第33話

「酷いなあ、首が落ちちゃったじゃないか。ねえ、拾って乗せてくれよ」

 地面に転がった頭がそう告げた。

 背中に、冷たい汗が流れる。


「なんて、別に君の手を借りなくてもどうとでもなるけど」

 言い終わるかどうかのその時点で、落ちた首が光の砂になる。

 そして、首なしの胴体に再び美しい顔が生まれた。


「困ったなあ。君を殺したら君の中にいるサラディムフィードがどうなるかわからないし、何故か出て来いって言っても出てこないし。ああ、そうだチルルにならおう」

 彼の周りに無数の剣が生まれた。色とりどり、装飾にも統一性はなく、ただ共通しているのは、威圧感。


「わかっていると思うけど、防具は意味をなさないよ。そして君は痛みをよく知っている。どうする? サラディムフィードを差し出すなら君は無事にリアルに返して上げるよ」

 チルルとのやり取りを覗き見していたのなら知っているだろうに彼は尋ねた。

 これは、選ばせてやったというパフォーマンスだ。覚えはある。

 お前は何がしたいのだと訊く癖に、やりたいことを口にすると現実味がないだの将来を考えろと言って否定をして来る奴らのそれに似ていた。


 俺はどうしてもリアルに帰りたいわけじゃない。

 だから要求を飲むメリットはなかった。


「不思議だよねえ、君はどうしてあの時にサラディムフィードを渡さなかったんだい? あんなに辛い思いをしてまでもさ。何? 好きなの? システムなのに」

「どうだろうな」

 俺のデータから生まれたと言っていた彼女は、俺の好みも読み取り、俺好みの容姿とキャラをしていた。だけど、それだけで俺は相手を好きにはならないだろう。

 俺は記号に恋したことはない。

 ツンデレだから好き。明るい女の子だから好き、自己犠牲をする子だから好き。

 そんなふうに嫁認定することはなかった。おそらく、他の誰もがそうだろう。


「独占欲じゃねえの」

 それは、我ながらしっくりくる答えだ。

 他の誰もが羨む、欲しがるものを俺が持っている。ならば、他の誰にも譲らない、非常にわかりやすいじゃないか。


「ふうん、そんなもののために殺してくれとまで言う程酷い目に遭ってもいいんだ?」

「俺はあの時殺してくれだなんて言ってないぞ」

「自分で気づいていないだけだよ。データ上では君はそう言っていたよ」

「データが間違ってるんだろ」

 むっと、彼は不機嫌そうな顔を示した。


「僕らは完璧さ。だから間違いようがない。だから不完全なものを観測しているんだ」

「バカか。完璧ならそんな必要ないだろ。ママの欲しがってる物もとっとと用意出来てありがとうね、それじゃああなたたちはもういらないって今頃捨てられているはずだ」

「……ママはそんな人じゃない」

「そうかい、俺はあったことがないからわかんねえや」

「…………あったことなくてもわかるんだ!」


 逆鱗に触れたのだろう、彼の周囲の剣が射出された。

 それらは見事に俺の胴体を残し、他の部分を余すところなく貫通していった。


 何度貫かれても、切り裂かれても慣れない。

 痛みに声が上がりそうになる。


「どうだ! サラディムフィードを渡す気になったか!」

 俺とチルルのやり取りは見ていたんだろうが。

 この程度でくれてやるか。


「バカじゃないか。バカじゃないか」

 無視をする俺に、彼は完全に冷静さを失っていた。

 目は血走り、口端には泡を作り、俺の傷口に悪意を抉り込む。


 よし、それでいい。

 俺の胸元に今サラがいないことを気づかれてはいけない。

――――――


「マスター!」

 私は床に映るマスターへと必死に呼びかけるが、彼がそれに応じる様子はない。


「そう心配しなくてもいい。君のマスターは例え死んでもここに辿り着くと言っているだろう?」

「そういう問題じゃありません!」

 私の目の前に居る佐伯博士は、お茶の時間を楽しむような空間で、足を組み、ロッキングチェアに腰を下ろしていた。


「どういう問題なのだ?」

「なんで無意味にいつもマスターは傷つけられるのですか!」

 許せない。どうしていつも彼は悲しい目にばかり合うのだ。


「アレにとっては君のマスターを傷つける意味があるからだろう」

 オルを、彼女は物のように扱う。そこに愛は感じられない。


「どうしてそんなものにマスターが付き合わされるのですか!」

「どうして彼を楽しませるために他の者が道化にならなければならないのだ?」

 佐伯の言葉の意味はわかる。だが、到底納得は出来ない。


「私は自分の振舞いが他人のためになるとは言わん。私が間違っていることなど百も承知だ。だがそれでも私は止まれん」

「娘さんのためにですか」

 この空間に呼び出された私は佐伯の身の上話を聞かされた。気持ちはわかるが憤りを感じるものだ。世紀の天才――佐伯をして原因不明の昏睡。それを解決するための彼女ですら未知の力を探るための世界、それがこれまで彼女が作って来たゲームだという。


「そうだ。さあサラディ――いや、サラよ。お前の力を示してくれ。それを目にし、私はさらなる高みへと至ろう」

 自分はシステムを網羅し、凡人を異才の領域へと導くための存在であるらしい。

 そのために今凡人から距離を取らされている。人は危機に陥ると凡人であっても目新しい力を見せることもあるらしい。

 凡人から異才よりもひょっとしたら凡人から毛の生えた人物を異才へと変えた方が、などという仮説が立てられ、それを証明するがために離れ離れにされていた。


「マスターぁ……」

 私の声は彼には届かない。


――――――


 ヤバいな。これこのまま死ぬかもしれん。

 サラが俺の中にいるって思わせておけば何とか殺されずに済むと思ったけど甘かったか。

 冷静なままにしとけばいつかばれるかもとか思って挑発した。でもミスったかも。


 サラって俺が死ぬとどうなるんだっけ?

 勝手に俺が死ぬと死ぬって思ってたけど本人に確認したっけ?

 ああ、でもチルルが俺を殺し切らなかったんだからこの仮定は高確率で当たってるよな。


「死ねよ! 死ね! 死ね!」


 あれ? じゃあ俺今死んだらヤバくないか。

 俺が死ぬのはまあ、ミスったんだししょうがない。

 でも、サラが巻き添え食うのはどうなんだ?


 といっても抵抗するための手がない。

 逃げるための足もない。まあ在ったところで逃げ場がないけど。

 命乞いをするための喉も変なところから空気を洩らす。


 すげえな、俺こんなになってもまだ死んでないのか。

 人間じゃないかもな。

『――使えば使うほど人間じゃなくなる――ス』

 まあもう人間じゃなさそうだしデメリットないよな。

 問題は具現化するかどうかだけど、さっき双剣で出来たし問題ないよな。

 頼むぜ、なんちゃらさま。


 奈落の底から助けを訴えるようにして伸ばされた無数の腕。

 それが俺の身体に纏わりつく。

 ないはずの手足から、潰された目の辺りまでもが浸食されていく気配だ。


 光が戻る。

 境界線の世界と彼の言った世界が広がっていた。


「何だよ、どういうことだよ」

 彼が目を見開き、顔から血色を失わせていく。


 自分の身体を見下ろす。

 見なきゃよかった。

 とりあえず、失った手足の代わりに誰かの腕がたくさん交わり合いながらくっ付いている。

 それらは蠢いていて、まるで陣取り合戦のように互いを押しのけあっていた。


 気持ちわりぃぃぃ。そう口に出そうとして失敗した。

 言葉の代わりに腕が洩れる。

 使えば使う程というかもう一発アウトだろう。


 身に纏わりついているってことはこれが鎧だろうな。

 虚数鎧に遅れて象牙のような姿の零刀。両腕部分の蠢く物を零刀に癒着するようにして広がる一ノ盾。それぞれが具現化された。


「あ、ああ。なんだ。アルが初めて殺された奴の装備じゃないか。び、びびっくりさせないで欲しいよ」

オルは狼狽の色を浮かべつつも、何やらコンソールを手にした。


「ざ、残念だったな。狂戦士化ので、データは全部解析済みだ。全削除、これで、終わりだ」

 震える指で、怯えを隠せない声で、彼はコンソールを操作した。

 何度も何度も同様の操作をしているようだ。

 みるみる彼の顔色が悪くなっていく。


「なんで消えないんだよ!」

 知らねえよ。

 という訳でそろそろ彼を殺すとしよう。

 いや、ここまでされたんだ、ただ殺すだけじゃだめだよな。

 腕をもがれたんだ、もぎ返そう。

 足が斬られたんだ、斬り返そう。

 友達をやられた、やり返そう。

 恋人をやられた、やり返そう。

 あれもだ、これもだ、自分の臓腑から恨みの心が沸き起こる。


「く、来るな。寄るな」

 彼が後ずさりしていく。間もなくシズクたちの映るモニターにぶつかった。

 モニターでは、エルがやられる瞬間だ。エルが光の粒になる。

「ゲームクリアだ、全員ログアウト!」


 オルの顔に、希望が浮かび、消えた。

「おい、全員ログアウトだって言ってるだろ。操作しただろ!」

 何かが何か言っている。言う? そんなバカな。肉塊がしゃべる訳ない。

 俺の、俺たちの前にあるのはただの肉だ。

 美味そうな肉だ。


「あ、あぁぁぁぁ!」

 耳障りだなあ、誰だ食事中に騒いでいるのは。

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