第3話

 2016年1月10日。

 年明けのまったりした雰囲気も薄れ、夕焼けがひと際に赤々と空を彩る冬の日だった。


 上石神井町誘拐監禁事件。


 学校の集中する、都心に近い町で起きた猟奇的犯罪事件。

 下校途中の都立高の生徒男女二名が路上で拘束され、その後三か月に渡り行方不明となっていた。

 失踪当初より、聞き込み調査によって二人が事件に巻き込まれた可能性が懸念されていたため、警察も連日人員を送り込んでの捜索が行われていた。

 しかし、学区域を出て以降の二人の足取りはあらゆる記録媒体に残っておらず、あまつさえ犯人と思しき人間の移動手段ですら分からない絶望的な状況であった。

 地域に放たれたマスコミの足をもってしても糸口すら見えず、あらゆるメディアがこの町を「死角だらけの町」「都心に面した砂上の楼閣」などと称して取り上げ、都市近郊犯罪の把握率の低さが浮き彫りとなる事案となった。

 帰りを待つ家族や友人のインタビューも使い切ったメディアは間もなくして次の話題へと興味をシフトさせ、事件がその町の中でしか語れなくなるのにひと月もかからなかった。

 そうして、その生徒二名の所在は町からも記憶からもいとも容易く消え失せ、一か月、二か月と時が過ぎた。

 保護者による送迎や通学路の警備が続く生洲高校であったが、当の守られている生徒たちは守る大人たちほどに二人のことを最早気にしてなどいない。彼らは大人ほど同調性に秀でておらず、また大人ほど一つの事象に思案を巡らす精神的余裕もなかったのだ。

 たとえ少し気の知れた友人が行方不明になったとしても、彼らはその意思をSNSで発信する程度のことしかできない。迫る新学期という自分たちの新たな競争市場に向けてアクションを起こすことの方が優先されていたのだ。

 そうして完全に風化した砂上の楼閣は、失踪からおよそ三か月が経過した四月の初旬に急転直下することとなる。

 生徒の通う学校から数キロも離れていないコンビニエンスストアに、全身傷だらけの少年が倒れこむようにして入り込んできたのだ。それこそが監禁されていた男子生徒Nであった。

 少年は極度の衰弱状態に陥っており、衣服は失踪時とは違い布から手足だけが出た被り物のような貧相な出で立ち。そして駆け寄った人々にひたすら……』




 そこまで見て、俺は事件のあらましをまとめたルポライターのネット記事を閉じた。

 ちょうど時間は昼休み。菓子パンを取りつつ流し読みするにはまあまあ有意義な記事だったと思う。

 特に失踪中の男女と同じ学校に通う生徒たちのくだり。実に正鵠を射ている。


「……よく見られるね。自分のこと書いてある記事」

「別に。普通だろ」


 普通じゃないよ、と、今朝方あしらったはずの水上玲衣が、机を俺の対面にくっつけて弁当を食しながらぼやいている。

 彼女の行動を意外に思う人がいたら、それは童心というものを測り違えていたか、俺の説明不足によるものだろう。多分後者だ。

 とにかく、子どもというのは少し邪険にされたくらいで袖を引っ張ることを止めない。ましてやかつて登校から下校までを共にしていた俺に関しては余計にだろう。


「肩、まだ痛むの?」

「痛まない」

「ウソだよ。いつからパン持つ手、左に転向したの」


 野球選手のポジショニング変更みたいな言い方である。友達のパン持つ時の利き手を把握しているとかあまり外で自慢しない方がいいぞ。

 ちなみに全くふれなかったが、俺は監禁時にまあまあなレベルの暴行を受けている。そこについてはあまり話したくない。


「自転車まだ早いんじゃない? バス使わないの? 」

「バスに乗ると感性が死ぬ」

「それ未だに意味分かんない。まあいいけどー。病院は行ってる?」

「まあ」

「良かった。ちゃんと続けるんだよ?」


 ……。親か。

 どうしてこんな年端もいかない子に色々と心配されなければならない。誘拐されて心身共に弱っているから? それを判断するのは俺じゃないのか。

 俺はこめかみを押さえて頭がぐるぐると回るような感覚を抑える。意識まで混濁するかのようである。


「あ……」


 少し居心地が悪くなったため、俺は無言で席を立ち、水上に目もくれずに教室を後にした。間もなくして彼女を気遣う声が室内からちらほら聞こえてきたが、それはむしろ俺の心を少し落ち着かせた。


 ふらふらとした足取りで隣のクラスも通過し、廊下の隅にある冷水器へとたどり着く。

 気分が優れないときはミンティアを口に含んで冷水を飲み干すに限る。まるで燃えるように冷えた水が口内から喉元を蹂躙し、とても心地がいい。先々週は口の中が切れているのを忘れて行為に及んでしまい、あやうく窓から飛び降りるところだったが。


「……ふう」


 ぼんやりしていた世界の焦点がようやく戻ってくる。校内の喧騒。温かみのある日差し。窓から流れ込む春のそよ風。


「あら鏡くん。ご機嫌よう、気持ち悪いことしてどうしたのかしら?」


 ……そして、遠慮なく悪態をつく元監禁仲間の少女I。

 俺はひとつ、深いため息を吐いて彼女に向き直った。





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