第4話

こうして顔を合わせると、改めて一条月夜という少女の非現実性を実感させられる。手足の細さとか、肌の透明さとか、そういうところが特に。


「あまり校内で話しかけるなよ」

「校内でしか話しかけてないでしょ。ここでしか会えないのだから」


 ……なんだよ「会えない」って。変にドキドキさせる言葉選びすんなよな。

 一条は自身の髪の毛を弄りながらあらぬ方向を向いている。なんか逆に不穏な雰囲気じゃないか、これ。


「……これから、時間ある?」


 ……。

 ……予感は的中した。

 

「……今からか?」

「すぐ済ませるから……」


 お互い故障気味のロボットのように緩慢なリアクションを取る。

 昼休みは50分ある。水上と話していた時間を差し引いてもまだ40分近くは残っている計算だ。

 そしてこれから一条がする行為の相手は俺にしか務まらない。


「分かった。そこの理科室でいいか?」

「……できれば体育倉庫がいいのだけれど」


 両指を突き合わせながらそんなことをのたまう一条。

 こいつがいかに狂った提案をしてきているかは、この後分かる。


「午後も授業があるからそれは……」

「ん、そうね。分かったわ。行きましょう」


 そう言って俺は一条に手を引かれ、薬品の匂い立ち込める理科室へと足を踏み入れた。

 カーテンがかかっているので日光が直接入り込みはしないが、一か所空いている窓からは風が流れ込み、それによって光の波紋がゆらゆら、きらきらと室内を彩っていた。

 一条の顔を見やればわずかに微笑んでいるように見えた。この状況でそういう表情するのは、俺にはよくわからないな。


「……」

「ん、なに?」


 別に、と。凝視していたことに気が付いて俺は思わず目を逸らし、つぶやく。

 そのまま少しの間、俺たちは会話もせずに理科室の真ん中で立ち尽くしていた。

 そこはカーテンの揺れる音と、校庭で遊ぶ生徒たちのざわめきだけが支配した世界だった。


「じゃあ、いい?」

「……。言っておくけど、ルールは守れよ。俺も守るから」

「分かっているわ」


 そう言って、一条が俺の元へと近付いてくる。上履きのぺたぺたという音が、何故か心に響く。

 

 ……一条は。

 一条は完璧な生徒だった。クラスメートのみならず、先輩・後輩・そして教員からも気さくに話しかけられ頼られる、カリスマ性の具現のような存在だった。

 見た目のせいで男子生徒の注目の的でもあったし、翻せば一部の女子生徒の恨みの対象でもあった。それでも一条はそのどちらにも優雅に対処し、穏便に解決してきた。

 何事もなければ、高校を卒業するまでに後世にも語り継がれる模範生徒としてアルバムで圧倒的な存在感を放っていたことだろう。


「声、出しちゃだめよ」


 そう言って、一条は俺を両手で床へと突き飛ばした。思わず息が漏れてしまうが、即座に呼吸を整えて対応する。


「……」


 続いて、ネクタイを握られながら右手で頬をぶたれる。

 次は握る手を変えて左手で左頬を。


 ……あの事件以降、一条月夜は変わってしまった。

 ……しかし、その変化はまだその一端しか垣間見せていない。性格が少し荒んでしまったとしか、みんなは思っていない。


「……っ」


 俺の役目は、彼女をこれ以上”落とさせない”こと。そのためにこうして、まだ傷の癒えきっていない体を彼女に差し出している。


「――っ」


 この部屋で俺が守るべきルールは、「一条の手が止まるまで、声を出さないこと」だった。





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