第41話 込められた想い
五月雨書房コンテストに応募する作品は、『この心の片隅で』というタイトルに決めた。
理由はひとつだ。
どのタイトルにしたら、自分の状況や環境を的確に表現できるかエンターテイメントとしてユーモアを交えて追求したとき、俺に出来る精一杯がコレなのだ。
全ての作品に、自分の命運をかけて想いを託したい。
溝口先生のベストセラー『観覧者』は、影の薄い主人公の周囲で起こる様々な事件や奇妙な出来事を傍観して、主人公が心の中で感想を述べるスタイルで、関わりそうで関わらない距離感が魅力的な作品だ。
例えば、主人公が大衆食堂で食事をしていると、おもちゃのゴキブリを入れて代金を踏み倒そうとする
店主が慌てたり困ったり、血の気が引いた顔をしたかと思えば、食い逃げに気付いて顔を真っ赤にして怒ったりする姿を見て、飲食店の大変さをしみじみ語るのだ。心の中で。
その後、主人公は別の場所で
あくまでも事件には関与せず、偶然両者を観覧するのがお決まりで、読者と同じ目線の感想が反響を呼んでいる。
わりと自由の利く設定だと俺は思った。
そこで、小説家を志す青年と役者志望の女性による淡く切ないラブロマンスを傍観させる事にした。
まず、とある店で友人から「彼女作れよ」的な話題を振らせる。青年が記憶の片隅で輝きを放つ想い人を語る。
彼女の名は佐藤ゆうこ。
別の日、青年が店の全員に「小説が舞台化されたから一杯おごらせてくれ」と言う。
興味を持った主人公が舞台を観に行くと、そこでヒロイン役の宮崎愛子が学友から佐藤ゆうこと呼ばれているのをたまたま目撃する。
宮崎愛子という名は芸名だったのだ。
主人公が開演前にトイレへ立ち寄ると、例の青年が友人と一緒にいて、宮崎愛子について会話している現場に居合わせる。
青年が宮崎愛子について「人生で二度目の恋をしたかも」というと、友人は当然のように住む世界の違う高嶺の華だという。
「芸能人に本気の恋とか現実を見ろよ」とまで言われるが、青年の心は折れない。
見返りを求めず、心の片隅で想い続ける片想いこそ、誰にも迷惑をかけない純粋な愛だと青年は主張する。
結局最後まで気持ちは伝えないまま、主人公は、ほろ苦くもむず痒い感想をもって物語が終わる。
これは
恋文である。
初めて会った時は、お……大きく育った大人の姿に見とれて気が付かなかったし、少し面影の残る笑顔を見ても他人の空似かと気にもとめなかった。
気付いても今まで言わなかった理由は、芸名だという確信が持てなかったから。それと、これは今でもそうだが、想いを伝える理由がわからなかったから。
伝えてどうする?
伝えて何がしたい?
伝えるのは何の為だ?
自分がスッキリしたいだけなのではないかという疑念が払えなかった。
恋愛は理屈じゃないし、相手がいる事だから単純にはいかない。
俺は書き上げた原稿を一晩寝かせ、翌日改めて読み直した。
自分の実力以上のものが出せた。と感じる一方で、露骨すぎて照れ臭い気持ちもあった。
誤字脱字をチェックし、声に出して読んでみる。可能な限り読みやすい言葉を使いたい。リズムと響きの良い文章を作りたい。
小説だからといって、難しい言い回しや、普段使わない言葉は使いたくなかった。
そうして何度も修正を繰り返して、ようやく完成した作品を清書し、愛する我が子を送り出すつもりで投函する。
そして自分の過ちに気付く。
完成した作品を誰よりも早く読ませる約束だったのに、疲労と達成感から思わずポストに入れてしまったことに。
「やらかしたー……」
俺はガックリと暖かそうな色をしたポストにすがりつくが、民営化したとは思えないほど業務的で冷たい態度だった。
郵便物を回収に来たところを捕まえて、原稿を取り戻そうかとも考えたが、その日の集荷時刻は過ぎていた。
郵便局に連絡してみると、有償での取戻請求を書面にて行うとの事で手間と時間と金が惜しすぎる。
あきらめて家に戻り、くたびれた原本を手に取ると電話をかけた。
数回の呼び出し音の後「もしもし」という身体から魂が抜かれそうな心地よい声が聞こえ、俺の血液は激しく脈打ちだした。
「もしもし、こころです。五月雨書房コンテストの作品が完成したので読んでもらえませんか」
「ほんとー? おめでとう! えっと、じゃあ……明日はダメだから……良かったらこれから読ませてもらいに行って良い?」
「いいですよ、じゃあ駅前のカフェで待ち合わせましょう」
すでにポストに投函してしまったので、完成した作品を誰よりも早く読ませる約束を守る為には、早ければ早い方がいい。
俺は電話を切ると、胸の鼓動を静めようと深呼吸を繰り返した。
作品を見せる前に、直接想いを伝えるべきだろうか、それとも読んだ後に伝えようか。
何も言わず渡すだけという選択肢もある。
別に交際の申し入れではない。ただ好意を伝え、ずっと応援していると言うだけだ。
落ち着け、いつも通りで良いんだ。そう何度も言い聞かせながら、待ち合わせ場所に向かった。
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