第7話 額っぽい1日

「おはようござ……あれもみあげじゃん、珍しい」


「はい、珍しいもみあげですよ、額さん」


リフレッシュルームに設置されているテーブルを拭きながら言葉を返す。

新入社員のローテーションタスクである朝掃除は、手を抜けば大変面倒くさいことになる。

口は動かしつつも手を抜くわけにはいかない。


「額さんは相変わらず早いですね」


「いつも通りかな」


私や額さんが所属するチームの朝会は10時だが、額さんの出社時刻はそれよりも30分ほど早い。

この時間帯に出社しているのは掃除当番の新人社員2名と額さん、あとはたまたま早くやってきた人くらいなものである。

額さん自身は通勤電車の都合と言っていたが、30分ほど出発時刻をずらすだけで通勤ラッシュに巻き込まれないものなのだろうか?

徒歩通勤組の私にはわからない感覚だ。


「がんばれー」


「はいー」


自分でもよくわからない返事をしながら掃除に集中する。

こういうものは無心で作業していればいつの間にか時間が経っているものだ。


案の定、ある程度綺麗にできたと感じた時には掃除終了時刻になっていた。

掃除の相方とともにメンターに報告を行ってから自席に戻る。


「ネ子さんへ報告。

本日の掃除は滞りなく終了しました」


『記録完了。

引き続き励め』


相変わらず上から目線だなと感心しつつ、朝会に参加するためミーティングスペースへ移動する。


「おっ、もみあげが来た。

それじゃー朝会を始めます」


朝会の司会進行役は持ち回り方式だ。

今日はどうやら額さんがその担当らしく、主な応対を行っている。


このチームの朝会では昨日やったこと、今日やること、躓いていることを1人1分で報告することになっている。

簡単な進捗と情報の共有し、必要があればアラートをあげるのだ。

1分は短く感じるかもしれないが、必要最低限にまとめておけば意外と時間内に収まるものである。

もちろん、必要とあれば朝会後にチーム内で相談することになるので問題ない。


「最後、もみあげー」


「何日かやっていた作業については終わりました。

今日は細かいバグ修正をやろうと思っています。

無事に起床できたので特に困ってないですね」


順番が回ってきたので素早く言うべき事を言う。

特に問題のないときはこのくらいシンプルだ。


「他に共有しておきたい事は?

……では今日も1日よろしくお願いします」


『よろしくお願いします』


締めの挨拶を終えて自席に戻り、それからワンテンポ遅れて額さんが戻って来る。

おそらく朝会に使用したミーティングスペース備え付けのPCからログアウト処理を行っていたのだろう。

設定さえしておけば、ミーティングスペースに設置されたPCから自席のPCにリモートログインして操作できるのだ。


そしてこの後はお決まりのパターンだ。


「で、何やってたっけ?」


思った通り、忘れてしまったようだ。

額さんはたまに物事を忘れるタイプらしく、こうして隣の席に座っている私に質問してくる事がある。


「確か、さっき終わらせたバグ修正結果をデザイナーさんに見てもらうのでは?」


「そういえばそうだった。

行ってこよ」


そして私がなぜか覚えているものだから毎度それに答える……という謎のやりとりが発生する。

まぁ、問題が起きているわけでもないので今のところは現状維持だろう。

今後は机上のホワイトボードにメモするなりして管理すべきなのだろうけれど。


少しして額さんが戻ってくる。


「さて次のタスクは……このバグもさっさと片付けちゃお」


発言を聞く限りでは特に問題なかったようだ。


(さて、あっちに気を取られるわけにもいかないな)


バグの原因を特定するには地道な調査が必要となる。

油を売って時間を浪費するわけにはいかない。


(あれをこうして……こうじゃ!)


30分ほど格闘した末にバグ発生原因を突き止める。

あとは単に修正すれば良い……そう思い改めて気合を入れ直したところで、チャットツールから新着投稿を知らせるシステム音が鳴る。

当社では業務中にイヤホンやヘッドホンの装着が許可されているので、通知設定を弄っておけば重要な通知を見逃さずに済むのだ。


(うひょー、相変わらず額さんは手が早いですね)


今回のメッセージは額さんがバグ修正コードのレビューを依頼したものだった。

メッセージに『軽め』と書かれているのでバグ修正は比較的簡単なものだったようだが、それでもコンパイル時間を含めて30分以内に終わらせるのは作業が早い証拠だろう。


(ほい、チェックと)


額さんが依頼にあげていたコードを確認してチェック完了報告を……しようとしたが隣の席は既に空になっていた。


『なにこれなにこれ』


『あ~そのマップなぁ』


額さんと別チームに所属している新人の会話が聞こえてきたので、隣のチームの席まで遊びに行ったのだろうと結論を下し自分の作業に戻る。

面白い話をしているのであれば割り込むのもやぶさかではないが、今回は他愛のない会話のようなのでスルーを決め込む。


「ありがとありがと」


「うぃー」


5分ほど経ったあたりで、席に戻ってきた額さんにお礼を言われたので適当に返事を返す。

簡単な会話ではお互いに条件反射で喋っているような状況なので日本語が少し怪しいが、本人達は通じているので問題ないだろう……ないよね?


さて、こういったやり取りと作業を繰り返すうちにランチタイムがやってくる。


「おなかすいたおなかすいた」


私の場合、だいたいはこの額さんの発言によって時間に気付くわけだが。


「もみあげどうするー?」


「パス」


今戦っているバグを倒してから休憩に入りたかったのでお誘いを断る。


「マイタケ氏はー?」


「ウッス」


「あとはぐっちゃんかなー」


結局、マイタケさんと……1つ上の先輩が額さんとグループを組んでお昼ご飯へと繰り出すようだ。

ちなみに額さんが”ぐっちゃん”と呼ぶ社員だが、実は額さんがアルバイト入社した時期よりも後に新卒採用で入社した方であり、額さんのほうがある意味で先輩社員だったりする。

そんなわけで額さんはたまに額先輩と呼ばれることもある……主にネタ方面で使われているのは気のせいだろう、きっと。


(いかんいかん、バグを片付けなきゃ)


社員が続々と昼食に出掛ける中、黙々と作業を続行する。

休憩時間を自由に決められるのは裁量労働制の良いところだ。


「めっしっしー……っと!」


空腹に意識を持っていかれ妙なテンションになり始めたところで作業がひと段落する。


「うっほうっほ」


と、丁度そんなタイミングで額さんが戻ってきた。

マイタケさんは煙草を吸いに行ったのか、一緒ではないらしい。


「なぜゴリラ……?」


「『めっしっしー』と響き似てない?」


「うーん……ここは神に判定を委ねよう」


謎だったので、たまたま付近を通りかかった神にジャッジをお願いする。


「理解できなくもない」


「すごい、大人な返しだ」


神は基本的には真面目だが、こういった中身のない会話でもきちんとキャッチボールしてくれるあたり、対応力がすごいと思う。

ここ数年で磨きがかかっているようにも感じるが……はて、何かあっただろうか?


ングアウト」


いつの間にか戻ってきたマイタケさんが謎の言葉を残して自席に座る。


「えっ……?」


「もみあげは気付かなくても自分は気づいたよ、マイタケさん」


言葉の意味が理解できずに困惑していたら、なぜか額さんが憐れむような視線を送ってきた。

この理不尽さは何だろう……と感じつつも、私がマイタケさんの発言を理解できないのは稀によくある話なので、これ以上触れないことに決める。


(そんなことより、レビュー依頼を出さないと)


先ほどまで書いていたプログラムをチーム新人メンバーのみで構成されるチャットのチャンネルに展開する。


”もみあげ:このコードに異論ある人は集合”


新人チャンネルはチーム全体チャンネルよりも反応が早いことも多いので、早く返事が欲しい場合は前者を利用することにしている。

案の定、すぐさまレスポンスが返ってきた。


”マイタケ:ここ、あかんやつちゃう?”


”額:おっ、戦争かな???”


”神:ドンパチ派手にいこうか”


新人チャンネルではこういった煽りも行われる。

とはいえ気分を害するような書き込みはないし、こういうやり軽い取りが行えるのは仲が悪いわけではない証拠だろう。

ギスギスした空間で仕事をするよりも良い。


”もみあげ:こいよマイタケさん、チャットツールなんて捨ててかかってこい”


開戦の合図を送ると同時にマイタケさんの席へと顔を向けて臨戦態勢をとる。

こういった議論はツール上よりも直接対話したほうが話が白熱するのだ。


案の定というべきか、私とマイタケさんの議論は平行線のまま進んでいく。


「はい、ちゅんちゅん」


そんなとき、額さんが謎のジェスチャーと共に介入してきた。


今額さんが放った言葉は、ユニバーシティアイドルアニメに登場するキャラクターの1人、東すずめちゃんの名台詞(?)の1つだ。

劇中で議論が白熱したときにすずめちゃんが使う台詞として有名であり、額さんはそんなすずめちゃんファンの1人である。

男の額さんが真似しても萌える要素はないわけだが、かといって不快感に襲われるわけでもない。


(これが人徳なのかね?)


私がやっても顰蹙を買うだけだろう。

額さんだからこそ、こういった発言をしても許される気がしてならない。


「ちょっと額さんみたいになってみたいかも……?」


「え、額がもう1人増えるのは勘弁願いたい……疲れる」


ボソッとつぶやいただけだったが、鉈さんにマジレスされてしまった。

そういうものだろうか……と思い額さんに視線を向ける。


「いぇーい」


「……なるほど?」


こちらの視線にピースサインで返してくる額さんを見ながら、鉈さんの意見に少しだけ納得するのだった。

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