第2話

一条のエキセントリックな言動を、周囲は見こそすれ、特に声をかけたりはしない。それは多分全校生徒に敷かれた暗黙のルールであろう。

 爛欄と輝く瞳を逸らすことなくこちらへ向けている彼女は、明らかに俺の返答を待っていた。


「そっか。すまん、気を付けるよ」


 昂る気持ちを抑えて、冷静にそっけない言葉を選ぶ。下手に歯向かえばどこまでエスカレートするか分かったものではないからな。

 そう言って俺は視線を校門へ移し自転車を緩慢な動作で押して歩く。

 一条に誰も口を挟まないのだから、俺にも誰も声をかけない。矛盾しているように聞こえるかもしれないが、その理由はもう一人に会うまで置いておいて欲しい。


「……。ケガも治ってないのに自転車で登校なんて危ないのではないかしら」


「お前こそ。あ、頬の包帯取れたんだな」


 特に目も合わせず、外見上は完治している一条の横を少し足を引きずるようにして通り過ぎる。あいつの表情はうかがい知れない。

 とりあえず、今日も生洲高校には慈愛の精神が満ち溢れているようだ。



§




 校舎に入り、階段を手すりを使いながらなんとか三階まで上がる。今はまだ二階の途中だ。

 ここら辺まで来ると体中の擦り傷・切り傷・打撲の数々は存在感を発揮してくる。階段の昇降は意外に全身運動なのだと痛感する


「あの、永野く……」

「バカ、えみ」


 俺の横を通り抜けざまに同学年の女子生徒がこちらに声をかけようとしたが、隣を歩く友人に制止され連れていかれてしまう。よくあることだ。


「放っておくの」 


 そ

れが同じクラスの生徒であったとしても、さして悲しむことではない。これがこの学校の暗黙のルールなのだから。

 ふと、手をついた壁に貼られたポスターに目をやる。そこには人気アイドルグループの女の子が警官の出で立ちで敬礼する姿があった。

 口元を結んでいるが全く真面目な顔に見えないのはある意味流石である。そして彼女の横には『犯罪を防ぐ!』といった要旨の標語が書き連ねてあった。そこでようやく警察のポスターなのだと気づく。


 ……。別に何か言いたいことがあるわけではない。だが、俺は犯罪を防ぐことと人を守ることは別だと思っている。それは多分、あいつと俺が共有する唯一の意見だろう。

 ……そのほかに意見が合うとすれば。


「なーがーのくん」


 言われて、背中をポンと叩かれた。そして左手に持っていたはずのバッグは彼女に奪われ、抱きかかえられていた。


「おはよ。今日は早いね」

「おはよう、水上。おかげで一条とエンカウントしちゃったけどな」


 あははと笑い、そのまま踊り場でくるくと踊る彼女はクラスメートの水上玲衣(ミナカミレイ)。高校生にそぐわない幼い言動と、相反する恵まれたスタイルが特徴の女子生徒だ。

 肩で切りそろえられた髪は微かに明るく、どの学校にもいるスクールカースト上位の天然弄られキャラといったところだ。

 そして現状、この学校の暗黙のルールを破った唯一の女子でもある。


「あ、なんか永野くんいつもより元気っぽい? なんだかんだ言って一条さんと会えて嬉しかったんじゃないのー?」

「チヤリで片足轢かれて嬉しいとかヤバいでしょ」


 俺と水上は元々仲が良かった。高校に入ってから知り合ったのだが、入学当初から人生悲観オーラをまき散らしていた俺に何故か水上は事あるごとに近づいてきては行動を共にすることが多かった。

 友人の山川が言うには『いつ付き合い始めてもおかしくない』と誰もが思っていたらしい。知らずに進行していた成人病みたいなニュアンスに戦慄すること大だったのは言うまでもない。

 ……まあ、そんな関係も過去の話だ。


「それでねっ」

「……ごめん水上。トイレ寄るから先教室行ってくれ。バックもありがとな」

「あ、うん……」


 そのまま談笑しながら教室に向かうと思っていた水上が一気におとなしくなる。俺が珍しく相手を気遣う発言なんてしたからだろう。


「えと……じゃあ先に行くね」

「ああ」

 

 言葉は柔らかくとも、俺の彼女への対応は一条へのそれと遜色なかった。目線は合わせず、同調を拒否したのだ。しかも普段しない気遣いまで見せて。


「……」


 俺をよく知る相手からすれば壁を感じてしまうに違いない。明らかに距離を置かれている。純真な言動の水上でさえも気付いてしまうほどの明確な拒絶の表れだ。

 そのようなやりとりを横目に見ながらも、やはり誰も俺に声をかけようとはしない。


 俺は少し三階の窓から外を眺めて時間をつぶし、教室の扉に手をかけた。

 開いた瞬間、俺と目が合った何人かの談笑していたクラスメートの顔が引きつる。そして咳払いと明後日の方向へ向けられた視線という、少しの緊張感と疎外感が空気に混じっているかのような雰囲気が教室を支配する。

 俺はその様子を確認すると、特に気にもせず自分の机へと足を運ぶ。



 ――この教室の空気。そして取り巻く全校生徒が順守する掟と、身近にいた友人にすら拒絶し拒絶される関係性。


 すべては、あの事件が発端となったことだ。





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