第18話
伽藍さんのTwitterをフォローしている方は目にしたことがあるかも知れないですけど、伽藍さんはたまにひとのことを『人間じゃない』とかいうことがあって
伽藍さんはね、人間って生きているだけじゃ人間じゃないって思ってしまうのです。人間のかたちをした、人間以外の何かだって
いつからそんなことを考えたのかってよく覚えてないんだけど、記憶にある限り、たぶん母親の骨を見たことがきっかけだと思う。
あのとき母親の骨を見て、「あぁ、母親も人間だったんだ」って思って、
そこで初めて、自分が母親を人間と思っていなかったことを自覚した。
本当のところは今でも判らない。母親は人間だったのかも知れないし、人間じゃなかったのかも知れない
父親の骨を見たときは「人間だったんだ」とはこれっぽっちも思わなかったから、父親が人間以外の何かだったことは確かとしても
母親がどんな生き物だったのかは判らない。
もしかしたら、「せめて母親と父親のうち片方だけでも人間でいて欲しい」っていう、わたしの願望がそう思い込ませてるだけかも知れない
まあともかく、それで理解したのです。人間はひとの形をしているからって、人間とは限らないんだなあって
それを理解したきっかけがわたしにとって完全に異形の生き物だった父親で、もしくは生きている間は異形だと思い込んでいた母親だったから
なんとなく、わたしの中でひとであって人間じゃないものはそういう、よく判らないイメージで固まっている
例えばえーと、甲田学人先生の『Missing』に出てくる『なりそこない』とかね、そういうイメージ
わたしのなかで『なりそこない』はもっと美しくて、哀しい生き物なので、もうちょっと違うんだけど
もっと汚くて、どろどろしてて、どう頑張っても人間にはなれない生き物なんだけど
とりあえず、わたしにとって、人間以外の何かはそういうイメージ。そういう生き物が人間の皮を被って、それっぽく擬態して、人間社会に紛れてる
伽藍も擬態する側。だって人間じゃない生き物に育てられた生き物が人間なわけないじゃない
でもね、リアルで会ったひとは納得してくれるんだけど。わたし、人間のフリって上手いんです。人間っぽく振る舞える。ちょっとした自慢
で、とにかく人間の形をした生き物には人間以外の生き物がいるって話なんだけど
たぶん『人間以外』の一番強いイメージが父親なので、わたしは『人間』に夢を見過ぎちゃってるんですよね
人間って、素晴らしい生き物だって思ってる。生きていることを許されるって
そうなると、その人間の理想から外れた生き物は、とたんにわたしの中で人間じゃなくなっちゃうのです
よく判らない理不尽な文句つけてくるひととか、他人に迷惑かけるひととか、ひとを平気で傷つけるひととか
難しいことは何もないのです。ただ、生きてて見苦しくないかどうか。それだけ
だってほら、人間だって生きてるんだから、どうしたって生きて、存在している以上は他の何かの迷惑になっちゃうじゃないですか。生きている以上は死ぬ以上の救いなんてないんだから
そんなの当たり前のことなのに、知らない顔して恥の上塗りしていくひとがいるんです
人間のかたちしてるのに、人間のフリもできないひとがいるんです
そういう生き物はね、うん。わたしのなかでは人間じゃないんです
たぶん、自分は人間だって勘違いしてるんだろうけれど。それはそれで羨ましいなあって
生きててもいいだなんて勘違いしてるってことでしょ
ぐだぐだ連ねましたが、とりあえず現時点での伽藍の人間観はこんな感じです
たぶん何年、何十年かしたら忘れちゃうので(もしかしたら覚えてるかも知れないけれど)、そのときのための覚え書き
いつか自分のことを人間だなんて勘違いするばかな自分へ
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