第32話

 うるさい。

 軽やかではあるけれども、回数が多過ぎた。

 パネルに指が触れる音だ。


 気がつけば閉じていた瞳を開く。

 おびただしい数のモニターが浮かんでいた。

 その中でもひと際大きなそれに、シズクたちの戦う姿が映っている。


 ウルに似ているが色は違うし、六枚羽だ。

 そいつはカエデの矢を振袖に巻き込み無力化し、

 接近したシズクの手首を取り、捻り上げる。

 マサトの大槌をガラスの盾で受け流し、

 キリヤの剣を、刃に変形させた翼で受けた。


 強い。ウルのようなズルをしているようには見えないから、単純に強いのだろう。

椿の見えない何かを大きく避け、チルルのナイフは身を捩って躱す。


「起きたか、おはよう。僕の名前はオル。因子持ちと戦っているのはエル」

 オルと名乗った奴は、男か女かわからない中性的な顔立ちをしている。羽もないし見た目はもの凄く綺麗な人間としか俺には表現のしようがない。

 一応僕と言っているし彼だと思っておこう。


「ここは?」

「境界線の世界だよ。君にわかるように言えばシステムの中枢でいいかな?」

 中枢の割に、ここは無数のモニターとオルが腰掛ける卵をくりぬいたような椅子、それに彼の手元にあるパネルしかない。

 まさか彼一人で、手元のパネルのみを使ってGWを維持している訳じゃないだろう。


「どうして俺はこんなところに」

「まだ寝ぼけているんだね、僕がサラディムフィードを回収しようとしたら君が割り込んで来たんだよ?」

 そうだ。確かサラが透けてきて、消させないと思って手を伸ばしたんだ。


「ああ、やっぱり今回の因子持ちは数が多いし質も高いな」

 その言葉に、モニターへと目を移すとあれだけ圧倒的だったエルに、無数の傷が浮かんでいる。もう倒されるのも時間の問題だろう。


「困ったなあ、システムを通したコマンドも彼女らには通じないし、どれだけ強化しても超えてくる。どうしようかな?」

 彼は、俺に問いかけるようにして振り返った。

 俺は、モニター内に映る肩で息をしているシズクたちを視界へ入れる。

「諦めたらいいんじゃないか?」

「そうだね。今回のゲームは失敗だ。ろくに新しいデータも取れなかったし」


 失敗があるのなら、成功もあるのだろう。

「成功したらどうなっていたんだ?」

「さあ?」

 何言ってんだこいつ。


「僕たちはママの命令で1因子、0因子、-(マイナス)因子を調べているだけだから」

「その因子は、VだとかHだとかとは違うのか?」

 彼は訊けば何でも答える。だから俺は訊き続けた。


「あれらは僕らが作った。天然の因子に似せて作ってばら撒いたけど、ダメだったね。失敗」

「お前達は何がしたいんだ?」

「さあ。ママの言う通りやっているだけだからね。強いて言えばさっき話した原始因子を調べたいんだけど、そういうことじゃないんだろ?」

 1因子とかのことだろう。その原始因子が何の役に立つのかは、彼らも知らないらしい。


「その、ママってのは?」

「一般的には佐伯博士って言われているらしいよ」

 まあ、だろうな。GWを作ったのは彼女だ。


「ああ、出来た。さっきよりはマシだろう」

 抑揚のない声を彼は発し、パネルを一度強く叩く。

 モニターに、一度は光の粒と化したエルの姿が再び現れた。


 チルルが悪態を吐いているようだった。

「向こうの声は、聞こえないのか?」

「聞きたいの? 僕はうるさいから嫌だな」

 なら出来ないとでも言っておけ。


「誰かが死ねばもっと強く因子が起動する確率高いんだけどな。やっぱりチルルが一番殺しやすいんだけど今回彼女よりも他が強いからだめか」

 そこで、彼は名案を思い付いたように掌に、拳を乗せた。いわゆるポンってやつだ。


「君ちょっとあそこまで行って死んで来てくれない?」

「嫌に決まってんだろ」

 俺の命を何だと思っていやがる。

「大丈夫、一回はチルルが身代わりになってくれるから」

 俺を庇って死ぬチルルの姿は想像できなかった。何せ俺をズタズタに引裂いた女だ。


「大丈夫だって、彼女はそういう運命なんだ。これまでだってバカみたいにそれを繰り返して何回も死んでいる」

「はあ? 一回死んだらリアルでも死ぬんだろ?」

 彼は、目をぱちくりさせている。

「そう言えば僕たちはチルル以外では同じ人間を見たことがなかったな。そうか、そうなんだ。へー。ああそうか、彼女の1因子はそういう力なんだ。ありがとう君、一つ実験が進んだよ」

 彼が浮かべた妖しい笑みに、ぞっとした。

 余計なひと言を口にしただろうか。


「お?」

 彼が興味深そうにモニターを覗き込む。

 カエデが危なかった。エルの羽根が死角から彼女を狙う刃となって襲い掛かる。

「危ない!」

 当然俺の叫びは彼女たちには届かない。

 あわやというところでマサトの大槌がそれらを叩き落とした。

「あーもう惜しい」

 彼が自分の膝を打つ。


「もう諦めたらどうだ?」

 とっととクリアさせて皆を元の世界に返して終わりにする。

 ママとやらには失敗しちゃったてへ。で済ませればいいだろう。


「そうだねー。んじゃこのエルが倒されたら終わりにしようか」

 自分で勧めておきながらこの展開はさすがに驚いた。

「だいたい同じくらいのタイミングで君をここから追い出すシステムも出来そうだし」

 なんだ、付き合いがいいなと思ったら俺を追い出せなかったのか。

 ですよね、知ってた。好き好んで俺と駄弁るやつなんてそうそういないよねー。


「今回はサラディムフィードだけでいいや」

 その一言に、俺の中で生まれたものがあった。


「ああ、そう言えば聞き損ねてた。何でサラを回収しようとしたんだ?」

「うん? ああ、彼女は逆転の発想なんだ。原始因子はシステムを超える。つまりシステムに定められていないことを出来るんだ。僕らはそれを調べている。でも原始因子を待つばかりじゃ効率悪いことに僕たちは気づいたんだ。だから逆に多くのシステムを与えた自立存在が何か出来ないかと思って作ってみた。その結果を調べるつもりだったんだよ」

「そうかそうか。で、どうやって調べるんだ?」

「バラバラにするんだ。細かく砕いて一粒一粒そのデータを観測する」

「その後元通りにするのか?」

「する訳ないじゃないか。めんどくさい」

 つまり、サラを殺すのか。


「ざけんなよ」

 手元には俺の双剣が浮かんだ。それが彼の首に当てられる。

「あれ? ここで具現化は出来ないはず。君も因子持ち――なわけないね。君はただの人だ。ということはサラディムフィードか。ああ、面白い。早く観測しなくちゃ。君、早く彼女を返してくれよ。そうしたら君は他の因子持ちと一緒に帰してあげるからさ」

「まっぴらごめんだ」

 俺の双剣は、彼の首を落とした。

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