エピローグ

夢から覚めて

「シェ――――ッ!」


 ちょっと特殊な寝言を叫んで、僕は唐突にパチリと目が覚めた。そこに見慣れた景色が広がっている。そう、あまりにあっけなく僕は目を覚ましていたんだ。

 今まで散々色んな夢を見ていたけど……起きる時はあっけなく起きちゃえるものなんだなぁ。

 しかし見慣れたはずのこの景色がすごく懐かしく思える……。何十年も旅をして戻って来たみたいな感覚――これは一体何なんだろう?


 ふと時計を見ると午後4時……。もうすぐサキちゃんが帰ってくる時間だった。今日は金曜日、彼女が帰り道の途中で近所のスーパーに寄って買い物をして帰る日だ。僕は流行りの液状おやつを買って来てくれないかなと期待しながら、部屋の中でサキちゃんを待っていた。


 しかし疲れたな。寝ていたはずなのに疲れるって……。サキちゃんが帰ってくるまで後20分位かな。夢の中でもかなり待たされた事はあったけど、それは一瞬だった。今待っているその20分も過ぎてしまえば一瞬なんだろうけど……この待つ間の時間をかなり長く感じていた。


 きっとさっきまでの夢が長過ぎて、今もまだ夢の途中かも知れないって不安が大きいんだ。サキちゃんを――現実の動くサキちゃんを見れば、嗅げば、触れば、この不安もきっと吹っ飛ぶんだろうと思う。ああ……サキちゃん、早く会いたいよ……。


 それからしばらくして、半分睡魔に負けた頃だった。玄関に人の気配を感じたんだ。うん、これは多分間違いないね。

 間もなく、ガチャリと玄関の鍵の開く音がする。


「ただいまー」


 サキちゃんだ! サキちゃんが帰って来た! お帰り! お帰りなさいサキちゃん!

 僕はすぐにサキちゃんの元に走っていった。


 にゃー、にゃーん。


「おーだいふくー、今帰ったよー今日の朝ぶりー♪」


 当然だけど、サキちゃんとは会話は出来ない。うん、やっぱりこれ現実だ! 夢じゃない! はっきり夢から目覚めた事を自覚した僕は必死でサキちゃんに自分の体をスリスリさせていた。現実のサキちゃんをしっかりと感じる為に。


「こらこら、とりあえず靴を脱がせろw 私を家に上げさせない気かw」


 僕はサキちゃんにうざがられても彼女にくっついていった。だって、僕はサキちゃんが大好きだったから!


 彼女は帰りに寄って買って来た荷物を持って台所に歩いていく。あの中に僕の大好きなおやつも入っていたらいいな。ガサガサと袋の中の物を仕分けしていく音を聞きながら、そんな期待で胸をワクワクさせていた。

 期待に満ちたその眼差しに気付いたサキちゃんが買った物をそれぞれの相応しい場所に収めながら言う。


「そうだ大福、君に良い物を買って来てあげたよ♪」


 良い物! これは期待せざるを得ない! 間違いない、絶対例のおやつだよ! ぼかあCMであのおやつの存在を知ってからずっとアレが食べたかったんだ!

 そうか~。今からついにアレが食べられるのか~。うひょー! 嬉しいザンス~!


 っと、その前にトイレトイレ。この時僕は急に尿意に襲われてトイレへと向かった。

 僕だって立派な家猫だよ! ちゃんと猫用トイレで用を足す事位は出来るんだ。


 ふー。余裕で間に合った。


 さて、気を取り直して改めてサキちゃんの元に向かうかなっと。美味しいおやつ♪ 美味しいおやつ~♪ 心なしか足取りも軽くなっちゃうよね♪ 今日はきっといい日なんだ♪


 僕がサキちゃんの元に戻ると、彼女はいつの間にか手にしたスマホで動画を撮っていた。そっか、動画を撮られる代わりにご褒美としておやつか……うん、悪くない取引だぞ。


 そして僕は何の警戒心も抱かずにサキちゃんにもっと近付いたんだ。ん? あれ? 何か違和感を感じる……。何だろうこの違和感の正体は?


 こつん――。この時、身体に何かがぶつかった。僕はその正体を確かめようと振り返る。そこにあったその障害物は――何と――きゅうり!


「フギャ――――ッ!」


 僕はこの突然のきゅうりの出現にものすごく驚いて、その場で反射的にジャンプしてしまった。な、何何何何ーっ! これアレ? ドッキリってヤツ?

 何でこんな所にきゅうりがあるんだよー! またあの夢を思い出しちゃったよー!


「ほ、本当に猫はきゅうりに驚くんだ……」


 僕のびっくりする様子を余す事なく録画していたサキちゃんが、この時ポツリとそうつぶやいた。そう、この悪戯を仕掛けた張本人はサキちゃんだったんだ。

 ううう……サキちゃん、おイタが過ぎるよぉ……。僕本当にすごくびっくりしたんだからね……。ああ……寿命が縮むかと思ったよぉ……うう、心臓に悪い。


「ごめんごめん、今この動画が話題になっててさ、やっぱ本当かどうか試してみたくなっちゃうでしょ?」


 サキちゃんはそう言いながら、その話題になっている動画を僕に見せてくれた。ひょいと僕が覗き込むと、画面上では確かに猫がきゅうりに驚いている――何だこれ、まるでさっきの僕じゃないか。

 この動画の再生数が――とんでもない事になっていた。それで僕はサキちゃんの行動の意図が読めたんだ。


 最近僕の動画をアップしているブログのカンターの伸びがよろしくない……。ここで一発目玉記事を書こうとしていたんだ。

 僕はそんなサキちゃんのお役に立てたかと思うと、不思議とさっきの彼女の行為にそんなに腹は立たなかった。


「ハイこれ、びっくりさせちゃったお詫び。ごめんね、もうしないから許してね」


 サキちゃんはそう言うと僕に例のCMで有名な液状のおやつをくれた。やっぱりコレ、僕に買って来てくれていたんだ! 僕は速攻でサキちゃんを許したよ! って言うか最初から怒ってないよ!


 僕はサキちゃんがくれた液状おやつをペロペロペロペロペロと夢中で食べていた。うーまーいーぞー! こんな美味しいおやつが食べられるなら、毎日きゅうりに驚かされたっていいや……そう思えるくらいこのおやつは美味しかった。

 サキちゃんはそんな僕の食べっぷりをずっと愛しそうに眺めている。愛を感じるなぁ。


「やっぱりウチの大福が一番かわいい♪」


 ちょっとやめてよ、照れちゃうじゃん。ああ、サキちゃんには僕が人の言葉を理解出来ているって事をどうにかして伝えたいなあ。

 言葉で伝えられないから態度に出すんだけど、ちゃんと伝わっているといいな……。


 それから僕がきゅうりに驚く様子を上げた動画はそれなりにそこそこ人気になった。

 けど、流石に二番煎じだったので、残念ながらそこまで大きな話題にはならなかったんだ。

 それでもサキちゃんが猫ブログを始めた中でこの投稿が1番の人気になった事は確かで、ランキングで最高順位になったって喜んでいた。


「見てみて大福! 7位よ7位! 最高順位!」


 サキちゃんは興奮して僕に動物ブログのランキング表を見せてくれた。7位――確かに結構話題になったみたいだけど――この順位じゃあ写真集の話は厳しいところだね。

 まぁでもサキちゃんがすごく喜んでいるから今はそれでいいや。


 で、僕はそのランキングに気になる名前を見つけた。僕の記事が乗っているサキちゃんのブログのひとつ上、6位のブログがそれだ。


 そのブログのタイトルはこうだった。


「マロの今日も平常運転」


 マロ! 思い出した!


「ほら、私が好きなマロのブログのひとつ下だよ、私のブログが! すごいよね!」


 そう、マロってサキちゃんがよく読んでいる動物ブログに出て来るヤツの事だったんだ。今も早速サキちゃんがそのブログを読み始めたんだけど、ブログに載っているマロの姿がまんまさっきの僕の夢に出て来た柴犬の姿と一緒だった。


 ははは……そうだよね……あそこまでしつこく出て来る犬に全く見覚えがないなんて、そんな事は有り得ないとは思っていたよ……。僕はマロの正体が分かって自嘲気味に笑っていた。

 勿論この表情、サキちゃんは全然気付いてはいない。


 その後、ブログの人気は順調に落ち始め、またいつもの定位置に戻る事になった。ま、あれから大きなネタが出る事もなく、記事の質も戻ったんだから仕方ないよね。そんな訳で当然ながら写真集のオファーが来る事もなく――折角僕が命懸けで頑張ったのにな。残念。


 それでもサキちゃんは落ち込むこともなく、日々を楽しそうに過ごしている。僕はそんなサキちゃんの側に居られるだけでとても幸せなんだ。

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