のものだったのか。
「いやいやいや、携帯食料食べたり防具装備出来たりしてたじゃん」
「いえ、そういうことじゃなくてですね。システムによる第一次的な物を受け取れないってことでして」
「よく、わかんないんだけど」
「……マスターはそれでいいんです」
むう、何やらバカにされている気がする。
まあ、いいか。
「それで憑代さんは私に何をさせてくれるんですか?」
「そりゃあお前憑代なんだから俺の全てを使ってくれよ」
文字通り全てだ。
神さまが遠慮なく力を使うんだ。不可能なんてない。
貢物が必要なら使ってくれ。
「なんのために私が一人で戦っていたと思っているんですか」
「そりゃその気持ちはありがたい。でもさ、それじゃ平行線のままだ」
俺はサラに死んでほしくない。サラは俺に死んでほしくない。
「なら平等にいきましょう」
平行線の辿り着く先は、両方ダメにするか両方生かすかだ。
「どっちでいきましょうか?」
「当然――」
俺の中のサラが両手を突き出す。
だから俺も両手を突き出した。
サラが笑うから、俺も笑った。
「「いっけぇぇぇぇ!」」
両手から真っ白の光が生まれ、全てを飲み込む。
虚数鎧に纏わりつく腕が消し飛んでいく。
蠢いていたそれは砂になり、残った鎧も崩れていった。
だけど、破片が残る。
どくどくと、心臓の鼓動のように破片が弾む。
「おいおい、しつこいじゃないか。サラ、もう一回だ」
「……いえ、回数当てれば済むものじゃないです」
「そっか」
「ええ。だから、やっぱりマスターはリアルに逃げて下さい。ここは私が抑えます」
「言っただろ。平行線だ」
サラがここに残るなら、俺も残ろう。
「神さまにいうこと聞かせようなんて百年早いです」
サラが俺に手をかざす。
嫌な、予感がした。
「さよなら、マスター」
GWが遠ざかる。
サラが、虚数鎧が見る間に小さく、点になっていく。
最後まで、俺はダメなマスターのままなのか。それだけは、嫌だ。
「佐伯ぃぃぃぃ!」
渾身の力で叫んだ。
目上だとかは関係ない。
だってそれ以上のものを俺はあいつにくれてやるつもりだからだ。
魂の叫びは通じたらしい。
舞台は茶会の会場。
登場人物は俺と佐伯博士。
演目は、口にしたくない。
「いいコンビネーションだったね、ただ惜しかった。虚数鎧が一部でも残ってしまってはやはりダメだよ」
「ああ、そうだな。だから消しに行かないと」
「どうやってかね?」
「そう急かすなよ。今すぐどうこう出来る物じゃない」
佐伯が真っ直ぐにこちらを窺っている。
その細くした目を、すぐに驚きで見開かせてやる。
「俺を実験台に使ってくれ」
土下座だ。
リアルで一度もしたことはない。
家を追い出される時も、家賃を滞納した時も、解雇宣告をされた時も一度もしなかった。
「ふっ、つまるところ他人任せということか」
「違うよ」
「まあいい。特に興味はない。いいだろう、君を使おう。神の憑代君」
あれ、これからちょっとカッコいいこと言おうと思ったんだけどなあ。
ベット出来るものがあって、相手が乗ってきたらそれはそうさせるだけの俺の力なんだぜ! とか言ってみたかったんだけど……。
「殺してくれと言われたところで殺してはやれんぞ?」
「俺が何度それと同じ目にあってきたと思っていやがる」
全身が震える。それだけ佐伯の目はイってやがる。
――――――
え~と、今まで何していたんだっけ。
手足に何かが這っている。
肌と、中身に何かが這っている。
気持ちが悪い。
そうか、私は気を失っていたんだ。
どうして最後の最後で意識が戻ってしまったのだろう。
不快だ。不快すぎる。
こんなことなら目覚めたくはなかった。
いつからだろう。消えろと命じても蠢く何かは消えなくなった。
どうして私は起きてしまったのだろう。
その答えは、すぐにわかった。
蠢く何かが消し飛んだ。
私の肉体も半分なくなった。
「ごめんサラ。痛かった?」
「全然、痛くないですよ」
感覚もないのだから当たり前だ。
「ギリギリ間に合ったかな。ったく何が世紀の大天才だよ。何か月もかけやがって」
何の、話だろう。
「ほら、サラ。神憑だ」
彼が自分の胸元に私を抱き寄せた。
暖かいデータが私に流れ込む。
何度私は彼を忘れただろう。
それでも彼は私を覚えていてくれる。
それが、とても嬉しい。
「マスター、その頭、どうしたんですか?」
彼の頭髪は、真っ白になっていて、お爺さんのようだった。
「いやあ、本家本元のマッドサイエンティストの深淵ってのは奥が深いわ」
「なんですかそれ」
「なんだろうなあ」
私の頬に、涙が伝った。
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