第15話

 父親の死に顔は見てません。

 亡くなってすぐには死因が判らなくて、いろいろ解剖されたりして時間が経過してたので、警察署でも葬儀場でも親の顔を見ることは周りに止められました。し、別段見たって何にもならないことは知ってたから、見るつもりもなかった。

 いま思い返したって、最後くらい見ておけばよかったなんて全く思わない。たぶん見たって、本当に、どうにもならなかっただろう。

 写真はある。わたしが五歳くらいのときのが一枚きり。祖父母とも一緒にでかけたときの写真をコップに焼き付けたやつで、祖父母からの贈り物だった。これが唯一の家族写真らしい家族写真になるとは、祖父母だって思わなかっただろう。

 でもその写真だってもうろくに見返すことはないから、わたしの中の父親の一番新しい記憶といえば、母親の葬式のときの姿だ。

 父親は片方の眼が余所を向いていて、それが幼い頃はとても恐かった。年老いてお風呂もろくに入っているか判らなくて、ぎょろりとした眼を向いて、尿を垂れ流して、悪臭を撒き散らして、薄汚れた服で自分の嫁の葬式に出た。

 あの化け物じみた姿が、わたしの記憶の中の父親だったし、これから先もこの印象が覆ることはないだろう。


 母親のときは死に顔を見た。死に顔を見て、ずいぶんとこけた姿に驚いたし、母親が人間みたいな顔をしていたことにもっと驚いた。

 母親が焼かれた骨を見て、母親が人間だったんだと知って、それがずいぶんと印象に残っている。


 父親の焼かれた骨も見たし、それが人間のものだったってのも頭では判るんだけどね。

 どうしても、母親と同じように人間だとは思えなくて、だからわたしの中では今も、父親は化け物じみた何かの姿をしている。



 母親の骨を見て、人間は死ねば救われるし、どんな人間もどきも死ねば人間になれるんだって思った。

 父親の骨を見て、死んでも救われない人間もいるし、死んだって人間になれない人間もどきのままなやつもいるんだって思った。



 もしかしたら母親を人間と思い込んでるのだって、わたしの勘違いかも知れない。せめて片親だけでも人間だけだったんだって、そう思いたいだけなのかも知れないけれど。

 答えなんてどこにもないわね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る