第36話 こころの原点

暑くもなく寒くもない、夏が来る前の過ごしやすい季節だったと思う。


夕飯とお風呂を済ませた近所の子供たちが公民館に集められて、少しだけ夜空を見上げながら星座の知識を学び、自分達で布団を用意して外泊を経験する。


環境の変化に適応する術を学ぶ為だろう。


「どうしたらいいんだろうどうしたらいいんだろう」


初めての外泊で割り当てられた自分のスペースで、お気に入りのハンドタオルを握り締めて何とか眠りにつこうとモゾモゾと寝床を定めていると、隣の布団の中から助けを呼ぶ声が聞こえた。


「どうしたの?」


俺が隣の布団の中の迷子の子猫ちゃんに犬のお巡りさんよろしく声をかけると、甲羅から首を出した亀のように女の子が顔を出した。


知っている間柄ならまだしも知らない人間の助けを呼ぶ声に応えるなんて、当時の俺はお人好しだった。


今では道端で困っている人を見かけたら声をかけられるかどうか自信は無い。


「怖い話を思い出しちゃって眠れないの。いつもだったらママが怖くない話を聞かせてくれるのに」


実際には見たことの無いが、海亀の産卵よりも涙を溢れさせながら少女が助けを求めている。


俺は使命感から落ち着きを取り戻して言った。


「大丈夫だよ、代わりに僕が怖くない話をするよ」


「ほんとう?」


「まかせてよ!」


うまく出来る根拠なんて無かったけれど、自信満々に答えていた。ダメならダメで仕方ない、やらずに後悔するよりも、やれるだけのことをやった方がいい。


「僕の名前は、こころ。星野こころだよ。君の名は?」


「しまだ、島田夏海しまだなつみ


自宅にあった絵本の中で、当時の俺が覚えていた物語は3つしか無かった。


「よーし、赤ずきんちゃんか3匹のこぶた。あと7匹の子やぎなら話せるよ。赤ずきんちゃんって知ってる?」


「オオカミが出るやつだ……」


「よしやめよう」


参った。全部オオカミが出る。例えハッピーエンドでもオオカミが出るだけでダメなのか。


「3匹のこぶたは知ってるけど、もうひとつは知らない。オオカミ……出ない?」


まだオオカミが出ていないのに涙が溢れそうだ。


状況は良くない。


俺は追い詰められたけれど、嘘はつきたくなかった。


「うん出るよ」


できるだけ明るく答えた。


「オオカミ……出るんだあぁぁ」


でも、まるで世界の終わりみたいに絶望するので、ひとりぼっちにさせないから大丈夫だよという気持ちと、どうして世の中の物語はオオカミや鬼を出したがるんだ! と理不尽な怒りを抱いた。


だから俺は覚悟を決めた。


「待って待って、でも俺の物語には良いオオカミもいるんだ」


「良いオオカミ?」


「そう、オオカミは怖くないヤツもいるんだよ」


苦し紛れに逆転の発想。いま思えば、とんだ子供だましだ。でも、そのときは上手くいった。彼女の素直な心に助けられた。


「話してもいい?」


「……うん」


そうして俺は悪いオオカミを退治する優しいオオカミを出して、物語の主人公に感情移入している彼女を救い出すことにした。


子やぎの母親が留守番を言い渡して出掛けたあと、主人公の子やぎが窓の外を眺めていると白いオオカミに出会う。


白いオオカミは「このあたりに、悪いオオカミが出るから気を付けな」と言って去っていく。


主人公の子やぎは「オオカミのアドバイスなんていらないわ」と答える。


その後、黒いオオカミが鍵を忘れた母親を装って壁ドンしたり母親の声マネしたり変装したりして、侵入しようとする。


都度白いオオカミが通りかかって「母親が壁やドアを叩くかよ」とか「声が同じ? そりゃチョークだな、そこまでするかね笑える」なんて助言を授ける。


子やぎは「言われなくたって知ってたわ」とか「アンタの助けなんていらないんだから」なんて意地を張る。


でも最終的にはオオカミが部屋に侵入してきて子やぎは逃げるしかなくなり、絶体絶命のピンチが訪れる。


そこへ白いオオカミが登場して「もう、本当に頑張りやさんなんだから」と黒いオオカミを撃退するのだ。


結局怖いオオカミが出るじゃないかって?


そうだけど、布団の中の迷子の子猫ちゃんは目をキラキラさせてこっちを見ていた。涙が光っていたんじゃない、笑顔が輝いていたって意味。


「赤ずきんちゃんと3匹のこぶたにも良いオオカミはでてくるの?」


「うん出るよ」


結局俺は手持ちの童話を3つとも改編して話すことになった。


話し終わる頃には、思い出してしまったと言っていた怖い話を忘れて、穏やかに目を閉じてくれた。俺もやりとげた充足感からかすぐに眠ってしまった。


朝になると、バタバタと片付けや掃除に追われて話しはできなかったけれど、最後に「ありがとう、こころくん」と礼を言って帰っていった。


これが初めて物語を考えた日の出来事だ。


あの宿泊学習に参加していたってことは、近所に住んでいる子供のはずだけど、それから島田さんと再会することは無かった。


俺が物語を考えるのは、いつか島田さんに再会したときに披露するためなのかもしれないな。

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