第42話 無償の愛

まるで巣の中から働きアリが出入りするみたいに、駅の改札からは仕事を終えた働きビトが出入りしている。


このなかで、どれくらいの人が夢に向かって進んでいて、どれくらいの人が諦めてしまったんだろう。


夢よりも大切な誰かを見つけたのか、上を見ればきりがない現実を見て、相応の生き方を見つけたのか。


桃太郎の時代はどうだったのだろう、夢を見る余裕はあったのだろうか、毎日を生き抜くことで必死だったのだろうか。


夜はこれから、といった飲食店の看板が通りに明暗を作っている。



初めて、ふたりきりで会う。



それを意識しないように、道行く人の人生に意識を集中して、痛いほど高鳴る心臓を落ち着かせようとしていた。


「ごめんこころくん、待った?」


何と表現したものか、息の量と声音が絶妙なバランスで織り成すハーモニーは、聞くものの心を見事なまでに虜にする。


「こころくん?」


首をかしげて覗き込む瞳は赤ん坊のように素直で純真だ。俺は吸い込まれそうになるのを必死で堪えて返事をする。


「ごめんごめん、小説のキャラ作りの為に道行く人に集中してた」


もしかすると、嫌われて会えなくなるかもしれない。そんな不安が降ってきて、俺は思わず冬子さんをこの目に焼き付けた。


白と青の動きやすそうなスニーカーは、ヒールの高い靴が嫌いな俺の為か、いつでも逃げられるように備えているのかもしれない。


裾を折り返したデニム生地のパンツ……ジーンズ? ジーパン? 俺には違いがわからない。女性はなぜピッチリしたズボンをはくんだ?


白いブラウスの上にゆったりした灰色のカーディガンを羽織っているのは、普段から気にしている体型を隠すためだろうか。


小さな団子のような上向きの鼻がタコ焼き屋の匂いを嗅ぎ付け視線を奪う。


「良い匂いするね」


「買う?」


「ダメ、間食は太るから」


自分に言い聞かせるように舞台ヒロインとしての表情を覗かせる。


冬子さんの前では誠実でありたい。


俺は五月雨書房の作品『この心の片隅で』が恋文であることを正直に告げた。


「俺はさ、冬子さんに好意を持っていて、何があっても味方でいるし、応援したいと思ってる。で、それを作品に込めたから目の前で読まずに持ち帰って家で読んでほしいんだ」


突然の告白に冬子さんは、目を丸くして驚き友達としての好意じゃないのか確認してきた。


「どうしてあたしなの? 可愛くないし、おデブだし、こころくんがそんな風に想ってくれてるなんて考えもしなかった」


「可愛くないなんて……可愛くなかったらヒロインなんて選ばれないでしょう」


「……今回の作品は『ペネロピ』って作品で、ヒロインが魔女の呪いでブタさんの鼻になる作品だったからだと思う……こんな鼻だし……」


「だ、だってネットでも可愛い店員がいるカフェだって持ちきりだったし」


「それは夕勤のユイちゃんのことじゃないかな?」


「え? あのちっちゃくて弱そうな……? そ、それでも俺にとって冬子さんは理想的女性なんですよ! 世間がどうでも関係ないんです」


「うん……嬉しいよ、でもなんか信じられなくて、なんであたし? って思っちゃう。今はたまたまあたしなだけで、こころくんが小説家として有名になったら……他にもたくさん素敵な人が現れると思う」


口を開けたまま思考停止状態の俺を見て、冬子さんは笑顔で「入ろっか」と言うと、道路の反対側にあるカフェに向かっていく。


聞いたことの無い洋楽が流れる店内の座席は、靴まで脱いで自宅のようにくつろぐ若い男女や、いかにも「仕事してます」って感じのスーツ姿の男性でほとんど埋まっていた。


かろうじて窓際のカウンター席を確保すると、オススメされるままに商品を注文して席に着く。


「あたしね、主役をやりたいわけじゃないの、もちろん今回の役はありがたいし全力でやるけど、あたしの夢は支える事なの。キラキラした可愛いヒロインを支える役をやりたいの。世の中にはそういう役も必要だと思うから。だからまだ恋愛のことを考える余裕がなくて……きっと甘えちゃうと思うから……返事はもう少し待ってもらえる?」


「冬子さん、俺は返事がほしい訳じゃないんです。言葉にしないと伝わらない想いがあって、確かな気持ちを伝えておきたかったんです。俺にとっての小説も同じで、俺が書かなきゃ伝わらない物語を伝えておきたいんです。自分勝手ですいません」


冬子さんにそう言う事で俺は改めて自覚した。俺が小説家を目指す理由。読んでくれる人がいるからだ。


読んでくれる人がいるから、小説というジャンルの可能性を広げて、もっと楽しんでもらいたいんだ。


「舞台、観に行きます」


観てくれる人がいるから、応援してくれる人がいるから頑張れる。冬子さんも同じはずだ。


「こころくんが有名になって、それでもあたしを選んでくれるなら、その時は信じるよ」


「わかりました」


「ありがとね」


その後、ヒロインを演じる重圧や、支えてくれる劇団員の話を聞く楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、冬子さんを家まで送り届けて自分の部屋に戻ると、全身の力が抜けて上着も脱がずベッドに倒れこんだ。


次は桃太郎の作品だ。金内さんとの闘いが待ってる。

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