第34話 心のコンパス

「おじいさんが家に帰ると、いままで見たことも無いほど大きな桃が玄関先に置いてあった」


「そんな大きな桃、おばあさんはどうやって持ち帰ったの?」


原作では語られていない矛盾点を俺が知るわけが無いし、大事なのは持ち帰った事実でどうやって持ち帰ったかという手段はどうでもいいが、やはり避けては通れない質問だった。


全ての疑問を説明していたら物語が進まないとはいえ「細けぇ事ぁいいんだよ」と言うわけにもいかず、目の前の読者の為にも答えなければならない。


自分の子供に読み聞かせする両親達の大変さを痛感しながら、納得してもらえる説明を考える。


それが煩わしいかと聞かれたら、実はそんなことはない。むしろそれこそが物語を書くことの醍醐味ではないかと思う。


細かい背景や設定を語る語らないは別として考えることは、とても楽しい。正しい答えなど無いが、心のコンパスに従って自分なりの解釈を導きだす。


「おばあさんは手下の亀に手伝って貰って、大きな桃を運んだんだ」


「亀?」


大ちゃんが不思議そうな顔で首をかしげる。


「そう、おばあさんの名前は浦島乙姫。竜宮城のプリンセスで、おじいさんの結婚相手でもある」


有名な浦島太郎の物語では、独りで竜宮城を去ったことになっているが、俺は結婚を反対された二人が駆け落ちしたという設定をでっちあげた。


「むかし、助けた亀に連れられて竜宮城に行った浦島太郎は、竜宮城に迫る滅亡の危機を救った。そこで乙姫と恋に落ちるけど、漁師で人間の浦島太郎とは身分も種族も違うせいで、誰も結婚を認めてくれなかった」


「竜宮城の救世主なのに?」


「もちろん賛成する魚も少しはいたけどね、魚を食べる浦島太郎を良く思わないやつらの方が多かった。考えてみてよ、例えば人間を食べる宇宙人がやって来て地球を救っても、その宇宙人に地球の政治を任せたりはしないだろ」


「なんだか悲しい現実ですね」


「そこで、ふたりは地位も名誉も捨てて駆け落ちする事に決める。それを知ったトリ……乙姫の父は、乙姫の持ち物に玉手箱をそっと忍ばせて、二人の愛が真実かどうか試練を与えて確かめる事にしたんだ」


大ちゃんはバッグからノートを取り出すと、熱心にネームを描き始める。どうやら気に入ったようだ。


「乙姫のお父さんも反対だったの?」


石川さんが大ちゃんに代わって質問してきた。


「ヒラメやタイ達は、単純に身分違いや種族の違いで反対してたけど、乙姫の父親は少し違った。人間の寿命は短いから竜宮城を統治することには向いていないし、先に浦島太郎が死ぬ事で娘が悲しむと考えていた。それならばと玉手箱の中に乙姫を人間にする魔法の煙を入れたんだ」


いまや隣の席の客まで聞き耳を立てて俺なんかの話を聞いている。


「浜辺に着いたふたりが箱に気付いて、何だろうと玉手箱を開けると、もくもくと白い煙が包み込み、ふたりをおじいさんとおばあさんの姿にしてしまう。トリト……いや乙姫の父親は浦島太郎が娘の美しさに惚れたと思っていたから、これで想いが冷めるなら帰って来れば良いと考えていた。でも正直なところ、乙姫の美しさは魚達の視点から見た美しさで、浦島太郎は見た目の美しさは特に感じてなかった。確かにクリオネみたいな透明感のある肌や、ゴマフアザラシのようなつぶらな瞳は魅力的ではあったけど、浦島太郎は乙姫に初めて会った時、ウーパールーパーに似ていると思っていた。だから外見の美しさよりも、綺麗な歌声と内に秘めた芯の強さに心引かれた。白髪とシワだらけになったふたりは顔を見合わせて笑って、乙姫が人間になった事を心から喜び、いつまでも幸せに暮らしたんだ」


「え! ウーパールーパーってどんなやつだったっけ?」


大ちゃんが慌てた様子で顔をあげる。ウーパールーパーに似たヒロインを描くつもりなのだろう。


「大ちゃん、これはおじいさんの過去設定で、どうやって亀に大きな桃を運ばせたのか聞かれたから答えただけで、桃太郎の本筋とは関係ないよ」


「なんでだよもったいない、これも入れようぜ」


「長くなるから今回はパス。それはまた、別のお話」


口を尖らせて反対する大ちゃんの横でイッチーが、紙ナプキンにウーパールーパーに似たイラストを描く。


「ウーパールーパー、確かこんな感じだったと思いますよ」


「お、サンキューイッチー。んで? おじいさんが帰ったら大きな桃があったってわけだ」


大ちゃんがイラストに目を落とし、「ああ、ぱみゅぱみゅ系ねー」とつぶやきながら先を促してくる。


「おいおい、ここで1日過ごすつもりじゃないだろ? 桃太郎博物館だっけ? そこ行こうぜ」


地元の公民館でお年寄りから日本昔話でも聞いている空気感を出してきたので、浦島太郎の過去話を終えて区切りも良いだろうと先を促し返した。


書きたい物語が決まったいま、取材旅行を早いところ切り上げ、帰って落ち着いて続きを書きたいという気持ちもあった。

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