第25話 思い出の痕跡
まるで魔法みたいに旨味が濃縮されたデミグラスソースが、黄金の衣に身を包んだジューシーなカツにかけられ、光り艶やかなお米との間にはキャベツが敷かれ調和をもたらしている、これから繰り広げられる食材のシンフォニーを想像して、帰宅した飼い主を出迎える犬のように興奮しながら「いただきます」を言った。
「何だこれ、ンマイなぁぁあぁぁ」
俺がワッキーが撮影していることを忘れて感想を洩らすと、続けて大ちゃんが他の客の視線が集まるほどの大声でリアクションをした。
「ゥンまあぁぁーい! なんつーか、クセになるっつーか、いったん味わうと引きずり込まれる旨さっつーか、たとえると気難しい陶芸家が納得いく作品が出来るまで壺を割り続けるくらいこだわって作った深みのある味わいってカンジがするぜ」
存分にデミカツ丼を堪能する様子を見て、イッチーが満足そうに微笑む。
「お気に召したようで良かったです。こっちに帰ってきたときは必ず寄るイチオシのお店なんです」
食事が終わると、ワッキー本人が望んだカップ麺をすするシーンを粛々と執り行い、俺たちはイッチーの案内で次の目的地へと向かった。
ワッキーの執念とも呼べる撮影に対する熱意の謎はさておき、空腹が満たされた俺たちは取材に来たことを忘れるほど観光を楽しんでいた。
初めての路面電車を見て感動したり、その路面電車を絶好の角度から写真に収めようとする鉄道オタク風の女性を観賞したり、世界に誇る文化財、日本3名園のひとつ岡山後楽園で過去の人物に思いを馳せて感傷に浸ったり、エレベーターや空調が完備された岡山城の観光客向けのハイテク化に複雑な感情を抱いたりした。
「あちこち補強されてるってことは、当時のままでは無いんだろうな。見張り中に、おしっこ漏らした跡とか窓や扉に手を挟んで流した血痕とかは残っていないだろう」
「見たいんですか?」
「そういうわけじゃ無いけど、当時生きていた人間の痕跡は残ってなくて、時の流れは無情だなと思って」
「窓や扉に手を挟んでも血は出ないんじゃないか?」
「たとえだよ大ちゃん。切り殺された当時の人間の怨念混じりの返り血って言うより穏やかだろ?」
「おしっこもどうかと思うけどな」
眼下に広がる最上階からの景色は、城下町を見下ろす素敵な景観というよりは、命を奪いに来る侵入者を一刻も早く発見する為に作られたような気がして、次第に陽が落ちて薄暗くなり、静かに訪れる夜の帳が命の灯火まで奪っていくようで、なんともいえない不安をもたらした。
「まるで、これから起こる凄惨な事件を暗示するかのように」
ボソッとひとりごとを呟くと、岡山城を後にした。
預けたロッカーの荷物を回収し、寝床であるイッチーの自宅へ向かう途中で、俺たちは夕飯を調達しようと弁当屋に立ち寄った。
どこか懐かしさを感じさせる外観に、少し色褪せた『おべんとうのいしかわ』と書かれた文字がマッチして、駅前の小綺麗な店舗が立ち並ぶなかでも生き残ってきた信頼と実績を感じさせた。
「ここは幼い頃から利用している思い入れのある店なんですよ。岡山名物とかは無いですけど今晩はココで夕飯を買いましょう。ウチの近くには他にめぼしい店が無いんで仕方ないですよウン。ファミレスとかより安く済みますし」
やけに言い訳くさい口調でイッチーが説明する。見知らぬ土地を歩き回って疲れていた俺は、どこでもいいから早いところ寝そべりたい気分だった。
「みちよし!?」
「お、おう。さとみ、ひさしぶり」
店内に入ると、白い頭巾を着けた女性がイッチーに気付き、嬉しそうにガラス張りのショーケースとカウンターの間から出てきた。
「こちら幼なじみの石川さとみです。俺たち桃太郎の取材で帰ってきたんだ。こっちが作家志望の星野こころさんで、こっちが漫画家目指してる不知火大輔さん。カメラ持ってるのが脚本家の脇野勝俊さん」
ソワソワしたイッチーの「俺」発言でピンときた。これは、いわゆる甘酸っぱいアレだ。
「なに、帰ってくるなら連絡してよー。桃太郎の取材? 絵はやめちゃったの?」
「いや、驚かそうと思ってさ。俺は今回案内役なんだ。桃太郎をベースに物語を作るってんで取材に来たんだ」
二人の邪魔をしないように壁に張られたメニューを選びながら大ちゃんに近付いて耳打ちした。
「あれは絶対に、ディズニーのバンビでいうところの浮かれ頭だ。協力してやろうぜ」
「浮かれ頭?」
「恋をしているって事だよ」
勝手な憶測でしかないが、俺は夢を追うイッチーと地元に残してきた幼なじみの淡い恋愛物語を想像して余計なお節介を焼きたくなった。
「なあイッチー、明日はどこへ行くんだ?」
「明日は、朝食に倉敷うどんを食べて、美観地区に行こうと思います。あそこは桃太郎に因んだ店があるので行ってみようかと。ついでに美術館にも寄れたらいいですね」
「一緒に石川さんも行かないかな」
俺はどちらに言うでもなく誘ってみた。参加さえしてくれれば、はぐれたフリをして2人の時間を作ってやることも可能だ。
「ご一緒していいんですか?」
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