第9話

 ……しかしその声はかすかに緊張感を含んでおり、笑顔も少し作り物めいたぎこちなさがあった。やはりさっきのことを引きずっているようだ。

 それならばなぜ?


 と、そこでようやく背後を何者かに小突かれていることに気付いた。案の定の一条だった。


「なんだよ?」


 目と鼻の先にいる水上への返答に困り、とっさに首だけ振り向いて後ろの厄介者に対応する。


「……」


 ……。

 まさかの無言。新たに無視無干渉という暴力をラーニングしたのだろうか。ほんとろくでもない。

 しかし読み取りづらい表情していたな。恐らくは水上を拒否ってることの意思表示なのだろうが、それなら一人で帰ればいいじゃないか。


「えっと、永野君、どうかな?」


 返事を待っていた水上が困った様子で笑っていた。その笑い方は仲良かった頃には見たことのない顔で、俺は急に胸が苦しくなるのだった。


「……いいぜ。帰ろう。ほら立てよ山川」

「ヴィクトリー♪」


 謎の合いの手と共にリズミカルに立ち上がる山川。こうして俺たち同じクラス三人が横一列になり、少し離れた下駄箱で靴に履き替えた一条がその後ろについてくる形で校舎を出た。

 陳腐だが、夕焼けが馬鹿みたいに見えた。俺の隣に水上を、そして背後に一条なんかを侍らせて何故に夕焼け、抒情的なのか。気まずいから真っ暗で良かった。分かっていたら俺は日没まで喜んで一条に体を捧げたというのに……。

 当然、俺たちの下校風景はテニスコートや運動場にいる同級生らに異様な光景として映り、サッカー部でGKをしている西村などはこちらをガン見してきていた。どうすんだよこれ……。


「あの、一条さん、はじめましてだよね?」


 それぞれ自転車を押しながらの帰り道。初めに口火を切ったのは水上だった。やけに緊張していると思ったら、俺にではなく後ろの一条に声をかけようとしていたようだ。天真爛漫なイメージの水上とは思えない挙動が今日は多いな。


「そうね。  はじめまして  」


 いきなり声をかけられて目を丸くしていた一条は、すぐにいつものクールフェイスを取り戻して普通のあいさつをした。というか初対面ってマジ?


「生徒会長に立候補するってホントなの?」

「一応考えているわ」

「すごーい」

「マジで、すごいな一条さん」


 一条と水上の組み合わせに少し不安を感じていたが、杞憂だったようだ。よくある、片方の話題を持ち上げてみんなでそれに乗っかり共同体を作る流れだった。今度は俺が先頭で孤立した。

 そうなると先ほどの一条の表情はますます謎なわけだが。


「……」

「あ、えと、一条さんって髪キレイだよね」

「それ俺も思ってた。完全にトレードマーク」

「ねー、どれくらい時間かけてるの?」

「……」


 あれ、杞憂だったと思ったのだけど、よくよく聞いたらキャッチボールが成立していない。なんか普通に高飛車な返答して水上が愛想笑いする展開を想像していたのだけどな。

 夕焼けを眺めていて目がくらんできた。なので何の気なく後ろを振り向いてみた。すると――。


「……」


 一条と目が合った。まるで最初からこちらのことを見ていたかのように。会話しないでじっと見られてたとか少し怖いぞ。

 彼女の切れ長の双眸は形容しがたい色をしていた。緊張とか退屈とかなどではない、まるでこちらの心の中を見透かそうとしているかのような純粋なまなざしだった。しかしそんな目つきを破綻者の一条がするだろうか。


「……」

「……」


 少しの間見つめあう形になってしまったので、水上も山川も呆けた表情で俺たちを見守っていた。いやヤバいって、色々悟られたらどうするの一条さん。

 俺は仕方なく道化を演じることでこの空気を誤魔化すことにした。


「一条さんの髪って――」


 ――したのだが……。


「っぐ」


 タイミング良く(?)一条が持っていた通学鞄を俺の脇腹に振り当ててきた。全身に冷たい痛みが走る。しかし何故だろう、少し可笑しい。

 遠慮のない振りぬきの、そのインパクトの強さに山川すら黙り、水上も驚愕の表情を浮かべていた。

 ……とまあ、ヤバいと思ったのでこんな感じに二人の反応だけ確認して俺は片膝をついた。事件の影響で腹部はまだ傷だらけなのだ。


「な、永野君大丈夫?」

「……ああ、平気平気」

「え、なんでキレたのさ一条さん?」


 すぐさま俺の元へ駆けよってくるクラスメート二人。 俺は態勢を崩したことを悔やみつつ、努めて明るく振舞った。内心では一条の秘密がばれないか、それだけを心配していた。


「ごめんなさいね、鏡君」

「ああ、いいよ」


 それは二人に歪んだ光景として映った違いない。人望厚き生徒会長候補が無言で理不尽な暴行をはたらき、協調性ゼロで偏屈な俺が殴打されて文句も言わないのだから。下手に言い訳しても怪しまれるから愛想笑いするしかなかった。


「まあよく分からんけど鏡が悪いんじゃね」

「ええ? そんな風には見えなかったけど……」


 明らかに何かしらの悪意が絡んでいそうなそのやりとりを、しかし山川は驚異のリカバリー性能で受け流した。あるいは思考がショートしてとりあえず肯定でもしたのだろうか。こいつの考えだけは予測不可能だ。

 水上は必死に一条に視線を送っていたが、当の本人はむすっとした表情のまま何も語らない。まあそれでいい。」

「行こうぜ山川、水上」

「おう」

「……」


 立ち上がった俺は二人の間に入るようにして先を促した。水上はショッキングな映画を見せられた子どものように押し黙っていた。俺の心臓が早鐘を打ちっぱなしである。


 そうして何事もなかったかのような展開に力ずくで持っていき、山川と俺が喋ってひたすら場を繋ぐ(俺だけが)苦しい状況が続いた。右隣の水上も真後ろの一条も表情はうかがい知れない。

 今頃になって陽はどんどん傾き、五月の少し肌寒くも温度の残った風流な雰囲気に包まれる。確か、水上に帰り道で初めて話しかけられたのもこれくらいの時期だったな。もう一年前か。


「あ、俺ここ左だわ」

「……ああ、そうだったな」


 俺が謎のメランコリー状態に陥っていると、現実はさらに俺を追い込む攻勢に出ていた。分かれ道で山川だけ離脱してしまうのだ。思い出して心から思い声が出た。


「じゃあねみんな、あれ、なんか女の子多くね? うらやまだわー」

「別に寄り道してくれてもいいぞ」

「じゃあね、山川君」


 俺の山川へのサイレント助け船をまるで断ち切るかのような水上の声だった。まさかこれから真剣モードに突入とかないよな?


 山川が遠ざかっていく。今日ほどアイツを羨ましく思ったことはない。お前には夕焼けがキレイに見えているんだろうな……。


 道は次第に住宅街へと入っていく。普段なら自転車で20分ほどで駆け抜けている通学路を、今日は倍の時間をかけて同級生と歩いている。青春だな。真っ青だ。


「永野くん」

「え、何?」


 俺が貧血気味な高校生活を夢想していると、右となりの水上が急に話しかけてきた。よく見たら後ろにいた一条も左となりに移動している。これは絶対絶命だ。


「というか、永野君と一条さんってさ……」


 いつも笑顔が真骨頂の水上が、今日は視線も泳いで言葉も途切れ途切れだ。正直、見ていたくない。早く距離を取らなければと改めて感じてしまう。


「いや水上、さっきの続きだけどさ、何にもないから」


 水上が笑わないから俺が代わりに笑顔を表面に張り付け、努めて明るく振舞う。内心では秘密を隠すのに血眼の形相だ。


「さっきって、いつのこと?」

「え、それは……」


 あの時の状況が蘇り、返答に窮してしまう。”何にもない”のは先ほどのフルスイングか、それともこの引きずった左足なのかと、そう聞かれているのだ。


 ちらと一条を仰ぎ見る。今度は俺ではなく、俺を通り越して水上を見つめていた。うつむきながら歩く水上はそれに気づいているのだろうか。


「それは……」


 ここに来て何も言葉が出てこなくなった。頭と体を酷使しすぎたのだろうか。だとしたら脆くなったものだ。


 夕日が沈む。しかしまだ学校の延長は終わらない。

 俺はこの二人の女子生徒を守りたいのか遠ざけたいのか分からない。片方はかつての友人で、もう片方は他人だけど、今にも破裂しそうで、俺にしか守れなくて……。


 

 ――そこで、ふと思い至る。

   もしかしたら、守ることと遠ざけることは、俺にとって同じ意味なのではないだろうか、と――。





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