第5話
監禁場所より俺たちが保護され、主に俺の傷の回復を待ってから、二人揃って復学した。
俺がいつもの素っ気ない態度で登校したのに対し、当時の一条は魂が抜かれたかのようにうつむき、言葉も少なげだった。
女生徒ということもあって登校はもう少し待つべきではという意見が学校・保護者双方から提案されたものの、本人の強い希望で同時期に復帰させたらしい。
ともすれば気丈にふるまうかと思えばそうではなく、弱り切った自分を周囲に晒すかたちとなった。俺は監禁時の一条が精神的にかなりやられていたことを知っているので、当然のごとく放ってはおけない。
校内で生徒・教員から一通りの洗礼を浴び、今と同じような昼休みに入ったと同時に、俺は一条を音楽室へと呼び出した。その際に一条が俺の腕に手を回し、しがみつくようにしてついてきたことが忘れられない。やはりこいつは立ち直ってなんかいなかったのだ。
「……」
「……」
音楽室は光に満ち溢れていた。暗い場所だとどうしてもあのマンションを思い出してしまうだろうし、かと言って屋上は施錠されている上にあの開放感は取り返しのつかない悲劇(自殺…とか)を連想してしまってだめだった。
二人して適当な椅子に座って昼飯でも食べようと思っていたのだが、よりによってこのタイミングで吹奏楽部が中庭で練習を行っており、少なかった椅子や机を根こそぎ外へと持ち出していた。
仕方がないので壁にでももたれかかろうかと提案したところ、一条は……。
「そこでいい」
と、唯一残されたピアノに備え付けの椅子を指さしたのだった。
「分かった。お前はそこに座れよ。俺はここで」
「詰めれば二人でも」
…………。
……。
下手に拒否したら傷つくと思い、俺は無言で窓の方を向いて外を見た。とてもいい天気だった。
こ、この空間から抜け出したい……。
そもそも俺は水上以外の女子と絡むことがほとんど無かったのだが、一条のあまりにも酷い有様を目にしていたので、使命だと思い何度も迷った末にようやく声をかけたのだ。それは久しく持ちえなかった協調性であった。
つまりここまで事を運んだだけでも勲章ものなのだ。この上さらに一つしかないピアノ椅子に腰かけるというのは、それはもう殉職して二階級特進もの、である。
とはいえ、ここまでしておいて態度を堅くするというのも人道に反している、とも思う。人格破綻者なりに。それにあの地獄で散々わが身を犠牲にしてきたのだから、この程度の献身は全く大したものではないはず……。
「いや、だが……しかし……」
俺がそんな風にして焦点の合わないラリった面を外側の人間たちに見せていると、ふいに後ろから襟首をぐいと引っ張られた。
「わっ」
腰から派手に転ぶかと思ったがそうはならず、適度に柔らかい台の角に無理やり腰を下ろすかたちとなった。言うまでもなく、例の椅子だ。
「……おい」
拒否しなかったことを少し後悔しつつ、俺は隣の一条の方へと振り返る。一条は俺に背を向けて座っており、背中合わせでシーソーに乗っているような有様だった。
良かった、さすがに隣り合わせは恥ずかしいよな。
「……」
強引に合席させていおいて話しかけてきたりしない。一条は自分の膝の上に手を置いて、ただじっと足元を見つめているようだ。何がしたい……。
そんな三点リーダが支配する昼下がりの音楽室は時間の経過も緩やかだ。こちらから話しかけても良いのかもしれないが、他人に気を使えない俺はむしろ傷心の相手の傷を抉ることしかできない、気がする、ので……。
「……」
一条がそっぽを向いたまま持参の弁当箱を開け始め、そのためにここにいるのだということを俺は今更ながらに思い出した。右手でずっとぶらぶらさせていたにも関わらず存在を忘れていた菓子パンを取り出す。
それにしても全然食欲が湧かないぞ。今まで誰かと共に食べて余計においしいなんて感じたこともないが、こうも減退すると友好関係って少しは大事だなって実感する。
「……いっ、た」
本当に今からこれを口に入れるの? マジで? という気持ちのまま食事にありつこうとした時、ピアノの角から出ていた金具に気づかず、手の甲を少し切ってしまった。
横一線に刻まれた切り傷から、次第に赤い血が滲みだしてくる。
こんなに、きれいな色をしていったけ。
あの時見た赤は、もっとどす黒くて、灼熱をたたえているかのようで、それで……。
「…………鏡くん」
気が付くと、一条に手を握られていた。血の染み出した俺の左手を、両手で包み込むようにして抱きしめられていた。
思わず声が出そうになったが、一条の顔を見てそれらを飲み込んでしまった。
「……い……っ」
「痛む? 痛むよね? ごめんね」
一条は、青ざめた驚きの表情を浮かべた後に、そう……あれは……初めて見るけれど……間違いない。
「いち……じょう……?」
「でも――」
「声、出さないでね」
地獄を経験したかつての学園の優等生は、俺の生傷を開くように、血を絞り出すようにその両手を蠱惑的に上下させ、
恍惚の表情を浮かべているのだった。
続
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