第40話 恵まれた環境
すべてを失っても夢を追い続けるような情熱が俺には無かった。
大ちゃんの漫画に対する情熱は凄まじい。後先考えず、ひたむきに突き進んでいく。それは周囲の人間を巻き込むほどの情熱だ。
俺はどうしてもダメだった時の事を考えてしまう。
プロとして生き残っていけるのは、浦田さんのように、何よりも夢を最優先に考えられる人だけなのかもしれない。きっと小説を書き続けるという目的を達成する為に、誰かを殺さなければならないとしたら浦田さんは迷わない。
俺は仲間を失うことに恐れを抱いていた。別れという現実と向き合えなかった。
踏み台になることで浦田さんが大賞を取り、夢が叶うのなら喜んで手伝いたい。
俺には、物事を利己的に考え、自分さえよければ他人の事などどうでもいい、自分の夢を叶えられるならば、何を犠牲にしても夢にしがみつく! みたいな気概は無い。
それくらいの覚悟が無いのならプロを目指すべきではない。
「それじゃ、僕の用事は済んだから失礼するよ。締め切りは今月末だから忘れないようにね、これが申込書」
浦田さんは茶封筒とレターパックをテーブルの上に置くと、あっさりと帰っていった。
「で、何の用で来たんだよ」
ほどよい温度に冷めたアールグレイティーを飲みながら問いかけて沈黙を防ぐ。
「だから、何で店に顔を出さないのか理由を聞きに来たんだよ。でも、言いたくないなら言わなくていい。ただ、店には来てほしかったんだ」
「なんで」
「照れくさくて言いにくいことを聞くなよ。こころに会いたいからだろ。今の俺たちがあるのは全部、こころがきっかけでこうなったんだ。今日だって会いたいから家まで来た。ドリーマーズラウンジが無くなるまでに、少しでも多く思い出を作りたかった」
「そうか……それは積み重ねてきた努力の結果だろうけど、そう思ってもらえるのは嬉しいよ。正直怖かったんだ、会うのが。会わない時間が増えれば増えるほど行けなくなった」
ドリーマーズラウンジの閉店。
岡山から戻った俺達が店の入り口に貼られた閉店のお知らせを見たときは言葉が出ないほど愕然とした。
俺達を繋ぐ土台が崩壊した瞬間だった。
店の権利書を大賀に奪われ、閉店に追いやられたウメさんは、笑いながら言った。
「またお金を貯めて、別のところで新たに始めるよ。再開したらまた会いに来て。店がなくなっても僕が応援していることは変わらないから、必要なときはいつでも連絡して」
その数日後には、閉店を控えた店とは思えないほどの集客があった、話題になるのがもう少し早ければ閉店しなかったかもしれないと思うほどに。
いや、閉店を控えた期間限定の店だからこそ話題になったのかもしれない。
「ねえ、こころくん」
ふいに冬子さんが口を開く。
「これ、次の舞台のチケット。観に来てくれると嬉しいなあ」
「ありがとうございます。絶対行きます」
「でもまだダメ。このチケットは、こころくんの作品を1番に読む権利と引き換え」
「なるほど……そういう事ですか……絶対行きます」
何となく、みんなが来た理由が見えてきた。
「僕からも、ひとつお願いがあります」
次はイッチーだった。
「だが断る!」
「え! なんでですかー」
「もういいよおまえら、もうじゅうぶん」
こいつらは、俺にやる気を出させるために来たんだ。
「アレだろー? ワッキーはユーチューバーとしてカメラを新調するくらい人気が出て、イッチーはペアリングするくらい石川さんと順調。冬子さんはヒロインに抜擢されて大ちゃんは連載が決まってる」
「うっそ!? 俺、連載決まったの?」
「ごめんちょっと盛ったわ」
「なんだよ驚かせんなよ」
「みんな夢に向かって進んでいるのに、俺だけ取り残されてる。俺も頑張らなきゃダメなんだろうな。でもさ、大ちゃんと再会して色んな事をやってきたけど、大賀や佐々木とのやりとりも失敗して、浦田さんの作品には実力の差を見せつけられ、金内さんにもボロカスに言われた。岡山まで取材に行ったのに桃太郎は書けないし、竹田さんに真相も聞けなかった。夜行バスにも負け、ドリーマーズラウンジも救えなかった」
「そんな風に思ってたのか……」
「いや、そういう面もあると思っていたから、とことん落ち込んでいたんだ」
自分に出来ることは限られている。
そして、まだやれることがある。
「じゃ、そういうわけだから、みんな帰ってくれるか?」
「え?」
「俺は3つも書くこと抱えてて時間がないんだ。ほら、帰った帰った」
クサクサジメジメウジウジするのは終わりにしよう。五月雨書房のコンテスト、金内さんの課題。そして、俺は大ちゃんと再会してからの物語を書くことに決めた。
「みんな、わざわざありがとな」
皆を見送りながらそう言って部屋に戻ると、窓の向こうに太陽が沈んでいくのを眺め、眩しさに目を細めた。本当に眩しい。
ベランダには大ちゃんが隠してくれた俺の大事なコレクションが散乱している。
苦笑しながらそれらを部屋にいれると、俺は机に向かって夢に手を伸ばす。
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